第8話 バーテンダーの裏の貌①
――このバーには秘密があった。
普通の客は知らない裏の貌。
午前零時を過ぎると、提供するものが変わるのだ。
目に見える物から、目に視えないモノへと。
* * *
室内にゆるく紫煙が流れる。
部屋の隅に置かれている大きめのベッドの上には、放り出されたまま眠っている尊がいた。
久我は咥え煙草のままベッドに近付いて、それを上から眺めた。
華奢という訳ではないが、全体的に線が細い。男にしては肌も白く、長めの茶髪にピアスという見た目のせいもあって、中性的な雰囲気を醸し出している。
(そういえば、瞳の色も薄かったな)
気を失う直前、信じられないものを見るような目でこちらを見つめていたのを思い出す。カラーコンタクトなどではなく、この男のそれは天然のようだった。
店の二階は居住スペースになっていて、コンクリート打ちっぱなしの空間にシンプルな黒いアイアンの家具でインテリアを統一している。広くはないが綺麗に片付いていて一人で住むには問題ない部屋だ。
久我にも、昔から色々なモノが視えた。
人間が発する気も、取り巻いている黒い影も。
尊に憑いているのが女の霊だということも視えていたし、それのせいで今にも倒れそうになっているのも分かった。
そういう点では尊と同じような眼を持っていると言える。
だが尊と決定的に違うのは、
「自分で霊を祓える力を身に付けている」ということ。
依頼を受けて除霊をする。
久我は一応プロの「退魔師」だ。
だがそれはあくまで裏の貌である。
表立って宣伝などはしておらず、ここを零時過ぎに訪れるのは関係筋から紹介された客のみだ。
今回の尊の件は完全にイレギュラーな案件で、どうしたものかと思ったが――放置するにはあまりにも霊障が大きく出ていて、流石に見過ごせなかった。
ちょうど他に客もいなかったのを幸いに、久我は「さっさと片づける」という乱暴な手段を取った訳だ。
「裏」の仕事ならいざ知らず、「表」の仕事の店内に「穢れ」が存在する状況など1分1秒でも許しがたいという、それは退魔師である久我の生理的な拒絶反応でもあった。
尊に飲ませたのは「御神酒」を使ったオリジナルのカクテルだ。
日本酒も梅酒も年代物の古酒で、神社で御祓いを済ませた特別な物を使用している。大して害意のない雑霊なら、これで祓えるくらいの威力はある。
取り憑いた霊を弱らせるつもりで飲ませたのだが、今回は宿主の方にも強く効果が出てしまった。
もともと酒に弱い体質なのかもしれない。
(気絶するとは思わなかったが――まぁ、この方があれこれ納得させる手間が省けて
やり易い)
誰がどう見ても悪役的な表情で久我が笑った時、
「おーい、蒼真ー?どうなった?飛び込みのお客さん大丈夫か?」
少々気の抜ける、のんびりした声が聴こえてきた。
「清和。客はまだ寝てる。仕事はこれからだ」
「そうなのか。なるべく早くラクにしてあげた方が良いんじゃないか?」
二階の部屋を覗きに来たのはこの店のオーナーである千秋清和だった。柔らかい物腰と、人懐っこい笑顔をみせる彼は久我とは正反対の雰囲気を持っている。
「そう思うなら邪魔をするな」
「あのなぁ、お前が何の許可もなく無茶するからこっちはヒヤヒヤしてるんだぞ。無事に除霊が終わったとしても後が心配で…酔いつぶれてしまったので介抱してました、ってことで話しが済めばいいけど、その辺のことちゃんと考えてるんだろうな?」
「酒に弱い体質のようだし、記憶も曖昧になるようにしておく。このまま片付けてしまえば問題ないだろう」
「そう上手くいけばいいんだけどね」
倫理的に問題のあることを押し通そうとしている久我に比べ、こちらは多少一般的な感覚があるらしい。だが止めようとはしないのがやはり一緒に裏稼業も請け負っている人間というべきか。
「それにしても」と清和は呟き、久我とベッドの上の尊を交互に見比べる。
「彼、男にしては可愛い顔してるし、そうやって蒼真が見下ろしてるとどうもこう…悪いことしようとしてる悪役の図にしか見えないよね」
清和が暢気に笑うのを、久我は特に怒りもせず受け流す。
「お前は本当に遠慮がないな。弟の方がよっぽど俺に気を遣っているぞ?」
「弟は君に特別な思い入れがあるからね」
「……片付けも終わったならさっさと帰れ。仕事の邪魔だ」
「はいはい。まあ、俺がいても除霊の役には立たないし。ただし、くれぐれもお客と揉めないように」
「分かっている」
じゃあなと言って清和はひらひらと手を降り、帰っていった。
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