第2話 敵の名は

「流石に8日も宿無しだと身体が痛いな……」


 レオンが目覚めてまず感じたのは、身体の節々の痛みだった。

 前世でも仕事の疲れが取れない日はこんな感じだったと、昔を懐かしみながらしみじみ感じ入る。


「そういうことなら早速私の出番だね、任せておいて!」


 そう言って張り切った様子のピクシーは、レオンの肩から翔び立つと、少しずつ高度を落として土以外何もないただの地面に両手をついた。

 そして5秒ほどそうしていたピクシーが、手を離して緩やかに螺旋を描きながら飛翔した直後、地響きと共に何かがピクシーの触れていた地面を突き破り天を目指して伸び上がっていった。

 そしてそれが巨大な木だと理解できた頃には、木はその姿をツリーハウスに変えていた。

 それを側で見ていたレオンは、上空を見上げたまま開いた口が塞がらない。

 生前のレオンは若い子の流行についていけないことばかりだったが、これも大概であった。ジェネレーションギャップどころではない。


「これは、すごいな……」


「ふふん♪ そうでしょそうでしょ〜。私すごいんだよ! これからもどんどん頼ってくれていいからね!」


 小さな胸を張ってドヤ顔でそう豪語するピクシー。レオンは子供が特技を自慢しているような姿に少し微笑ましさを覚える。

 その日はそのまま、「グワァっと!」「ヌヌヌヌヌッ! って感じ!」など、やけに得意げなピクシーの擬音ばかりの抽象的な説明の魔法ガイダンスを受けて1日が終わった。

1日かけてあれこれ教わり、レオンはかろうじて魔法がどういうものか、ということだけは理解できた。

 魔法にはいくつか属性がある。

 さっきピクシーが使ったのは地属性の魔法、他にも「炎」「水」「風」「光」「闇」の主要属性と、その他にも特殊属性というものがある。

 試しに見様見真似でやってみようとするが、自分の属性すらわからないせいか、レオンにはピクシーのように魔法を発動させることはできなかった。

 ちなみに余談ではあるが、新しい拠点となったツリーハウスはとても快適で、レオンにこの1週間で最も心地よい眠りを提供した。

 否、穏やかな自然の静けさに包まれ、柔らかい風に吹かれながら過ごす夜は、前世を含めても類を見ないほど最上級の心地よさがあった。


 —————


 9日目—。


 今日も今日とて森の出口を求めてピクシーと2人で探索する。

 この森はレオンが思っていた以上に広く、歩けど歩けど未だに森の外にたどり着かない。

 周囲も暗くなり始め、そろそろ引き返そうかというところで、何者かが横たわっているのを見つけた。

 2人が慌てて駆け寄ると、それは燃えるような緋色の髪、鋭い八重歯、額から特徴的な二本の角を生やした和服に良く似た出立ちの男だった。

 

(ピクシーやら魔法やらで慣れたつもりでいたとはいえ、本当にここは自分が今まで持っていた常識が通用しないな……いや、それ以前に問題なのは——)


「この人すごい傷……早く手当てしないと死んじゃうよ!」


 ピクシーに言われた通り、男には全身についた切り傷に加え、腹部の細い刃物で貫かれたような傷口からは溢れんばかりの血が現在進行形で噴き出していた。

 まだかろうじて呼吸はしているようだが、素人目に見てもこのまま放置すれば死んでしまうのは明らかだ。


(今ならまだ助けられるか!?)


 レオンは咄嗟にピクシーに頼んでこの場に簡易拠点を設ける。

 前世の記憶を頼りにできる限りの応急措置を施すと、ピクシーが使えそうな薬草を幾つか採取し終えて戻ってきた。

 医学の知識に明るくなかったレオンはピクシーに言われるがままに薬草を煎じて飲ませ、患部に塗り込み、止血して、と大忙し。

 一方でピクシーも魔法で清潔な水を精製したり、薬草を取りに行ったり、包帯代わりの葉を集めてきたり、と大忙し。

 気がつけば夜も更けており、この日はこのままこの鬼人(?)の看病をして終わった。


 —————


 それから数日。鬼人の看病をしていると、効果が出始めてきたのか苦しそうだった表情が僅かに和らぐ。

 さらに3日経つと、鬼人は意識を取り戻し、ゆっくりと起き上がった。


「うぅ.......ん? ここは......」


「あっ、気がついた? 貴方森で倒れてたから、私たちで手当てしてたの。ほんっとーに危なかったんだから、感謝してよね!」


「……なるほど、そうだったのか。すまない、面倒をかけた、心より御礼申し上げる」


 鬼人は自らが置かれた状況を理解すると正座してレオンとピクシーに頭を下げる。


(なんだか時代劇で見た武士とかそういうのを見てる気分になるな)


 と少し場違いな感想を抱きながら、レオンは気になっていることを率直に聞いた。


「それにしても何があったんだ? あんな場所で倒れているなんて」


「あぁ、それに関しては——」


 鬼人は、ゆっくりと思い出すように簡単にこれまでの出来事を話し始めた。

 この森の外は二つの大きな勢力による激戦の真っ只中であること、自分はその戦いの最中に致命傷を負ってこの森に逃げ込んだこと、しかしあそこで力尽きて倒れていたということなど、これまでの経緯を語り終えた鬼人は額を地に擦り付る。


「お二方は命の恩人だ。改めて心より感謝申し上げる!」


 改まって何度も感謝され、レオンは悪い気こそしないが照れ臭く思ってしまう。

 

(50過ぎのおっさんが一々こんな様子じゃ気持ち悪いかもしれないけど、今の体は20歳前後の青少年そのもの。やっぱり精神も肉体に引っ張られるように若返っているのかもしれないな)


「ひとまず、もうしばらくは安静にしててね。傷口が開いたら、ほんっとーに大変なんだから」


 とピクシーから忠告が入った。

 ひとまず峠は越えたので、レオンとピクシーはまだ病み上がりの鬼人を連れて本拠点へ帰還。


「そういえば名前を聞いてなかったな。俺はレオンで、こっちは仲魔のピクシーって言うんだ。もしよければ君の名前を聞かせてくれないか?」


「……俺に名乗れるような名前はないんだ。すまないが、呼びやすいように呼んでくれ」


(んーそういうことなら、せっかくだしなんか名前をつけてあげたいな。この子の場合どんな名前がいいだろう……)


 顎に手を当てながら少しの間考え込む。


(和風の名前が似合いそうだ、それ系の言葉で何か良さそうなのは……)


 あれこれ思い浮かべ考えていると、生前読んでいた作品に登場するキャラクターの名前が思い浮かんだ。


「そうだなぁ、じゃあ君は今から承影ショウエイでどうだ」


「ショウエイ……ショウエイ……ふむ、不思議と馴染む名だ。これからはそう名乗らせてもらおう」


 鬼人は気に入った様子で「うんうん」と確かめるように頷く。

 

(なんというか、パーティメンバーが増えていくのは嬉しいな)


 その日の晩、前世で少し遊んでいたRPGゲームの序盤の冒険の始まりを感じさせるような、胸の内から湧き出るワクワク感を覚えながら、レオンは意識を手放した。


 —————


 翌日。


 今日もレオンは太陽が登り始めた頃に起床する。50年以上生きていると、早起きはもはや習慣と化していたがそれは転生しても変わらない。

 2人の起床を待ち、食事や洗顔など一通り朝の支度を終えて、今日も探索を始めようとしたところで承影から呼び止められた。


「レオン、少しいいだろうか」


「うん、どうした?」


「実は、昨日伝え損ねたことがある。ピクシーの話ではこの森を出るということだったので念のため、な」


 森の外の状況に関することか、あるいは別の何かか。ともかく聞いてみないことには始まらない、少し先を飛んでいたピクシーを呼び止めたレオンは承影の言葉を待つ。


「もし今後この森の外に出て行くのであれば『ナグモケイタロウ』という人間に気をつけてくれ。俺は……いや、俺だけじゃない。数えきれないほど多くの魔族がそいつに討たれている。俺は運良くここへ逃げ込んで命拾いしたが、そうじゃない者たちの方が圧倒的に多い」


(ナグモケイタロウ……? もしや俺以外の日本人か?)


「そいつは魔族の間では別名【凶鬼】や【特異点】などと呼ばれている、とても危険な存在だ」


(いや、推定同郷の方めちゃくちゃ物騒な二つ名ついてらっしゃる……)


 名前からして殺意マシマシな様子にレオンは驚愕する。どれほどの所業を重ねれば、そんなおっかない二つ名で呼ばれることになるのだろうか。


「奴は星のような装飾が施された平たく黒い帽子、肩に掛かっている真っ黒な外套、ところどころ金色の細い線が施された黒服、細長い2本のサーベル状の剣を携帯している。見れば恐らく一目でわかるだろう。はっきり言って俺たちに勝ち目などない。奴に認識されてしまう前に逃げるんだ、もし見つかれば問答無用で殺しにかかってくる」


 ナグモケイタロウとやらは魔族を目の敵にしており、これまでも数多くの魔族を屠ってきたと簡単に説明を受ける。


(話を聞くに接触のリスクがあまりにも高すぎる……それに、どうして承影がこの森に逃げ込むのを許したんだ? もしかして、何かの理由で追いかけることができなかったのか?)


「......あのさ、気になってたんだけど、この森だけやたら安全なのはどうしてなんだ?」


 外が激戦区にも関わらず、その真っ只中にある森林地帯が物静かで平穏というのは腑に落ちない。


「そうか、レオンは外を知らないんだったな。この森は通称「迷いの森」と言って、人類圏と魔族圏のちょうど境に位置するんだが、外の人間たちはここを不可侵領域としているようだ。それゆえ誰も立ち入らないんだろう」


「迷いの森?」


「ああ、ここは外から見ると真っ白な霧に覆われた不気味な薄暗い森林地帯に見えるんだ。人類側にはどうやら、一度入った人間は戻ってこなかったなどという伝承もあるらしい。俺自身あんな状況でなければ近寄りすらしなかったし、中がこんなに開けているとは知らなかった」


 承影が丁寧に解説する。

 前世の記憶とはかけ離れた森林の存在、アニメやゲームで慣れ親しんだ物とそっくりの多種多様な魔法の数々、鬼人や妖精の存在、などなど当然ではあるが常識が当てはまらなさに、レオンは目が回りそうな感覚を覚えた。


「ん? いやちょっと待ってくれ、魔族には魔法があるのに、人間はどうやって対抗してるんだ? 人間も魔法を使えるのか?」


「……いや、人間に魔法は扱えない。だがそれに匹敵する力を得た者たちがいる。それが『聖遺物アーティファクトユーザー』だ。奴らは聖遺物アーティファクトと呼ばれる遺物と契約し、『異能力』という形で魔法に匹敵する力を使う。そして、現在その中でも最強のユーザーと言われているのが、ナグモケイタロウだ」


「……ちなみにナグモは一体どんな聖遺物アーティファクトを使うんだ?」


「……その詳細は不明だ」


「「はい?」」


 ピクシーと揃って間抜けな声を出し、両手を小さく宙に踊らせながら前方に2歩踏鞴を踏む。漫画ならば「ズコッー!」と効果音が乗っているだろう。


「詳細不明って、もしかしてナグモは異能力をまだ使ってないとか?」


「いいや、奴は何らかの異能は使っている。それだけは確かなんだ。しかし、奴の異能がどんな物なのかは誰一人として理解できていない。理解できないうちに殺される、あるいは理解できても対処できずに殺されている。故に最強のユーザー……少しの間とはいえ、奴と戦った俺も奴の異能がなんなのかは最後までわからなかった。2人のお陰でどうにか命拾いしたが、そうでなければ今頃死んでいただろう」


 承影は当時のことを思い出した様子で、次第に表情を歪ませる。微かにギリギリと奥歯を噛み締めるような音が聞こえた。


「承影……」


 残念ではあるが、承影を励ましてやれるような言葉を今のレオンは持っていない。

 そもそも、これまでの人生で戦いというものを経験した事がないレオンが何を言ったところで気休めにもならないことは明白だ。


「……すまん。辛気臭くしてしまったな。まぁ、なんだ。そんなわけで森を出たいならそれ相応の準備をすることをお勧めする。まだ外は血塗れの戦場だろうからな。ところで......」


 承影は突然そこで言葉を切り、レオンとすれ違うように歩き出す。

 レオンが振り返ると、承影は近くの茂みの前でしゃがみ込み、両手で草木を2つに分けた。


「一応聞いておくんだが。少し前からこっちを覗いてるこいつは2人の仲間か?」


 茂みの中にいたのは水色の透き通った体。微かにプルプルと揺れる人間の頭くらいの球体。

 レオンが元いた世界で“スライム”と呼称されているものだった。


「いや、全然知らない......」


「(プルッ‼︎ プルルプルプルッ‼︎)」


 スライムは体を震わせている。

 それが威嚇のつもりか、それともなんらかの意思表示か、それはスライム本人にしかわからない。


(ふふっ、レッサーパンダの威嚇のようでちょっと可愛いな)


「(プルッ‼︎ プルプル‼︎)」


「僕、悪いスライムじゃないよ......なんちゃって」


「レオン、何言ってるの?」


「はい、ごめんなさい……」


 当然だが、ピクシーや承影に前世のネタは一切通じない。それに少しだけ疎外感を覚えながら話を進める。


「それで2人とも、このスライムはどうする?」


「(プルプルプルッ‼︎‼︎)」


 必死に体を震わせているスライム。

 小動物のようで可愛いと感じるのはレオンがおじさんだからか、はたまた地球人特有の感性か。


「まぁ、今のところ害は無さそうだし……なんもしないうちは、そばに置いてもいいんじゃないか?」


「そうだね。本当に害がないなら……だけど」


「まぁもし万が一敵対されても倒しちゃえばいいだろ。スライムならすぐ倒せるだろうし」


「「スライムをそんな簡単に倒せるわけないでしょ!!(だろ!!)」」


「(プルプルプルプルッ‼︎‼︎‼︎)」


 これまでで1番激しく身を震わせるスライム。

 そしてそれを注意深く観察していた承影とレオンの肩に止まるピクシーからも抗議の声が上がった。


(あっ、今のはなんとなくわかった。「自分はそんな弱くない」みたいなとこだろ。直感だけど。)


 対するレオンは、悠長なことを考えながら2人と1匹を宥める。


「ねぇレオン、スライムが弱いってどこの国の常識?」


「スライムは強力な魔法生物で、敵にすれば十分以上の脅威になるんだぞ。物理攻撃は効かない、強力な溶解液をかけてくる。魔法、あるいは聖遺物アーティファクトの異能攻撃じゃないとまともなダメージも入らない。加えて知性を有する個体までいる始末。そんな奴をどうやってすぐ倒せと言うんだ......」


 (おっふ……想像以上に厄介な特性だった)


「......いや、すまん。先入観や偏見があったみたいだ、認識を改める。すまない、君を軽んじた発言だった」


「(プルッ‼︎ にょい〜ん、ポムポムッ‼︎)」


 2人+1体からの抗議と告げられた内容に、自らの愚かさを痛感する。

 レオンがスライムの前にしゃがみ込んで謝ると、スライムは小さく震えた後、少し体を縦に伸ばし小さく2度跳ねた。


「もしかして俺を許してくれるのか?」


「(ポムポムッ‼︎)」


 再び2度跳ねた後、ズリズリとレオンの元に這い寄ってくる。

 やがてスライムは、しゃがみ込んだレオンの膝下までくると再び体を縦に伸ばした。試しに抱き上げてみると、スライムはどこか満足そうに体の力を抜く。


(なんか犬や猫みたいで可愛い……)


 スライムはレオンが想像していた以上に軽く、思いつきで自らの頭の上に乗せてみるが、帽子を被っているのと同程度の重さしか感じない。


「え、何あれ。ねぇ承影、なんで意思疎通できてるの?」


「いや、ピクシーよ。俺に聞かれても困るぞ。それはむしろ俺が聞きたい」


 背後で2人がそんなことを話している声が聞こえた。

 正直なところ、それはレオン自身もわからない。意思疎通とれてると勝手に思ってるだけだった。そもそもこのスライムがレオンの言葉をちゃんと認識できてるかすら判別する手段はない。


「(プルッ‼︎ プルプルッ‼︎)」


 スライムが頭上で小刻みに震える。

 一体どう言う意味なのだろうか、と数秒考え込んだ末、レオンはなんとなく思い浮かんだことを口にした。


「......あっ、もしかして仲魔になってくれるのか?」


「(ポムポムッ‼︎ ポムポムッ‼︎)」


 上機嫌そうに何度も繰り返し頭の上で跳ねるスライム。レオンはそれを肯定の意と捉え、1つ提案をした。


「それじゃあ呼びやすい様に名前もあった方がいいよな……俺がつけてもいいかな?」


「(ポムポムッ‼︎ ポムポムポムポムッ‼︎)」


 先ほどと同質の、しかし先ほどよりも強い反応が返ってくる。


(……これは喜んでもらえてるってことでいいのかな? いいと思おう! 時には都合よく解釈してしまうことも大事なことだ、うん)


 そう言い聞かせ、勝手に都合よく解釈したレオンは翔んで跳ねるスライムを優しく手で抑えながら、名前を考え始める。


(この子に合いそうな名前......何がいいかなぁ。結構感情(?)豊かっぽいし......)


 しかしあれこれ考えるが、結局いい名前は浮かばない。そこでレオンは、なんとなくしっくりきた名前をつけることにした。


「よし、じゃあ君の名前はゼンゼだ。よろしくな、ゼンゼ!」


「(ポムポムッ‼︎ ポムポムッ‼︎)」


 名前をつけると、大層気に入った様子でゼンゼはレオンの頭の上でしばらく跳ね回る。

 レオンが再び頭上に手を伸ばし、ゼンゼの頭を撫でると、スリスリと頬擦りするかの様に体を擦り付けてきた。

 

(子供みたいで可愛いな)


「……ほんと何でわかりあえてるの???」


「俺に聞かないでくれ……」


 後ろではピクシーと承影が理解出来無さそうな視線を送っているが、レオンはそれをスルー。

 ゼンゼはすっかりレオンに懐いたのか、頭の上を定位置にしている。


 こうしてレオン一向は、ゼンゼを(勝手に)仲魔に加えた。


 3体目の仲魔が加わったことに心強さを感じながら探索を再開。



 —————



 一方その日の晩、レオンやピクシー達がいる迷いの森の外側——


「ぐ、はッ……なぜ、だ……」


 今、生き残っていた最後の鬼人が斬り裂かれた。

 肩から腹部にかけて、身体を大きく袈裟に抉られたその鬼人は、血と共に疑問を吐き出す。

 何故自分たちの攻撃が全て居なされ、目の前にいる男の攻撃は誰一人防ぐことができなかったのか、と。


「なぜ、か。さて、何故だろうな」


 対する男はそれだけ言葉を返して、無情に刃を振るい、死に体の鬼人の首を刎ねる。

 月光が照らす静寂の中、やり慣れた作業同然の手際でまた1つ命を摘み取った男は、夜の闇を吸い込んだような漆黒の外套を翻し、金色に光る五芒星とそれを包み込む月桂樹の冠を模した装飾が施された、平たく少し硬めの帽子……或いは現代に於いて軍帽と呼ばれるそれの鍔を摘んで深く被る。

 周囲には既に事切れた大小様々な数多無数の魔族の骸が、大地に赤黒い絨毯を敷いていた。

 その時、男が懐から壊れかけた年代物の懐中時計を取り出す。それはかろうじて針が時を刻んでいるが、いつ壊れてもおかしくない代物であった。


「1、2……くくっ、フフフッ……もう少しだ。もう少しで俺たちは貴様を……」


 何が可笑しいのか、それまでは感情表現はおろか、僅かに口角を上げることすらしなかった男が、自らの手で血の海に沈めた戦場でただ1人、堪えきれないかのように「ハハハハッッ!」と高らかに笑う。


「あぁ、あと少しの辛抱だ。本当に、本当に待ち侘びたぞ! 何百、あるいは何千年も!!」


 屍山血河の中心に立つ男の喝采を、満月だけがただ静かに聞き届けていた。



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