第8話 ドアと鍵
ドアを開けて入ってきたのは斎藤ではなく、知らない少年と少女だった。
「あっ…、どうも……」
ほんのしばらくの沈黙を、少年の声がそれを破った。
自信のなさと緊張を感じる不明瞭さは互いに名前を知らないゆえだろう。
室内に少しずつ進む少年と、続く少女。
少女の方は少し小さく霞んだような声で「失礼、します」と言った。
「えっと……会長さん、です…よね」
「そういうことになってますね」
「あっ、やっぱそうですか」
少年は続けた。
「いや、今日新しい会長さんと顔合わせをだから来いって斎藤先輩に言われまして」
相手がどんな人間かを知って緊張が少し緩んだのだろう。彼の口調から角張が取れてしっかりとした話し方になったように感じる。
ふと彼らの制服に目をやる。
二人ともつけているのは青のネクタイかスカーフ。
少年の方はシャツの上の黒いベストで隠れていない首元から。
少女の方はカーディガンの上から。
青ということは中学生か。
そういえば、斎藤は他のメンバーは中3と言っていた。
ということは彼らなのだろう。
俺は椅子から立ち上がった。
リュックを下ろした彼らの前に立つ。
「俺は蒼井と言います。よろしくどうぞ」
「よろしくです」
「よっ、よろしくお願いします」
「えー、自分は花車です。花嫁の花に、車エビの……」
その時だった。
少年――花車の自己紹介は、突然生徒会室に響いた音に中断された。
突然の音に、少女は肩を少しびくっとさせた。
「ほんとっ、すみません。磨美ちゃんの話が、思ったより長くなってしまって…」
思い切りドアを開け入室したのは斎藤だった。
鼠色のノートパソコンと青のペンケースを抱えて、小さくだが肩で呼吸をしている。
おそらく本校舎からここまで、少し小走りで来たからだろう。
さして時間が変わるわけでないのだから、歩いてくれば良いのにと思う。いや、そういう所までするのが彼女なりの誠意なのだろう。
「あ、中3も来てる」
「お疲れ様です」
「お、お疲れ様です」
「お疲れ様ー。先輩、もうこいつらから名前聞きました?」
「こっちの少年が花車だってね」
「了解です」
斎藤は、抱えていたノーパソとペンケースを机に置いて言った。
「立っているのもあれなので、座りましょうか」
斎藤の言葉に、俺は元の席に戻った。
中3の2人は「俺こっちいくわ」と花車が俺の隣に座った。
「隣失礼します」
「あぁ」
少女の方は俺の斜め前、斎藤の隣に座った。
そうして落ち着いた頃を見計らって、斎藤は言った。
「はい。では、とりあえずみんなで自己紹介でもしますか」
「臨時の会長は蒼井さんですよね」
「そうだね。で、副会長が私と」
「じゃあ会長向けに中3でだけでいいですかね」
「そう、だね。うん。申し訳ないけどこんな時間になっちゃったし」
花車の提案に、斎藤は時計を見て答えた。
時計を見れば、もう最終下校時刻の30分ほど前になっている。
「じゃあ、とりあえず花車からよろしく」
「えー。改めまして、花車、中3の庶務です。花嫁の花に、口車の車です。特徴は眼鏡と髪です」
花車は横を向いて後ろの髪を見せる。前から見ると、男子中学生にありがちなただセットされていなだけのルックスだが、後ろの方では髪をヘアゴムでまとめている。
「えー、見てくれの通りオタクで、趣味はラノベです。よろしくです」
四角い銀の眼鏡に、長いのを結っている髪。確かに絵に描いたようなオタクルックスである。
「ちなみに、その髪は……どうして結ぼうと思った?」
「こっちの方がオタクっぽくて、勘違いされないんでこうしました」
斎藤の質問に花車は少し笑いながら言った。
正直、声が低いのか喋り方が真面目だからか、あまり初対面でオタクっぽい感じはしないが、そこは個人の自由だ。
ただ、中々癖がある気はする。
「ありがとー。じゃあ、次は上作さん」
「あっ、はい」
斎藤に振られ、今度は少女の番になる。
「えっと、上作です。上大岡の上に、……無策のさく……じゃなくて作品の作です。役職は書記。よ、よろしくお願いしますっ」
上作と言った少女は自己紹介が苦手なのだろう。ところどころつまりながらだったが彼女は続けた。
「特徴は……眼鏡です」
少女――上作は手を顔まで上げ、指で眼鏡のフレームをつまんでいった。
ぱっつん前髪が少し長いので、四角い眼鏡の上辺と髪がくっつきそうだ。
ちなみに少女の容姿は少し長いストレートだ。それに眼鏡をかけているので、まぁ典型的なおとなしそうなJCと言ったところだ。
「えっと趣味は、……音楽を聴くこと、です」
「そういえば上作って普段どんな感じの歌とか聞いてるの? 」
「えっと、アメリカのSemper Paratusとか、……ですね」
「マジ? いやぁ、やっぱ上作良い趣味してるよ」
「そ、そうかなぁ……」
上作の、花車からの質問に対する無駄に発音が良かった曲名に、彼女も中々だと感じた。
「えっ、と。それは何の歌? 」
質問者変わり、斎藤が訊いた。
「えっと、アメリカの沿岸警備隊の歌です」
「あっ、そうなんだ……。すごいね……」
斎藤は少し反応に詰まっているようだった。
知っている自分も同じレベルかもしれないが、沿岸警備隊歌を日頃から聞いているのは、見た目に反して中々レベルが高い。
「っと、じゃあ自己紹介は終わりですね。先輩何か話します?」
「いや、大丈夫だけど」
「じゃあ、これで大丈夫です。あ、二人とも先輩の連絡先知らないよね」
「今交換するか、後でグループに入れたタイミングで二人とも先輩の連絡先繋いでないでおいて。大丈夫ですかね、先輩」
「全然、大丈夫」
「じゃあ、よろしく」
斎藤はずっと前から、知り合いだったので連絡先を持っている。だが、当然二人は持っていない。
「先輩、せっかくなんでQRで交換しましせんか」
「あぁ、いいよ」
花車がポケットからスマホを取り出し。机の上にスマホを出してくる。
こちらもスマホを出して開き、アプリを開く。
「どっちが読みます?」
「じゃあ俺が読むよ」
「あっ、了解です」
読み取り画面に移り、花車のQRコードを読み取る。
「これか、”haruto”ってやつ」
「はい。それです」
どこかのキャラクターのアイコンにイラスト背景の、ゴリゴリにオタクな設定になっている人が出てくる。
俺もオタクほどとまではいかないにしても、嗜む程度に二次元には触れる。だが知らないキャラのものだったので、相当にオタクしているのだろう。
「上作さんはどうする?」
「あっ、えっと、すみません。グループから、登録しておきますので」
「了解」
「あっ、はい」
その時、音がした。少し前に訊いたのと同じ、勢いよくノックもなしにドアが開く音。皆の振り向き、視線がドアに集まる。
「っ斎藤、いるかぁ? 」
肩で息をしていながら入ってくるなりそう言ったのは磨美ちゃんだった。
「先生? どうしたんですか? 」
「まずいことになったよ」
「どうしたんですか? 」
「さっき手伝ってもらった文化祭の最終的な報告書のデータが吹き飛んだ」
「えー……」
「USBに移して、そしたらパソコンと切り離すのを忘れたまま取っちゃってさ……」
「だからもう少し手伝ってくれないか……。斎藤の担任には良く言っとくからさ、ね? 」
斎藤は磨美ちゃんの顔から一度視線を反らし、時計を見た。
「先生、申し訳ないんですけど、最終下校時時刻なんで……」
「そこをなんとか……」
「じゃあ、メールで草稿送りますので」
「ありがとう! サンクス」
磨美ちゃんに手を握られている斎藤は、視線だけこちらに回して言った。
「えっと……先輩、私とりあえず職員室行くので……」
「じゃあ、生徒会室の鍵閉めとくよ」
「よろしくです。鍵、机に置いてるので」
「あっ、パソコン撮ってください」
机の上に置かれているパソコンを斎藤に渡す。
「おうさ」
「ありがとうございます」
「あぁ」
「では、よろしくです……」
そう言うと、斎藤は磨美ちゃんに連れられて生徒会室から出て行った。
何やら話している花車と上作を横目に、机の上を確認する。
鍵はしっかりあった。
銀色の鍵を手に取る。
古いタイプのもので、とても歪な形をしている。
そういえば、昔アイツが、草野が言っていた。
鍵を持つというのは責任を持つことだと。
その部屋を使う組織の責任を持つことだと。
しっかりと適切な時間に部屋を開けて、適切な時間に閉める。
開いている間に起こる事柄を監督し、そのすべてに責任を負う。
そういう覚悟を持つべきではないのか、と。
そんなこともあったなぁ、と鍵を見つめてしみじみと感じた。
「じゃあ、そろそろ荷物まとめて出ようか」
俺は二人に声をかけた。
責任を持ってこの部屋を閉めるために。
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