第1話 潮騒

あの事件から、早いもので1ヶ月がたった。


文化祭の翌日。

学校近くの海岸で見つかった、女子高生の死体。


セーラー服に、肩くらいまでのポニーテール。


水死体ではない。


深く切られた手首。

彼女の隣で、砂がかぶっていた血のついたカッターナイフ。

そして砂浜に広がっていた血の跡。


それは現職生徒会長、草野桜の自殺だった。


砂の上に倒れたままの彼女に、生徒や教師たちはとても驚き、悲しんだ。


なんという悲劇であろうか、と。

悲しいことで、追悼の意を表したい、と。


しかし、それは長くは続かなかった。

人間の思考というのは、常に更新されゆくものなのである。


それは性別にも年齢にも左右されない。

ごくごく普通で、平凡なこと。


ましてや、深く知らない他人のことであればなおさら。


永遠の決別。それも前途多望な若者の自殺ではあった。

しかし、それが自分以外に起きたことであったことに、いくらの変わりもなかった。


***


海の見える窓から、3時半の、橙色の西日が差し込んでいる教室。

1日の授業が全て終わり、弛緩しきっている空気は彼女のいた頃と変わらない。


「では、机と椅子はしっかりさげてもらって、うん。学級委員、号令を」


いつもと同じように、担任に促された学級委員が生徒を起立させて、号令。

今日も放課後が訪れた。


机が引きずられる音。

掃除ロッカーが開かれる音。

黒板消しクリーナーの音。

誰と誰のものであるかも分からないくらいに重なっている会話。


四角い白の通学用リュックサックを背負う。


パソコンに教科書とノート、いくらかのプリント類に水筒の重さ。

肩を通して体をきしませる。腰痛確定の重さを毎日持ってきて、持ち帰るというこの現実リアル。正直辟易する。


「なぁ櫂、今日自習室寄ってこうぜ」

「申し訳ないけど今日は予定ある。今度にしてくれ」

「そっか、おけぃ」


友人からの自習の誘いを断って、教室をそそくさと退場する。


他愛のない雑談に満ちた教室と比べ、廊下は比較的静かだが、それでもいくらか騒々しい。


縦長の、少し古びた昔ながらのロッカー。

端の辺りに、少し茶と黒の間くらいの色の錆が入っている。いったい、いつから学校に置かれているのだろうか。


黒に白い数字の、よくあるダイヤルをクルクルと回して、4桁ロックを開錠する。

靴用スペースから、黒のスニーカーを取り出す。

そうして、白に赤のラインが入った上履きから履き替えた時だった。


「蒼井先輩、これから大丈夫ですか」


後ろから聞こえた、俺を呼ぶ声。


振り向くと、見知った女子が一人。


「あぁ、斎藤さんか。お久しぶり」

「はい、斎藤です。お久しぶりです」


斎藤――後輩の女子生徒は冷たい声で返した。


ミディアムな髪に、四角い眼鏡で、ほんの少し暗い雰囲気の彼女。


「相変わらず整理苦手ですね」


斎藤は、閉めようとしていた俺のロッカーを見てそう言った。


縦に積まれた教科書や便覧たちと、その上に君臨している美術セット。

端がくしゃくしゃになってしまっている大きな茶封筒。

隙間に押し込まれた、少し年季を感じる体育着袋。

それでも、本だけは綺麗に陳列されているのが、またなんとも言えない。


これは汚い。はっきり分かる。


「日本の詰め込み教育を表した現代アートだよ」

「そういうことは、もっと詰め込んで成績上げてから言ってください」


くだらないことをぬかしながら、ロッカーを閉める。

体操着袋が反発して上手く閉まらなかったので、体重をかける。


ぐっ、と扉を押し込んで、小さなノブを閉める。

そしてダイヤルを手でざっと、テキトーに回す。


片足を折り曲げて、かかとの変になってしまっているところを手で治す。


「じゃあ、斎藤」

「はい、先輩」


まるで海水のような、冷たいが透き通っている返事。


「おまたせ、行こうか」

「了解です」


放課後の独特な賑わいのある廊下を、俺は少女と一緒に歩き始めた。

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