第十九話 川中島合戦の正しい解釈

戦国史上まれにみる激戦となった、第四次だいよじ川中島合戦かわなかじまかっせん


定説ていせつによると……

武田信玄は、山本勘助やまもとかんすけが提案した『啄木鳥きつつきの戦法』を採用したようだ。


まず2万人の兵を二手に分けた。

信玄の率いる武田軍本隊8千人は八幡原はちまんばらへと向かい、高坂昌信こうさかまさのぶらの率いる武田軍別動隊1万2千人は山伝いに上杉軍1万3千人のこも妻女山さいじょざんへと向かう。


武田軍別動隊は夜陰やいんに紛れて隠密行動おんみつこうどうを取って妻女山を『奇襲きしゅう』し、さらに不意を突かれて慌てて山を降りる上杉軍を追撃し、八幡原で待ち構えた武田軍本隊と『挟み撃ち』にして殲滅せんめつする。

奇襲と挟み撃ちの2点がポイントである。


啄木鳥きつつきが木の中にいる小動物を狩る技術を真似たことから、この戦法の名前が取られたようだが……


歴史上の戦争でこの戦法が採用されたことなど一度もない。

啄木鳥きつつきの戦法とは、戦争の『素人しろうと』が平和な時代にエンターテイメントの一環で思い付いたものに過ぎないからだ。


 ◇


1つ目。

「なぜ奇襲することが不可能なのか?」


妻女山さいじょざんにいる上杉軍1万3千人は、山の上という圧倒的有利な『地形』に布陣している。

武田軍別動隊1万2千人がいくら隠密行動を取ったとして、見晴らしの良い山の上から見張っている上杉軍からどうやって隠れるのだろうか?

しかも、攻めるには山の上へと駆け上がる必要がある。


上杉軍が一人の見張りも立てなければ可能だろうが、あの謙信がそんな馬鹿な真似をするはずもない。

透明人間でもない限り奇襲が成功する可能性はゼロだ。


むしろ……

上杉軍が、山の上から駆け下って行軍中の武田軍別動隊を奇襲する方がずっと現実的だろう。

突然に山の上から鉄砲や弓矢を雨あられのように浴びせて奇襲することだって出来る。


そもそも武田軍別動隊は1万2千人で、上杉軍1万3千人より『少ない』。

不利な地形で戦うことを強いられるのに……

数で勝る上杉軍を、妻女山から追い落とすことが可能だとどうして言えるのだろうか?


 ◇


次に2つ目。

「なぜ上杉軍を挟み撃ちにすることも不可能なのか?」


仮に武田軍別動隊が奇襲に成功したとして……

慌てて妻女山さいじょざんを降りた上杉軍は、間違いなく善光寺ぜんこうじへと突っ走ることになる。

兵站へいたん拠点があるし、態勢を立て直すには絶好の場所だ。


善光寺へ向かって突っ走る上杉軍1万3千人は……

その途中の八幡原はちまんばらで、武田軍本隊8千人が待ち構えているのを発見する。


「武田軍本隊が上杉軍を食い止めて時間を稼げば、武田軍別動隊が背後を突いてくれる!」

こう思う人もいるかもしれない。


上杉軍の側に立ってシミュレーションしてみよう。

善光寺へ向かって突っ走っている上杉軍が、武田軍本隊が待ち構えているのを発見したらどうするか?


軍を二手に分け……

一方を前面の武田軍本隊に、もう一方を『反転』させて背後から迫って来る武田軍別動隊に備えようなどとするだろうか?

1万3千人もいる上杉軍の半分を反転させるだけでもかなりの時間が掛かり、その間はずっと無防備になる。

その隙を突いて攻撃されればおしまいだ。


歴史上の戦争において……

愚かにも軍を反転させて敗北した例はいくつもある。

もちろん謙信のような優れた武将が、そんな馬鹿な真似をするはずもない。


待ち構えている武田軍本隊を発見した謙信は、むしろ走っている勢いそのままに突撃を命じる。

背後から武田軍別動隊が迫っている以上、何としても正面の武田軍本隊を突破するしか方法はない。

こうして上杉軍全軍は『火の玉』と化すのだ!


武田軍本隊は、その火の玉をまともに浴びることになる。

想像して欲しい。

この攻撃を簡単に防げるなどと思えるだろうか?


「自分に向かって突っ走ってくる人が……

勢いそのままに自分に鈍器どんきを振り下ろす、あるいは自分に槍を突いて来たら?」

と。


しかも武田軍本隊8千人は、自分より5千人も多い火の玉をまともに食らうのだ!

八幡原は『平らな』場所であり、地形も味方してくれない。

こうなったら兵数がものを言う。


啄木鳥きつつきの戦法が……

どれだけ杜撰ずさんな戦法であるかお分かり頂けただろうか?

戦上手いくさじょうずの信玄が、こんな戦法を採用するはずがない。


もっと単純な話として。

武田軍は、上杉軍より『兵数』が多い。

あの武田信玄が……


平和ボケした戦争の素人しろうとがエンターテイメントの一環で思い付いたものに過ぎない啄木鳥きつつきの戦法。

そんな程度の戦法を……

名将の武田信玄が採用したと大真面目に歴史書に書いた人間は、戦争についてもうちょっと勉強すべきだと思う。


戦争は人間同士が互いに傷つけ合い、殺し合う残酷極まりない行為である。

暇潰しの遊び感覚で『発信』すべきではない。


 ◇


では。


第四次だいよじ川中島合戦かわなかじまかっせんの定説。

これは、全てが出鱈目でたらめなのだろうか?


全てが出鱈目なら数百年も歴史の定説として残りはしない。


要するに。

平和ボケのせいで『解釈かいしゃくを間違えた』のである。


 ◇


川中島合戦の前日。


海津城かいづじょうにいる武田軍は軍議を開いていた。

まず、信玄が最初に発言する。


「軍用の道を、民の生活に必要なモノを流すのに使ったことで……

民の生活はかろうじて維持されている。

その代わり、いくさに必要なモノの流れがとどこおってしまった。

そうであろう?」


「はっ。

軍用の道は広くはありません。

民の生活に必要なモノと、いくさに必要なモノの両方を運ぶには道が『狭い』のです」

応えたのは山本勘助やまもとかんすけである。


「信玄様。

この海津城を預かってから……

それがしは、いくさに必要なモノをできる限り蓄えておきました。

しかしそれも尽きつつあります。

民を取るか、軍を取るか、どちらかを『選択』しなければならない局面が近付いているかと」

高坂昌信こうさかまさのぶである。


「昌信よ。

分かりきったことを聞くでない!

わしは信濃国しなののくにの支配者として……

国を一つにし、民の平和で安全な暮らしを守るという責任がある。

!」


「……」

「皆の者!

我らは、信濃国を守護する軍勢なのじゃ。

民の暮らしを守るために全力を尽くさねばならん。

例え命を危険にさらそうとも、その『使命』を果たせ」


決死の覚悟に、軍議の場にいる武将たちは圧倒された。

これこそ英雄となる者の条件なのだろうか。


昌信が呼応こおうする。

「殿。

信濃国を守護する軍勢の一部を率いる身として……

さきほどの発言は、あまりにも的外まとはずれでした。

お許しくださいませ。

それがしは、どんな危険を犯してでも……

上杉軍を妻女山さいじょざんから追い払い、千曲川の水運すいうん[海上輸送のこと]と街道の陸運りくうん[陸上輸送のこと]を再開させ、民の生活を元に戻して見せます」


「よう申した!

皆の者。

何か良い策はあるか?

策がなければ、これより全軍で妻女山を攻め上がるぞ!」


「父上のご覚悟、感服かんぷく致しました。

恐れながら……

それがしに策がございます」


信玄の長男・義信よしのぶである。


 ◇


息子の積極性は、父としては嬉しいようだ。


「遠慮はいらん。

申せ」


「はっ。

妻女山にいる上杉軍の補給を断つのです。

そうすれば敵は飢え、山を降りるはず」


「敵の補給を断つ……

いくさの基本中の基本だな。

で、その方法は?」


「上杉軍が占拠している善光寺ぜんこうじを奪還しましょう。

ここの兵站へいたん拠点を潰せば、上杉軍の補給を断てます」


「わしも同じことを考えたが……

難しいだろう」


「なぜです?」

「ここ海津城かいづじょうは、妻女山から丸見えなのじゃ。

我らの動きは必ず謙信に察知される。

義信よ。

察知した謙信がどう動くか、そちは分かるか?」


「謙信のいくさは……

居合術いあいじゅつの達人のようだと聞いたことがあります。

帯刀たいとうしながらじっと機会を待ち、一瞬の隙を見逃さず抜刀ばっとうして一刀のもとに相手を仕留めるのだと」


「うむ」

「謙信は攻める『瞬間』を待っています。

その瞬間が来れば、山を降りて疾風怒涛しっぷうどとうのごとく襲い掛かって来るでしょう」


「善光寺は、ある程度の防御が施された『要害』でもある。

攻略に手間取っている間に……

我らは、背後から謙信の致命的な一撃を食らうことになるぞ?」


「よく存じております。

ですから……


「何っ!?

どうやって?」



【次話予告 第二十話 川中島での遭遇戦】

川中島には、深い霧が掛かっていました。

戦国屈指の英雄でもある武田信玄と上杉謙信は……

奇くしくも全く『同じ』目的で動いたのです!

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