第一章 人魚の国の王

第1話 青い目の貴公子



 寝台によこたわる父侯爵は、ユスタッシュの顔を見るなり小言をならべたてた。


「どうだ? やはり母国の風はよかろう。いつなんどき寝首をかかれるやもしれぬブラゴールの大使になど仕官しおって。三年は長いぞ。三年は」


 ユスタッシュはユイラ人のなかでも、きわめて端正なおもてにウンザリした表情を浮かべる。

 しかし、父が文句を言うのもいたしかたない。三年前、ユイラの帝立騎士学校を卒業するやいなや、誰にもなんの相談もなく、大使の任を受けて、さっさと敵国ブラゴールへ渡ってしまったのだ。長く停戦中とはいえ、命にかかわる任務である。


 それでなくとも、父オルギッシュは今年六十四だ。ユスタッシュとは四十歳も離れている。三十九歳のときに二十二歳年下のユミオンと結婚し、授かった長男だ。年をとってからできた大事な跡取り息子に何かあれば、百代続いたラ・マン侯爵家も私で終わりだと案ずるあまり、すっかり気鬱きうつの病で寝たきりになっていた。


「ぶじに任期を終えたからよいようなものを、そなたに万一のことあれば、どうしていたのだ? そなたはわしの跡を継ぎ、ラ・マン一族を盛りたててゆく責任がある。わしが孫の顔を見るまで、二度とかようなマネはゆるさんぞ」


 ユスタッシュ・オルギニー・ベリオルーシャ・レンド・ラ・マン。

 彼は暗褐色のブロンドに冴えたブルーの瞳の、どこか冷めた眼差しの青年だ。ユイラ人は世界でもっとも造形の美しい民族だが、そのなかでもかなりの美形である。だが、無愛想で近よりがたいと言われている。一見物静かだが、心の内に何かを秘めた危うさをかかえていた。


「孫でしたら父上。あるいは私がブラゴールに残してきた女が生むかもしれません。なにしろ、あちらは一人の男が十人の妻を持つことがゆるされているのです。かくいう私も何人か囲っておりました」


 ユスタッシュは父の際限ない説教を封じるために言いだした。が、それはかえって父を怒らせるばかりだった。


「ブラゴール女が孫をだと? バ、バカもん!」

「王が賜ると言われれば断るわけにもいきますまい」

「何を申すか!」


 半身を起こして怒鳴り声をあげたオルギッシュは、とたんに激しくせきこんだ。あわてて、ユスタッシュが父にかけよる。


「父上。大事ございませんか?」

「う、うむ」


 しばらくせきこんだのち、オルギッシュはようやくおさまった。


「バカ者め。ブラゴール女を妻にしただと?」

「いえ。正確には妾です。帰るときに手切れ金を渡して別れましたし。しかし、父上が孫の話などなさったので」

「ブラゴール女の生んだ子なぞ、孫の数に入るものか。おまえはちゃんとユイラ人の名家令嬢を迎えねばならん。そなたの母と同じクルエル家の娘などどうだ? 従姉妹のフォンナも年ごろだぞ。女は三年会わぬと、またたくまに変わるからな」

「父上。私はまだ二十二です。結婚は早いのでは?」

「二十二と十七。年もつりあう。早いにこしたことはない」

「私はまだフォンナがをはいて、しているころから知っているのですよ。どれほど成長しようと、恋愛対象になりません」

「イヤなら、アスター家のミラベル。ルコンダ家のジスレーヌ。レイモンド家のシビル。令嬢はいくらでもいる」

「これほど日焼けした私を好ましく思う令嬢など、ユイラじゅう探したっておりませんよ。ブラゴールでも現地民と変わらぬと言われましたからね」


 オルギッシュは嘆息した。


「まったく、おまえは母ゆずりのよい顔立ちをしているのに、そのように真っ黒になって帰ってきおって」


 ユイラ人の美しさは、やはり、そのぬけるような肌の白さが大きい。なめらかな白大理石。砂漠の南国から帰ってきたユスタッシュはその美点を完全に失っていた。


「まあまあ。一生このままではありません。褐色の肌もエキゾチックではありませんか」

「外国人が異国的なのはよいのだ。そなたはユイラ人だぞ」


 ふたたび、オルギッシュの呼吸が乱れたので、一瞬、ユスタッシュの表情がくもる。それまでの毒舌が嘘のように心配げな表情だ。が、じきにオルギッシュが安静になると、もとの不遜ふそんな態度に戻った。


「まあよいではありませんか。おかげで、復路はブラゴール人にツバを吐きかけられずにすんだのですから」

「な、なんと! この由緒正しきラ・マン侯爵家の跡取りに、ブラゴール人はツバをかけたというのか? なんという屈辱だ!」

「そんなに興奮なさっては、お体にさわります」

「だから、あのような野蛮な国へ足をふみいれてはならぬのだ。二度と行ってはならぬぞ。よいな? ユスタッシュ。約束してくれるな?」


 オルギッシュが哀願の目で見ると、ユスタッシュは顔をふせた。


「はい。父上」

「ユスタッシュ。父は老いた。これ以上、老父に心労をかけてくれるな」

「はい。父上」

「世界広しといえど、ユイラの女が一番だ。早く妻を持って父を安心させてくれ」

「はい。しかし……」


 おとなしく頭をさげていたユスタッシュが最後の抵抗を試みる。


「しかし、私の下にはエルヴェもいるのですから、何もそう心配なさらなくとも」


 ユスタッシュを見るオルギッシュの視線には父らしい愛情と、長兄への期待がこめられている。


「たしかに、エルヴェもわしの息子だ。わしにはどちらも可愛い。甲乙つけがたい。だが、エルヴェの母は生まれた身分が低い。やはり二千の一門を統べる侯爵家の長は、クルエル公爵家の姫を母に持つそなたでなければならぬ」


 ユスタッシュと弟のエルヴェは腹違いの兄弟だ。社交界においては、母方の血筋の高さも重要である。


「敵国へ仕官する胆力も、それでこそ頭領の器。父はもう長くない。よいな? そなたに跡を任せたぞ」

「縁起でもないことをおっしゃらないでください。父上はまだまだお若い。病気が少し長びいて弱気になっておられるだけです」

「優しいことを言ってくれるな。うむ。知っておる。乱暴に見せかけて、ほんとは、そなたの心根は優しい。セブリナはおまえを粗暴だというが、あれは誤解しているのだ」

義母上ははうえが……」

「なに、人の上に立つ者の資質だと、あれもそのうちわかるであろう。それより、ユスタッシュ。さっそくだが、そなたに継嗣けいしとして頼みがある」

「結婚の話でしたら、また後日——」

「そうではない。父の名代で行ってほしいのだ。そこに招待状がある」


 重いとばりのおりた寝台のわきに小卓があった。そこに封筒が置かれている。


「レリエルヴィ嬢の誕生日をともに祝福されたく諸兄お招きうんぬん——これは、皇后陛下のお手ではありませんか」

「知ってのとおり、クレメントの奥方は皇帝陛下の姪御にあたられる。貴いおかただ。そのよしみで宮中にて祝いの席をもうけるのだとか。行ってくれるな? クレメントと聞けば、そなたもなつかしかろう?」


 クレメントは母方の従兄弟だ。子どものころには何度か遊んだ。皇后陛下の招きとなれば、侯爵家から誰か行かないわけにはいくまい。


「しかし、これは今夜と記されている」

「今から支度すればまにあうぞ」

「服を着替えているいとまもございません」

「ブラゴールの衣装も風変わりでよいだろう。そして、かの地での武勇伝を語れば、令嬢の一人や二人……」

「なんの話ですか?」

「いやいや。とにかく、急ぐのだ。セブリナとエルヴェをと思っていたが、そなたが帰ってきたのだから任せるぞ」

「……行ってまいります」

「うむ。よしよし」


 どうやら、父の狙いはパーティーに集まる令嬢たちだ。しかし、断れない誘いなので、ユスタッシュは父の寝室を退室した。扉をしめると小さく吐息をつく。


(やつれたな)


 あるいは、ほんとに長くないのかもしれない。

 父を安心させるために祖国を離れたというのに、かえって心配をかけてしまった。


 考えごとをしていると、近づいてくる足音。まがりかどから現れる人影はセブリナだ。


「やっとお帰りですのね。ユスタッシュさま」


 恨むような目をしている。

 ユスタッシュはわざと、彼女のあいさつを無視した。


「急ぐので」

「ひどい人ね。父上が亡くなられたら、あなたのせいよ」


 そっけないユスタッシュの態度に、セブリナは涙ぐむ。

 以前にもまして、つややかな肌。薔薇色の頬。

 当然だ。セブリナはユスタッシュの母が亡くなったあと、父がめとった後妻である。息子のユスタッシュと二つしか違わない。三年たってもまだ二十四。若く美しい盛りだ。


「ご安心を。父上が亡くなられても、あなたを追いだしはしませんよ」


 言いすてて、ユスタッシュは足早に立ち去った。

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