第27話 従妹に篭絡されすぎな傀儡の僕

 夕樹乃さんの自宅に時化込んで三日目の朝、僕らは一緒に家を出て、僕は電車で自宅に帰った。恋人の家から朝帰りするなんて、少し前なら想像も出来なかった。

 家に戻った僕は、荷物を置いて着替え、洗濯物を洗濯機に放り込み、叔父さんの店に行った。観葉植物の世話を頼みっぱなしで申し訳ないが、今月一杯は預けておくのが安全かな、と思う。まあ、小ぶりの鉢植えだから喫茶店に置いてあっても違和感はないし。


「ただいま、叔父さん」

「お帰り、玲央。荷物届いてるぞ」

 カウベルを鳴らして叔父さんの店のドアを開けると、叔父さんが入口近くの冷蔵ショーケースにケーキを並べているところだった。今日の日替わりスイーツは絶品のアップルパイ。出現頻度は低めで、まあまあ当たりだ。

「叔父さん、先に送ったお土産は、常連さんにも配った?」

「ああ。未希ちゃん用は当人に渡した、ほかはお茶請けにみんなで有難く頂いたよ」

「ならよかった」

「玲央、朝飯は?」

「食べてきたから、ブレンドだけ頂戴」

「わかった」

 僕はカウンターで、叔父さんに沖縄の土産話をした。ろくに観光もしていないから、大して話すこともないのだけど。

 一番のハイライトは、夕樹乃さんと二人で夜明け前に海岸で撮影したこと。だけど、叔父さんにあまり言いたくはないな。二人の大事な思い出だから。

 僕の留守中、未希がメイドの格好で給仕をしていたようで、常連と仲良くしていたと聞く。少し嫉妬するが、安心もした。彼女なりに、この店を居場所にしているんだなあと。兄貴が出奔してしまって、僕が彼女の寄る辺にならなくちゃいけないのに、正直彼女のことで腰が引けてるのは確かだ。未希が少し怖い。

 ランチに来た常連Bさん(設計事務所社長)が朝のワイドショー番組で僕を見たと言う。確か全国ネットで放映したはず。社内でも推し活の一環で布教活動をしているらしいが、やめてもらいたい。そんな、恥ずかしいこと……。

 僕が、ランチプレートの給仕や、店の掃除、テーブルセットの補充等々、いつものように叔父さんの手伝いなどをしていると、学校帰りの未希がやってきた。

「みーちゃん、おかえり」

「ん。れおにぃもおかえり」

「うん」

 未希はカウンターで、叔父さんからケーキセットの載ったトレーを習いのように受け取ると、真っ直ぐ指定席に座ってアップルパイを黙って食べ始めた。

「みーちゃん、アップルパイおいしい?」

「ん」

 未希の態度がよそよそしい。

 四日も放置してたのだから仕方ないか……。

 僕も隣に座って一緒に黙々とアップルパイを食べた。

 二人とも食べ終わった頃、僕は彼女に尋ねた。

「みーちゃん今日は予定ある?」

 頭をぶんぶんと振る未希。

「じゃ、うちくる?」

 彼女の表情が、ぱっと明るくなる。分かりやすいな。

「いく」

 分かりやすいと言ったら可哀想だな。未希は僕がいなくて寂しかったのだから。

 最近の彼女は躾が行き届いているのか、メイドやってるせいなのか、自分の使用した食器を自分で洗って戻していた。僕がいると過保護になっていけないな。叔父さんの指導は正しい。

 ふと思ったけど、叔父さんは子どもがいないから、高校生や大学生の多いこの街に、ずっと独りでいるのだろうか。意味があるのか分からないが、叔父さんが望むなら養子になってもいいと思ってるけど、それを彼に言ったことはない。

 彼にとっては、僕も未希も子どものようなものなんだろう。まあ多少は同じ血も流れているわけだし。実子を設けることが出来なかった人だから、僕らの存在が叔父さん孝行になっているなら幸いだ。


 僕のマンションに着くと、未希がいつもの猫の着ぐるみにそそくさと着替えている。今日は三毛猫だ。飽きないように何種類かを用意してあるんだ。

 着替え終わって何か言いたそうにしているので訊いてみると、

「今月中は玲央兄ちゃんに迷惑かけないって、あの人と約束したから」

 固有名詞は言いたくないらしい。

「そうか。ありがと」

「でも未希といるときは」

「わかってる。僕は未希のもの、でしょ?」

「ん。よろし」

 未希は、ソファに座る僕の膝の間に、ぽすんと座った。ソファがぐっと沈む。だっこをしろ、という無言の圧力である。自己主張の強いぬいぐるみもいるものだ。

 未希の桜の香りにあてられて、脳がとろけてくる。

 もしかしたら僕は自分を騙してるのかもしれない。

 それでもいい。それでも。


 だっこをしてしまうとヒマなので、僕はテレビをつけて、配信サービスで途中まで見ていた異世界アニメの視聴を再開した。

 かつて未希の実家で、僕が彼女にアニメを見せる立場だったのに、今じゃ僕の方が彼女よりも視聴している。未希は現在、あまりアニメに興味はなく、好きなキャラクターIP『異界獣キッズ』のショートアニメをネットで見ている程度だとか。普通の女子高生ならそんなものだろうが、ラノベ作家に本気でなりたいのなら、引き出しを増やすためにも、もうちょっと色んなコンテンツに触れておいた方がいいと思うんだけどな……。

 最終回を見終わった。残り話数はわずかだったようだ。

 小休止を挟もうと提案し、僕はコーヒーを淹れて、ダイニングテーブルにお菓子と一緒に供した。出張に行くたびにお土産のお菓子が少しづつ溜まっていくので、多少は未希にも消費を手伝ってもらいたいところだ。

 焼き菓子をパリパリかじりながら未希が言う。

「れおにぃ、家にいるときとテレビ出てるときとぜんぜんちがうね」

 出張先で出演した朝のワイドショーのことを言っているようだ。

「だってキャラ作ってるもん」

 あんなキャラ気持ち悪くて、普段もやれと言われたら僕は断固拒否する。出版社の連中に作られた、明るく知的で爽やかな都会の文化人、美形タレント作家という虚像。夕樹乃さんがいなけりゃ、あんな恥ずかしいことしてはいない。


 僕は父の後継者として厳しく育てられた。

 幼少期から傀儡となるべく、自由意志も人権も奪われ、勉学ばかり押し付けられた。その結果、相手に望まれる振る舞いをする能力に長けてしまった。

 僕は父の傀儡として教育され、結果、立派な社会不適合者となった。あんな方法で政治家二世が育つなんて本気で考えていたのだから、その愚かさに哀れみすら覚える。

 母の自死後、壊れた僕を見て悟ったのだろう、こいつに政治家など無理だと。あまりに弱すぎてお話しにならんと。それからは僕に干渉しなくなった。見捨ててもらって結構だったが、生き方なんて知らない僕は、困った時には本を読んで情報を得るしかなかった。だけど。

 リアルは難しすぎる。ちっとも対応出来てない。本気で好きな人が二人いる場合についての指南本などなくて、創作物ばかりだ。そういうのが欲しいんじゃないのに。


「だよね。もっと暗いもんね」

「はっきり言うねえ……みーちゃんは」

「イシシ」


 未希は幼少期から、 彼女のお世話にかこつけた、僕の「代償行為」に付き合わされてきた。彼女は、傷つきうらぶれた僕を毎日のように見てきた。だが、それは大人になった今も、何ら変わってなどいない。なのに彼女は、雛の刷り込みで僕を求める。正直、どこまで自覚してるのだろう……。

 さらに僕は――。

 己が現在進行形で傷付け続けてる恋人たちに、大変申し訳なく思いながらも、溺れ甘え誤魔化しながら恋愛関係を続けているわけで、有体に言って僕は最低な男だ。だらしないのが作家らしいといえばそれまでだが、頼む、誰か僕を殺してくれ。(定期)


 ところで昨日、夕樹乃さんと話したことが妙に気になっている。

 実は僕の処女作『エーゲの薔薇』のおもな登場人物は、古代のギリシャ神たちなのだ。

 夢の記憶が、行ったことも興味もないギリシャの、その神々であることに違和感をずっと覚えてはいる。

 自分と姉の境遇に近い事件が夢の中で発生しているが、それは姉と生き別れた直後に見た夢だから、リアルが影響しているのだと考えている。

 仮に自分が神だとしたら、姉もまた神ということになるのだが……。

 そんなことはあり得ない。なぜならば、これまで何一つ思うようになったことのない人生を歩んできたから。

 己が神なんかであるはずがない。

 もしも己が神ならば、未希の記憶を綺麗さっぱり消してやりたい。もっと幸せな、普通の人生を歩ませてやりたかった。こんな泥沼に落とすようなマネをしたくはなかった。

 いっそ八年前に死んだことにしていたらよかったのに。そう、須藤が言ってくれたなら、僕はそうしていただろうに。

 やはり自分は……未希が邪魔なんだろうか。

 望まれて、乞われるように振舞って、心を寄せて、気持ちを書き変えて……。

 ようやく、というところで、僕は夕樹乃さんを。


 そういえば、再会してからの姉さんの行動言動には謎が多い。

 二人と仲良くしろと言ったり、夕樹乃さんに姉役を押し付けたり、更には有人と海外に逃避行だなんて。本当に何を考えているのやら、実の姉ながら見当もつかない。

 僕は実家にいた頃から姉のことはあまり気に留めなかった。いつもそこに居る人だったから。だから何を考えているとか、何が好きだとか、人となりについて驚くほど何も知らない。そんなこと、彼女と愛し合うのに無くても問題ないと思っていたから。全て彼女に与えられていたから。だから何も疑問を抱かなかった。――そのこと自体、かなり異様で異質で異常なことだと、今の今まで気づきもしなかった……。

 その彼女が、よりにもよって未希と夕樹乃さん両方と仲良くしろと言い残した意味は。夕樹乃さんを姉に任命した理由とは……。いくら考えても僕には答えを導き出すことなんて出来ない。

 いや、もちろんそれこそ理想だとは思うよ? だけど、だけどさ……。


 僕はダイニングセットからソファに移動すると、両手を広げて未希を呼んだ。

「みーちゃん、おいで」

「れおにぃ~」

 かわいらしい猫の着ぐるみに身を包んだ美少女の未希が僕に飛び込んで抱き着いてくる。まさに愛しさの権化だ。これで好きにならない奴などいない。

 僕は未希が好きだ。胸が苦しくなるほど好きだ。だけど。

 胸は確かに苦しいのだけど、脳はとろけているのだけど、どこかで素面の自分が外から見ている。

「あ、ちょっとごめん」

「?」

 僕は未希を膝から下ろすとキッチンに向かった。

 ブランデーの瓶を戸棚から取り、二口ほどあおって戻した。

 酒の弱い僕なら、これでも十分酔える量だ。

 これで、うっとおしい奴を、素面の自分を追い払える。

 これで、未希に溺れられる。

「お待たせ、みーちゃん」

 僕はソファに戻って未希を抱き寄せると、彼女の可愛らしい唇を意地汚く貪った。

「にが」

「ごめん……でも必要なんだ」

「ならいい」

 酒の力に頼るのは負けた気がするけれど、僕はとうにあらゆるものに負けている。

 これで、理性を飛ばせるなら。

「未希……」

「なあに、れおにぃ」

「今日は未希が僕を抱いて」

 きょとんとして僕を見る。ひどいリクエストだと自分でも思う。

 だけど、未希ならきっと。

「どうやるの?」

「気持ちいい場所は同じだよ」

「おけまる!」

「好きに……していいから。未希の、オモチャにして……」

「うん! れおにぃ、未希がいっぱいかわいがったげるね!」

 とても嬉しそうな彼女に手を引かれながら、僕は寝室に向かった。

 思ったとおりだ。

 主導権を彼女に渡すのが、一番喜ばれることだと。


 ベッドの上で、お互いに服を脱がし合ってるとき、僕は言った。こんなの恥ずかしくて、素面じゃ絶対言えない。

「あのね……僕の初めての女性は裕実姉さんだったんだ」

「うん」

 ただでさえ陰気な僕に近寄る人間など、中学高校通して誰もいなかった。ましてやプライベートなど、他人と知り合う機会すらなかった僕だ。姉さんとああならなければ、一生童貞だったかもしれない。

 自殺未遂を繰り返す馬鹿な僕を救うために、姉さんは自分を犠牲にして僕を抱いてくれた――。

「未希が二人目なんだけど……僕ずっと受け身でね……」

「ふたりめなんだ。おお!」

 姉さんの次、二人目というのが、ことのほか嬉しそうだ。なんでだろう。まあいいや。

「だから……その、正直あまり上手じゃ」

「れおにぃは、受け」ビシッ、と僕を指差す未希。ヒドイ。

「うっ、……どこでそんな言葉を」

「BL」

「うう……そうなような、違うような……」

「わかった。おけまる」

 未希が、皆まで言うなといわんがばかりに、サムズアップする。そして、淫靡な笑みを浮かべて僕の長い髪を指で梳く。

 なんだか、とても気持ちいい。

「ああ……」

「れおにぃ……めっちゃ受けっぽ……うふふ……かわよ」

 省略された言葉の端々から、未希の歓喜が伺える。怖いけど……少し嬉しい。酔ってるせいかもしれない。

 喰われる喜び。

 まるで観衆の前で生命維持装置をつけながら貴人に供される、人に似た何かの話を思い出す。

「ぼくを……たべて、みーちゃん……おいしいよ」

「うん。いただきます」

 そう言って未希は、僕に、甘くておいしい大人のキスをしはじめた。

 ああ、もう、ダメ。酔いが回ってきた。



 ふと目が覚めると、制服に着替えた未希が帰るところだった。

 さんざんオモチャにされて、良すぎて失神していたらしい。体中だるい。

「ごめん……寝ちゃってた」

「うふふ。れおにぃ超かわいかった」

「うっ、いわないで……恥ずかしい」僕は羞恥のあまり両手で顔を隠してしまった。

「また明日も可愛がってあげるからね! れおきゅん!」

 とても嬉しそうな未希。僕はうなづくしか出来なかった。

 とにかく、どうやら僕は彼女を喜ばせてあげることが出来たようだ。よかった。本当に。やっぱり僕は、絶望的に人を喜ばせる才能がない。相手に任せるのが一番だ。ただし夕樹乃さんはダメ。ぜったい。

「はあい。おやすみ。気をつけてね」

 バイバイ、と手を振って未希は去って行った。

 明日も、か。出張まで毎日これだと、体力回復出来なさそう。どうしよ。

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