一夕の夢(3)
「第一フェイズは終了。これより第二フェイズに移行します」
隣でルナが冷然と告げるのを、レヴは剣を抜き放ちながら聞く。
視界の最奥、
奴を倒さぬ限り、ここにいる〈スタストール〉の軍勢は全滅するまで撤退しない。
ちらりと、隣を見やった。大切な幼馴染で、〈
「周りのは任せる」
「ええ」
こくりと頷き返して来るのが見えて。瞬間。レヴは全速力で空へと翔け上がった。
身体強化をもってしても相殺し切れない
ものの数秒で
事態をようやく把握したらしい
頬を、左腕を、右脚を緋色の熱線が掠め、皮膚を焼く。思わず速度を緩めたその瞬間を待っていたかのように、周囲の
本物の
咄嗟に撃破を不可能と判断したらしい残りの
『貴方に直撃は絶対にさせない。早くあの竜を!』
通信機から聞こえるのは、少女の玲瓏の声。
「――ああ、分かってる!」
再び突撃体勢を整え、急加速。眼前に阻む
そのままの速度で、
レヴの耳に、聞き覚えのある声が鳴り響いた。
「【――たすけて】」
「え…………?」
その声に、レヴは思わず動きを止める。
幼い女の子に特有の、甲高くて少し舌足らずな甘い声。レヴは、この声を知っている。忘れられる訳がない。
だって。その声は。
「シャロ…………!?」
そう。シャロ。シャーロット・ヴァイゼ。四年前にレヴが見殺しにした、妹の声だ。
でも。なんで。妹の声が、〈スタストール〉から。
慄然と宙に立ち尽くすレヴを、
流石に堪えたらしい
それを呆然と眺めていると、突然、横から強引に腕を掴まれた。
そのままレヴの手を引いて退避する最中、ルナは振り返ってきて怒鳴るように叫ぶ。
「何やってるんですか! 敵の目の前で立ち止まるだなんて!」
「…………ごめん」
必死な声色に、レヴは悄然と目を伏せる。返す言葉がなかった。
冷徹な、それでいて微かに悲愴のこもった玲瓏の声が、怒りを滲ませながらも叫ぶ。
「あれはシャロちゃんじゃないんです! レヴなら分かるでしょう!? シャロちゃんは――貴方の妹は、私達帝国軍が殺したんです! もう、この世界のどこにもいないんです!」
ルナの言葉に、レヴはぎりと奥歯を噛み締める。
そう。妹は死んだ。四年前に。帝国軍の急襲で身体をずたずたにされて、衰弱していくのをレヴは見殺しにしたのだ。
守れず、それどころか逃げ出して。何もしてやれなかった。
変えられない過去。どうしようもない事実。
「私じゃあの装甲は突破できない! 今、あれを倒せるのは貴方しか居ないんです!」
白鉄の竜の装甲を穿つ爆音が耳に響く。けれども、
脳に響く
分かってはいるのだ。妹がもう、この世界のどこにも存在しないことは。死者は決して生き返らず、犯した過ちは二度と戻らない。それが、この世界の法則だ。
一度消えた命が、再び現れるなどということは存在しない。
ぜんぶぜんぶ、頭では理解しているのだ。けれど。妹を、その声を討つなんてことは。
「――“誰も死なせない”んじゃなかったんですか!」
「っ……!?」
迷うレヴの心に、ルナの怒声が突き刺さる。はっとした。
“誰も死なせない”。いつかの黎明の戦場で、ルナに対して放った言葉だ。
もう、大切な人は喪わない。四年前に誓った、そして今もなお強く想う願い。二度とあんな後悔と絶望は味わいたくなくて、だから力を欲した、レヴが軍を目指した根源の気持ち。
毅然と、それでいて優しさを感じさせる玲瓏の声が、決然と告げる。
「
何を討つべきで、何を守るべきなのか。それは、最初から決まっているはずだ。
今、レヴが守らねばならないのは、
そう。あれは偽物だ。今を生きる人々の心を揺さぶり、死者の命を弄ぶ殺戮の使徒、〈スタストール〉だ。断じてシャロなんかじゃない。
「……ありがとう。ルナ」
憂わしげに見つめてくるルナに、レヴはどこか吹っ切れたような声音で告げる。真紅の双眸には、決然とした光が灯っていた。
「あれはシャロじゃない。ただの敵だ」
そう。敵。世界中の人々を殺戮し、人類を滅亡の危機に追いやった、鋼鉄の使徒。ただ、それだけだ。
死者は生き返らない。犯した過去は変えられないし、変わらない。
これから先の世界に妹は存在しない。二度と現れない。だから。
ふ、と自分の愚かさに自嘲の笑みが溢れる。
いったい、おれは何を狼狽えていたんだろう。妹がこんな暴威を振るう怪物な訳がないのに。――死んだ人間は、どのような形であれ生き返ったりはしないのに。
「……ばか」
き、と腕を引くルナの双眸が細められる。何を今更、当たり前のことを言っているんだと、揺らめく真朱の瞳は言外に告げていた。
ルナから目を離して、再び
「援護は任せていいか?」
「勿論。今度はしっかり当てて下さいね?」
こんな状況下なのに冗談混じりに微笑んでくるのを、レヴは少し苦笑して。ルナの腕を離れると、再び、
機動兵装群〈ルイン〉を操作しながら、ルナは赤く輝く光翼を少し呆れたように見つめる。
克服したように見せかけていただけで、結局、彼は家族の――とりわけ妹の死を受けれられていなかったのだろう。
だから、偽物の声を聞いて、レヴは取り乱した。手を止めてしまった。
心のどこかで、生きていると思って、願ってしまっていたから。
けれど。死者は決して生き返らない。犯した過去は取り戻せない。どんなに後悔しても、何も変わりはしない。
今を生きる私達にできるのは、残った大切なものを守るために必死に足掻くことだ。そして。今の彼に大切なものは、妹の偽物ではなく、仲間なのだろう。
だから、今、彼は再び剣を手に取って、妹の声を放つ
レヴの周囲に群がる
「討つべき敵、ね」
周囲の
元々が戦闘用として設計されていないらしく、近接防衛火器などは一切存在しない上に動きそのものは鈍重だ。取り付いてさえしまえば、ただ硬くて大きいだけの的でしかない。
とはいえ、この距離では装甲を貫く勢いが足りない。一旦、距離をとらなければ。
即応機動のできない通常部隊ならばまだしも、レヴ達は魔術特科兵だ。射線さえ分かれば、躱すのは容易だ。
『全軍へ通達。
ルナの極めて冷静な通告を聞きながら、レヴは再度突撃体勢を整える。
剣と
傍らを極太の熱線が通り抜け、焼かれた雪原には鮮やかな炎の直線が描かれる。不運にも射線上にいた
反動で無防備となった自分を守護するように周囲の
悪足掻きに妹の声を響かせるのを、レヴは真紅の双眸を嫌悪に細め。吐き捨てる。
「その声を喋るなっ!!」
突撃の勢いのままに胸部へと剣先を刺し込み、激情のままに振り上げた。
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