第15話 ルキアンの龍気



「シェリっ! 俺とした約束を覚えているか!?」

「約束、ですか……?」


 本日は妃教育がお休みで、銀木犀の宮でロドリーさんと一緒に草むしりをしたり、害虫駆除をしたり、ジャスミンさんに「あんたはもうルキアン様の妃候補なのだから、そんなことはしなくていい!」と叱られつつもどうにかお願いをして、イガの中から栗を取り出すお手伝いをしたりしていた。おやつの焼き栗になるらしい。


 そうやってのんびりと過ごしていると、剣術の訓練から帰って来たルキアン様が大きな笑みを浮かべて、わたしに問いかけた。

 約束というのは、三食おやつ付きのことかしら。それとも老後まで面倒を見てくださるという約束のことだろうか。

 こうして改めて考えてみると、この国にやって来て以来、ルキアン様はわたしにたくさんの希望や未来を与えてくれたのだなぁ、と思う。


 わたしが首を傾げると、ルキアン様は自分から答えを教えてくださった。


「いずれ空を飛べる時が来たら、シェリを背中に乗せて飛んでやると約束しただろう? 今から行こう!」

「今からですか? 護衛の準備は?」

「はははっ! 上空で龍化した俺を襲える者などいるわけがないだろう! 鳥族の獣人たちより遥か上空まで飛べるのだから」

「まぁ、さすがはルキアン様ですっ」


 わたしは残りの栗を手早く片付けると、ルキアン様と空中散歩に挑戦することにした。





 龍化したルキアン様の背中に乗ると、白銀に輝く大きな鱗はツルツルとして冷たいのに、鱗の下の筋肉はとても温かかった。そのうち温度が馴染んで、鱗の冷たさも気にならなくなる。


「シェリ、俺の角を掴んでおけ」

「掴んでも痛くはないのですか?」

「ああ。頑丈だからな」

「では、失礼いたします」


 わたしがルキアン様の角を掴むと、「じゃあ、出発するぞ、シェリ!」と合図を出されて、ルキアン様が地面を蹴った。

 ルキアン様のお体の周りに風が巻き起こり、ぐんぐんと地上を離れていく。角に掴まっていても振り落とされてしまうのでは、というほどのスピードだった。

 けれどルキアン様は何か不思議な力を使っているようで、わたしの体が風圧に吹き飛ばされることはなかった。それどころか、風も寒さも感じない。これならば上空で振り落とされることはないだろう。


「これはな、俺の『龍気』を使って、シェリの身を守っているのだ」

「『龍気』とは、初めて聞きました。どのようなものなのですか?」

「自然界の理に干渉することが出来る力だ」


 壮大な内容にびっくりして、わたしは目を大きく見開いた。


「龍気は始祖王が女神から賜った力だと言われている。この力を持つからこそ、龍族はこの地の王となれるんだ。俺はまだ龍化出来るようになったばかりだから、あまり多くのことは出来ないが。風や冷気からシェリを守ってやることくらいは出来るぞ」

「さすがはルキアン様です……! とても凄いです!」


 月並みなことしか言えなかったが、わたしは大興奮して頷いた。

 ルキアン様はわたしの様子をチラリと見上げ、恥ずかし気に笑った。


 気が付くと、地上がとても遠くなっていた。白銀城でさえ米粒のように小さく、城下町や運河、そこから続く港や海まで見渡せた。ルェイン大帝国の広大な土地は南北に長く続き、ほかにも小規模の都と思われる地がいくつも点在している。

 そして海の反対側は、深く高い山脈がどこまでも続いている。

 この先にわたしが生まれたキラ皇国があるのだろう。


 わたしが山脈の奥を見つめていると、ルキアン様がそっと尋ねた。


「見に行きたいか、シェリ? お前の祖国を」

「……いえ、そんな。とても遠いですし……」


 キラ皇国を離れて、もう三か月が経っていた。神の花嫁として異界の門を潜ったが、トンネルの先に神はいなかった。だから、わたしは雨乞いをすることも出来なかった。


 あれからキラ皇国にまとまった雨は降っただろうか?

 ルキアン様のお傍で幸せに暮らしながらも、その考えが時折頭をよぎった。

 出来れば現状が知りたいという気持ちと、もし今もまだ雨が降っていないとしたら、結局わたしにはどうすることも出来ないことを突き付けられて苦しい思いをするだけだ、という予感があった。


「何、時間など気にするな! 龍化した俺は速いぞ。半刻もせずに着くだろう。それに俺が見てみたいのだ。シェリの生まれた国を」

「ルキアン様……」


 ルキアン様からそんなふうに言われて、どうしてわたしに断ることが出来ただろうか。

 わたしはルキアン様のお言葉に頷くことしか出来なかった。





 一面どこまでも見渡す限りの山脈が、波のように続いている。霧深い山々や切り立った崖、時折現れる滝や川など、人々を寄せつけぬ自然本来の姿で存在し、畏怖を感じるほど神秘的であった。

 そんな険しい山脈を超えると、ついに平地が見えてくる。遠目からも分かるほどに、大地は茶色く乾いていた。


「おおっ、これがシェリの暮らしていた国か」

「はい。……ここがキラ皇国です」


 かつて川だった場所は、今ではただの、石が敷き詰められた道のようだ。

 畑の土はヒビ割れるほどカラカラで、枯れた牧草が地面に横たわる場所ではやせこけた牛がポツンと立っていた。

 人気のない村々は、水を求めて移動したのか、それとも……。

 あまりにも酷い有様で見ていられず、わたしはルキアン様の頭の上に顔を突っ伏した。


「ここはお前を捨てた国だろう、シェリ。何を泣く必要がある?」


 ルキアン様の声はとても優しかった。


「……確かに、キラ皇国にわたしの居場所はありませんでした。でも、こんな酷い目に遭ってほしいだなんて思えません」


 幸せだった思い出なんて別にない。楽しかったことも、心から笑えることも、良かったと思うこともなかった。

 ……それでも。


「だってわたしが生まれ育ち、そしてルキアン様と出会うきっかけをくれた国だから……」


 わたしが涙声で呟くと、ルキアン様は弱ったように微笑んだ。


「それを言われてしまうとなぁ。俺も無関心ではおられんじゃないか、シェリ。よし、分かった。この地に雨を降らせてやろう!」

「え……?」

「龍気を使えば、雨雲ぐらい操れるからな!」


 ルキアン様のお言葉に、雨よりも先に涙で視界が見えなくなった。


「ありがとうございます、ルキアン様……っ! 大好きです!」

「うっ!!? 突然心臓に悪いことを言いよって、シェリめっ!!?」


 何故かルキアン様は挙動不審になられたけれど、その後、龍気を使ってキラ皇国のもとに雨雲を呼び寄せてくださった。


 黒い雨雲がもくもくと集まり、時折小さな雷を鳴らしながら、雨をどんどん降らせていく。

 乾いた大地が雨粒で濡れ始めると、どこからともなくキラ皇国の人々や瘦せこけた動物たちが姿を現し始めた。そして実に五か月ぶりのまとまった大雨に、歓喜し始めた。

 家の中から次々に器を持ち出し、雨を集め始める大人たち。口を開けて雨を飲もうとする犬。体を洗おうと服を脱ぎだす子供や、雨雲に向かって感謝の祈りを捧げる老人の姿など、様々だった。


 そのうち誰かが上空を指差し、龍の姿のルキアン様を「神様だ!!」と呼んだ。

「神様が雨を降らせてくださった!」「では本当に、花嫁は異界の門から神様のもとへ辿り着いたのか……」「ありがたや、ありがたや」「少女が一人犠牲になったことを、我々キラ皇国の人間は忘れてはならない。花嫁になった少女のために、皆で祈ろう!」

 人々はそう言って、手を合わせ始めた。


「シェリを生贄にしようとしたくせに、勝手に美談にしおって」

「いいのですよ、ルキアン様」


 わたしは心からの笑みを浮かべる。


「わたしは今はもうルキアン様のお傍で、こんなにも幸福なのですから」


 はっきりとそう告げると、ルキアン様は「あぁぁぁ!! もぉぉぉ!!」っと、どうしてか唸り声をあげた。


「祖国を救っていただき、ありがとうございました、ルキアン様」

「……じゃあ、そろそろ帰るか。お茶の時間になるし」

「今日のおやつは焼き栗だそうですよ」

「なにっ!? ジャスミンの炒った栗は美味いんだよな。では急いで帰らねばな、シェリ!」

「はい、ルキアン様」


 これが、わたしがキラ皇国を見た最後であった。

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