竜の末

第1話

 夢を見る。竜と人があらそっている夢。竜と人が直接争っているのではなく、一体の竜と十体の竜が争い、竜の足下では人と人が争っていた。竜に向かって剣や槍、矢をはなつ人。その竜を護ろうとする人。

 母に話すと、その話しをしてはいけない。悪い竜に食べられると。幼い自分は母を信じ、母以外にその話をしなかった。

 なぜそんな夢を見るのか不思議だった。竜などいない。物語だけの存在なのに。

 見たのは一度や二度ではない。起きれば怖くて母に飛びつき。母はよくお姫様や王子様、動物達の出てくる絵本を読んでくれた。それでも。



 大陸一の大国を誇っていたレルアバド。それも今は昔。いや、二年前、王が代わった途端、少しずつ周りの国に領地を取られ、今は半分に。これ以上取られないため、友好の証としてレルアバドの王は大国となりかけている隣国、ギーブルに王族を送った。


 レルアバドの城に比べると一回りも二回りも小さい城。増築しているのか。資材が運び込まれている。

 初めてレルアバドの首都にある城を見た時はその荘厳そうごんさに見惚れ、連れてきた伯父は笑っていた。だが今は、出た時は、絵本に出てくる魔女の棲む城のように見えた。それはこの城も。

 あちこち見ていると、

「こっちだ、何をしている」

 背を押され、よろけて一歩踏み出し、歩き出した。

 これからはここで生活する。いつまでいるのか。ここで最後だろう。ここで終わるのだろう。怒っても泣いても何も変わらない。自分の小さな体では遠くへ行くことができない。

 あちこち見るな、と言われたので、うつむき進んでいた。見えるのは自分の足。細い足。ついて行かないといけないので、駆け足になっている。誰も歩みに合わせてくれない。遅れれば背を押され、さっさと行けと言われる。この足がもっと長ければ、太ければ。

 俯いていたので前を行く者が足を止めたことにも気づかず、ぶつかった。

「ご、ごめんなさい」

「連れてきました」

 大きな声に小さな謝罪はかき消され。

「ああ」

 俯けていた顔を上げようとして、後ろから、

「顔を上げるな、ひざまずけ」

 言われた通り、俯いたまま両膝を床に。絨毯じゅうたんが敷かれているので膝をついても痛くはない。

「手荒なことはするな。すまない、大丈夫かい」

 声が響く。俯いているので誰が話しているのか。

「陛下」と苦い声で言っているので、国王なのだろう。レルアバドの地を一番多く取った国の。

「アニクス姫」

 姫と呼ばれたのはいつぶりか。国王が代わってからは姫とは呼ばれず、それ以前も。

 呼ばれ始めた時は慣れなかった。慣れた頃に、偽物、本当に母の子かと疑われ、城の一室に閉じ込められていたようなもの。国王からは「面倒を見てやっているだけありがたいと思え、いつでも追い出せる」と言われ続け、とうとう追い出された先が。

 味方してくれていた者には城を出る前にこっそり手紙を出したから、暴走してはいないだろう。

「おい」

 揺すられ、はっとする。

「陛下のお話しを聞いているか。それとも言葉が通じないのか」

「やめろ」

「しかし」

「知らない国、しかも怖い顔をした大人に囲まれてはおびえもする。リゲル?」

「王子」

 戸惑った声。

 足が見える。アニクスと同じ子供の足。

 温かいものが両頬に触れた。と思えば顔を上げさせられる。長い前髪の間から見えたのは子供。十歳のアニクスと年はそう離れていないだろう。

 漆黒の髪、大きな瑠璃色の瞳。絵本に出てくるお姫様のようにきれいな子供。

「大丈夫。おれはリゲル。リゲル・ギーブル」

 ギーブルはこの国の名前。それならこの子は。

「リゲル」

 困ったような声。傍にいる兵もどうしてよいかわからない様子。

「もう行っていいですよね。今日からここで暮らすのでしょう。それなら案内しないと」

 両頬から手が離れ、どこかを向くお姫様。

「レルアバドからここまで来たんだ、疲れているだろう。今日は休ませてあげなさい」

「えー」

「それなら部屋まで案内して、部屋で話せばいい」

「陛下!」

 臣下にすれば大事なお姫様を得体えたいの知れない者と一緒にさせたくないのだろう。

「はい。そうします」

 元気の良い返事。愛されているのだろう。

 どうでもいい。この子が誰だろうと、ここがどこだろうと。絵本に出てくる魔女の家でも。でも、どうせならお菓子の家がよかった。出られずに魔女に食べられてしまうのなら。母に読んでもらった絵本に出てくるお姫様は幸せになって終わったが。

 手を握られ、立たされる。

「アニクス、でいいんだよね」

 アニクスより背が低い。年下だろう。きれいな笑顔で見てくる。

 大事に、大事にされている子供。

「答えろ、王子がたずねているだろう」

「はい」

 小さな声で答えた。どうせすぐに忘れられる名前。

「アニクス」

 嬉しそうに繰り返している。

 どうでもよくなって、再び俯いた。見える自分の足。

「それじゃあ、行こう、アニクス」

「待て、リゲル。話させてくれるか。まだ挨拶もしていない」

「あ」

 どこかから小さな笑い声。

「見ての通り、私はこの国の王、ユーグランス。リゲルは私の息子。妻とリゲルの弟」

「息子? お姫様じゃなくて?」

 長い前髪の間から見たお姫様は目を丸くしている。

「お、男、男だ!」

「ごめんなさい」

 再びうつむく。国王はわざとらしいせきを。

「来たばかりで慣れるのに時間がかかるだろう。何か困ったこと、足りないものがあれば遠慮なく言えばいい」

 言ってもむだなのはわかっている。建前たてまえ。本当のことを言ってくれればいいのに。人質なのだから逆らわず大人しくしていろと。いや、人質としての価値もない。

「行っていいですか」

「ああ」

「行こう」

 手を引かれ、歩き出す。

「ここは広いから順番に案内するよ。今日は部屋まで。父上からアニクスが来るって聞いて、ライルと楽しみにしていたんだ。あ、ライルっていうのは弟」

 にぎやかに話す男の子。俯いて聞いていた。きっと周りはいい顔をしていない。

「ここがアニクスの部屋」

 近くを通りかかった使用人が扉を開け、中へ。

「今は別々だけど、大きくなったら一緒の部屋になるんだ」

 大きく、なれるのだろうか。

「アニクス、聞いてる?」

 下からのぞきこんでくる。

「髪、じゃまじゃない。前見えてる? おれのこと見えてる?」

 そっと前髪を分けられ、

「きれいな色なのに、なぜ隠すんだ。アニクスが年上だけど、ここのことはおれがよく知っているから、なんでも聞いて」

 アニクスよりきれいな男の子は胸を張り。

「アニクスはおれのお嫁さんになるんだから、おれがまもってあげる。いやなこと言われる、されたら、言って」

 何を言っているのか。なれるわけない。もっと条件のいい。いや、この国の有力者から。それとも予行演習か。いずれ迎える女性のためにどうなってもいいアニクスで練習。

「アニクス? 疲れた? だまっているけど」

 疲れた? 疲れたのかもしれない。

 こっちこっちとソファーへと。使用人がお菓子と飲み物をテーブルに。男の子はアニクスの様子など気にせず楽しそうに話し続けた。


「いつまで寝ているのです。ここでは好きなだけ寝ている暇はないのですよ」

 高い声とカーテンの開かれる音。

「早く顔を洗い、身支度を。ああ、着替えの手伝いはおりません。すべて自分で。できなくともこれからは自分でやってください。それが終われば朝食」

 てきぱきと指示を飛ばす女性。

「はい」と返事をして寝台から出て、洗面所へ。

 朝食が終われば、目の前には分厚い本が何冊も。

「この国のことを学んでいただきます。歴史、城での決まりごと、行儀作法も。リゲル王子、ライル王子には近づかないこと。いいですね」

「はい」

 つまり国王一家には関わるなと。当たり前といえば当たり前。関わらないで済むのならそれが一番いい。関わりたいとも思っていない。

 起こしに来た女性使用人が一冊取り、開く。この人が世話係だろう。厳しい声の調子からして嫌々。それならほっといてくればいいのに。レルアバドの城のようにいない者として扱ってくれれば。……何をしでかすかわからない者をほっておけるわけない。

 まず、この国の歴史から。黙って聞いていた。質問しても聞いていなかったのかと言われる。学ぶことは嫌いではない。知らないことを知れるのは楽しい。学ぶものにもよるが。

 一時間経った頃、扉を叩く音。

「入りなさい」

 アニクスは本へと視線を落としたまま。

「失礼しました。リゲル様」

 女性の声が変わる。

「何かご用でしょうか」

「城を案内する約束していたから、むかえにきたんだ。行こう、アニクス」

 足音は聞こえるが姿は見えない。

「リゲル様の手をわずらわせずとも、私どもがいたします」

「約束したんだから、おれがするよ。どいて」

 立ちふさがっているのだろう。近づけないよう。

「見ての通り勉強中です。この娘はこの国のことを何一つ知りません。学んでもらわないと。何も知らず、リゲル様に無礼を働けば」

 何やら言い合いが始まった。読んでいるものに集中。読んでどうなるわけでもない。それなら地図を見ていたい。もし、もしここから出られたら。どこから逃げる。どう逃げる、どこへ行く。

 城内も詳しく覚えないと。見回りもいる。どこかに隙はある。あの人が言っていた。

「よいですか姫様、絶対はないのです。どこかに隙や油断はあります。そこを上手くつくのです。そして諦めないこと。最後まで。私は、私どもは姫様の味方です。あなたは王家の血を引くただ一人。そして姫様を護るのが我々の役目です」

 だがレルアバドの王は認めなかった。自分がその座にいたいから。そのため対立、までいっていないが、アニクスに味方する者達と睨み合い。戦に負け続けている。そんなことせず仲良くすれば。……あの国王の性格では無理だろう。自分が正しいと信じ、あやまちを認めない。誰かのせいにすぐするから優秀な者は去り、従う者だけが残った。

「アニクス」

 近くで呼ばれ、思考から戻る。

「行こう、わからないことがあればおれが教えるから」

 テーブルにある筆を握っている手を握られる。

 見なくてもわかる。教えている使用人は行くなと睨んでいる。

 動かずにいると。

「アニクス」

 右腕を両手で引っ張られる。

「行こう」

「……いい、です。ここで、勉強しています」

「こう言っています。リゲル様もご自分の」

「おれのやることはアニクスを案内すること。だから行こう。勉強なんてつまらないだろ」

「リゲル様」

 使用人は困ったように。しかるに叱れないのだろう。もし、ここで手を振り払えば、不敬罪で。

 何も聞かず、目の前にあるものに集中しろ、踏ん張れと、じっと耐えていた。

 どのくらいそうしていただろう。飽きたのか、あきらめたのか、説得されたのか、部屋から出て行く。使用人はぶつぶつ言っていたが説明に戻った。

 

 部屋でこの国のことを学ぶ一日。食事もこの部屋。レルアバドではどういう教育をされていたのか、と馬鹿にされることも。一応教わっていたが、王が代わってからは食事が出されたり、出されなかったり。様子を何日も見に来ず鍵はかけたまま。だが味方の人達もいて、食事をこっそり持ってきてくれ飢えはしなかった。たまに町で流行っているお菓子を持ってきてくれて。鍵を開け、外にも連れ出してくれた。国王にばれれば激怒。辞めさせられた者も。助けてくれた人達には感謝している。ここにはそんな人はいない。手出しもできない。食事は出されている。飢えることもなく、凍えることもない。学べてもいる。これ以上望むのはぜいたく。

 王子は毎日やって来ていたが、使用人に説得され、アニクスを揺さぶるだけ揺すり、退室。遊び相手ならいるはず。王子なのだ、近づきたい者は多い。

「いつになったら案内させてくれるんだ。毎日毎日、勉強勉強で。勉強が終わったらって言っているけど、全然終わらなくて」

 五日経った頃か。怒りのにじんだ口調。

「私が城内の案内もしています。何度も申しますが、この娘はここのことを何も知りません。それをリゲル様となど」

「食事にも出てこないじゃないか。何度もいっしょに食べたいって言ったのに」

「申し訳ございません。その話はこちらまで入っておりません。それにリゲル様と共に食事など」

 いつものやりとり。騒ぐなら外でやってほしい。どうせ外には出られない。窓には格子。その窓から飛び下りればただでは済まない高さ。

 そういえばレルアバドでは木登りし、窓から外にも出た。出ても大丈夫な高さから、だが。

「アニクス!」

 甲高い声。耳がキンとする。

「案内してもらったのか。おれと約束していたのに。約束破って」

 約束していただろうか。この子供がしていると言えばそうなるのだ。していなくとも。正しいのはこの子で悪いのはアニクス。

「アニクス!」

 いつものように右腕を両手で取られ、揺すられる。いつものように耐えていた。

「リゲル様、わかったでしょう。約束も守れない。それならしっかり教えないと。リゲル様に逆らえばどうなるのか」

 ぴたりと止まる。

「アニクスに、何をする気」

「逆らったのですから」

「逆らっていない!」

「約束していたのでしょう。そしてそれを破った。それなら」

「おれが勝手に言っただけ、アニクスは悪くない!」

 なんというか、しりめつれつ? どうでもいいから解放してほしい。

「アニクスも勉強ばかりで嫌だろう」

「……いえ」

「そう言えって言われたのか、こいつに」

「いいえ」

「それじゃあ、おれが嫌なのか。全然見てくれないし」

 どう答えても使用人に小言を言われる。近づくなと言うのなら、近づけないようにしてほしい。

「このようではリゲル様のお相手もできないでしょう。遊び相手が欲しいのでしたら紹介しましょう。リゲル様と遊べるのならどのかたも」

「アニクス」

 いつかのように両頬に手を当てられ、王子と向き合う形。長い前髪の隙間から見える大きな瑠璃色の瞳。

「ちゃんとおれを見て。父上も母上もちゃんと顔を見て話しなさいって」

 誰が顔を見合わせられると。国の一番偉い者と。何も知らない、素直な子供。

 アニクスもこうではなかった。

 小さな町の小さな家に母と二人で暮らしていた。母が仕事で家にいない時は近所の人達が面倒見てくれ、年の近い子達と遊び、幼い子の面倒を見て。楽しかった。

 六歳の頃、母は病に倒れ、かえらぬ人に。流行はやりり病だったらしく、倒れたのは母だけではなかった。母しかいなかったアニクスは他の身寄りのない子供と一緒に施設で生活するはずだった。領主が生活に困らないよう手配してくれたのだ。

 施設に移る前日、伯父だと言う人が突然現れ、レルアバドの城へ。母は王族だった。きゅうくつな生活が嫌で城を出たらしい。

 そんなこと一言も聞いていない。身内がいるとも。母は居場所を誰にも教えなかったが、一人残されるアニクスのことを考え、たった一人の身内に手紙を出し、居場所をかした。そして伯父が直々じきじきに来た。

「妹は頑固だったからなぁ」

 伯父は少し悲しそうな顔で。

 伯父は国王だが子供に恵まれず、後継問題が起きていた。王族は伯父とアニクスの二人。

 伯父とはよく母の話をした。知らない母を知ろうとするように。母はよく笑っていた。どんな時も。だが城にいた母に笑顔はなかったようだ。

「父は厳しい人で、妹はそれが窮屈きゅうくつ、嫌だったのだろう。よく言い争っていた。勝手に結婚も決められ。それが引き金だったのだろう。何もかも捨てた。私もあの男が好きではない。これは内緒だぞ」

 優しく頭を撫でてくれ。

 今はその人が国王。伯父の妻、伯母の弟。伯母も弟のことは好きではなかったようだ。伯母はアニクスのことを可愛がってくれ。伯父がなくなってからは城から出て、暮らしていた。弟、国王に色々言ってくれていたらしいが。ギーブル行きが決まった時にも会いに来てくれて、ごめんなさいと何度も謝って。

 伯父と過ごしたのも二年。母とは違うが伯父も病で。その後の二年で国は。二年前から前髪を伸ばし、目を隠し始めた。栗色の髪、水色の瞳。母と同じ色。瞳は伯父とも同じ。王族は水色の瞳だと。

 今の国王にも娘はいるが、どんな目にうかもわからない。そんな所に送れないと邪魔でどうなってもいいアニクスをギーブルに押し付けた。戦後の交渉でギーブル側が王族を送れと言ってきたらしい。押し付けたからといって取られた地は戻ってこない。

 答えずにいると飽きたのか、嫌気がさしたのか、呆れか。手を離し、部屋から出て行った。

 二人になると使用人は「なんです、あの無礼な態度は」といつもの小言が始まった。


「行きますよ」

 その日の夕方、面倒を見てくれている使用人は苦々しい声と顔で。

「陛下が夕食を一緒にと。くれぐれも失礼のないよう。と言っても無駄なのでしょうけど。行儀作法ができていないと何度も言っているのに、まったく」

 部屋でぶつぶつ。部屋から出ると、ぴたりと口を閉ざした。


「失礼します」

 夕食が用意されている部屋。入る前に止まり、

「頭を下げる」

 小声で言われ、頭を下げた。ここに来るまで、廊下を歩いているとアニクスを見てこそこそ話していた。これもレルアバドの城と同じ。

 どこも同じなんだなぁ、と自分の足を見ていた。

「こっちだよ」

 はずんだ声が近づいてくる。数時間前と同じ、手を握られ、引っ張られる。

「リゲル様!」

「うるさい」

「その娘は末席で十分。どこへ」

「おれのとなりに決まっている。だってアニクスはおれのお嫁さん、妻になるんだから。そうでしょ、父上」

「そのようなふざけたこと」

「ふざけていない。あんなうるさいのがいて大変だろう。それに部屋から出ていないって。案内しているなんて、うそついて」

「嘘などついては」

「リゲル、それから君も落ち着きなさい」

「申し訳ございません」

 王子の横の席に。背後には女性使用人。

 上座に国王。右側に王妃様と弟王子。左側、王妃様達の対面に王子とアニクス。それぞれの後ろにも使用人がついている。五人で食事するのには長すぎるテーブル。

 いただきます、と小さく口を動かす。手を動かせば後ろから、こう持つ、これから食べる、こう食べる、と指示が。部屋では一人で食事していた。行儀作法と言うが誰もおらず、好きに食べ、終われば片付けに。片付けに来た使用人も何も言わず黙々と片付け、部屋から出て行く。朝も昼も夜も。

 誰もいなくてもきれいに食べていた。母や伯父から外に出ても何か言われないよう教えられている。ただ言いたいだけなのだろう。そしてこの席には相応ふさわしくないからもう呼ぶなと。

「うるさいよ。ライルも耳をふさいでいる。アニクスだってうるさいだろ。こんなにガミガミ言われて」

「申し訳ありません。これもこの娘のためなのです」

 食べ終わったら部屋に戻っていいだろうか。黙々と食べていた。

「リゲル、嫌いなものを避けるな。姫はきれいに食べている」

「……アニクスは嫌いなものないの。何が好き」

 答えず、黙々と。好き嫌いなど。恵まれているからできる。どうせ話そうと話すまいと睨まれる。その前に、食べているのに話せば。

「アニクス」

 むくれた声。

「おわかりいただけたでしょう。このような席に相応しいとは」

「勉強ばかりで外に出ていないようだね」

「いえ、出しています。城の案内も」

「そうか。それなら誰もその子を見ていないのは。夜中に案内しているのか。見回りの者が見かけていそうだが」

「偶然でしょう。静かな娘ですし。皆関わりたくないと」

「君は少し厳しいようだから、別の者に代えよう。それと明日一日は自由に過ごすといい」

「っ」

「じゃあ、明日こそ城の案内をしていい」

「ああ」

「天気が良ければ、庭でお茶でもしましょうか。久しぶりにお菓子を作るのも。何がいいかしら」

「母上の作るお菓子はおいしいんだ」

 家族でにぎやかに。


 翌日、思った通り、鍵がかけられ、部屋の外に出られない。朝食は食べられたのでよかった。テーブルには菓子と水差しもある。どうせなら本を置いてくれていれば読んでいたのに。

 扉を叩く音とノブを回す音が聞こえるが開かない。鍵はどこかに隠され、今日は一日出られないだろう。そして明日、約束を破ったと。

 子供のアニクスでもわかる考え。それともアニクスの性格が曲がっているのか。レルアバドの城でも国王の息子、娘、貴族の子にも似たようなことをされた。

 居間ではなく寝室の日当たりの良い場所に。あったかいなぁ、と外を見ていた。ここ最近は勉強ばかりでゆっくり、ぼんやりする時間もなかった。今日はゆっくり過ごせるだろう。


「どこにいたんだ」

 なぜか今日も夕食は国王一家と。むくれた王子の声。背後にはそれまでとは違う女性使用人。

「案内するって言ったのに、部屋にいない、どこをさがしてもいない」

 夕食に迎えにこられた時には鍵は開けられており。

「父上も母上も楽しみにしていたのに」

 家族で過ごせたのだからそれで十分では。なんの不満があるのか。アニクスにはわからない。

「明日、明後日と時間はある。そう急がなくても」

「そうですよ。今度一緒に何か作りましょう。何がいいかしら。女の子がいたら一緒にお菓子を作ったり、お洋服を選んだりしたかったの」

 王妃様の楽しそうな声。使用人が止める。使用人でなくても、王子狙いの親子も。部屋にいるから平和でいられる。出たら。……ばれなければ相手にされないか。レルアバドの城にいた時のように。あそこでの経験がここで役立つとは。

 黙っていても話題はころころ変わる。


 部屋に戻り、ソファーに座って今日の小言を待っていた。

「お風呂に入られるのなら、手伝いますが」

 その使用人は今までの使用人のように一日の小言を言わなかった。

「大丈夫です。一人で入れます。おやすみなさい」

 頭を深々と下げ、お風呂場へ。あの使用人も国王に言われ、嫌々、仕方なくアニクスの面倒を見てくれているのだろう。なるべく手間をかけさせないようにしなければ。

 鍵をしっかりかけて入る準備。

「これは誰にも見せちゃだめよ。見つかれば悪い人に、さらわれてしまう」

 左腕の内側。肘と手首の中間に三センチほどの青色の鱗のようなものが一枚だけあった。

「あなたのお父さんにも同じものがあったの。あの人も隠していた。悪い人に見つかってはいけないから」

 普通の人にこんなものはない。母は医者に診せることもしなかった。なんでも父の血筋の者に代々現れるそうだ。取ろうとしても取れないとも。もっと幼い頃には小さかった。成長するにつれ、大きくなり、このまま大きくなって全身に広がったら、と怖くなったこともあるが、今のところ大きくなることもなく、母も大丈夫だと。

 悪い人、というのもどういう人かわからないが、見せても気味悪がられる。何かの病気だと隔離。

 母の言いつけ通り、誰にも見せなかった。暑い季節になっても肌が弱いと言って長袖ばかり。それでも、ここやレルアバドの城と違い、元気に走り回っていた。最近はテーブルに張り付いて。部屋の中でできる運動をしなければ体力が落ちそうだ。

 お風呂に入り、ぼんやり考えていた。


 起こされる前に起きる。これも最近身につけた。面倒を見てくれている使用人が部屋に入って来て寝ていたら、色々言われる。起きて部屋のカーテンを開け、顔を洗い、身支度。そうしていると朝食が運ばれてくる。朝食が終われば使用人が本を持ってきて、勉強。

 本が運ばれてくるのを待っていたが、来たのは王子。扉を叩きもせず入って来る。

「入る前には必ず扉を叩くか、声をかけてください」

 王子は使用人の言葉に頷くと、座っているアニクスの前まで来て、

「今日こそ行こう」

 いつものように右腕を引っ張り。

「リゲル様、走らず歩くのです。歩調は合わせて」

 止めもしない。むしろ送り出して。

 手を握り直し、部屋から出て、廊下を歩く。王子は一人で話し、進んで行く。周りはいい顔をしていない。見なくてもわかる。だからいつものように俯いて。

 やはり体力が落ちている。アニクスの歩調、様子など気にせず、王子は自分の歩調で。時には走り。何度かつまずきそうに。それすら気づかない。

 連れ回されていると、

「リゲル様」

 高い声。

「お久しぶりです。ここで会えるなんて。ここで何を。おひまですか。それなら、わたしとお散歩しません。いつも案内してくれるでしょう。その後はお茶でも」

「今はアニクスを案内しているから」

「アニクス? 誰です。どこの貴族の方です」

 王子の背後に黙って立っていた。

「レルアバドから来たんだ。だから何も知らなくて」

「使用人に任せればよろしいでしょう。リゲル様が案内せずとも。それとも、その者が案内しろと言ったのですか。負けたくせに」

 どこに行っても同じだなぁ、と。レルアバドでも高飛車に。

「行きましょう、リゲル様」

 握っている手の方、王子の腕に女の子が抱きつく。簡単に手は離れ。

 アニクスといるより楽しいだろう。説明されても黙っていた。何も話さなかった。

「ありがとうございます」

 ここまでの案内のお礼を小さく言い、頭を下げて、背を向ける。どこかわからないが一人で歩けるだけ歩いてみよう。体を動かさないと、と思っていた。


 広い。自分が小さいからそう思うのか。大人は平然と行き来している。

 どこにいるのかもわからない。部屋は。どこも同じように見える。もう少し歩いて、どこかで休憩。もう少し、もう少しと歩き続け、辿り着いたのは図書室。

 ほわぁぁぁ、と高い天井近くまである本棚を見ていた。疲れていたが、どんな本があるのだろうと歩き。

 使っているのは大人ばかり。そのためか子供が読むような本はない。手の、背の届かない棚は見えないが。

 地図の本を手に取り、机に移動。いた国、今いる国を見ていた。


◆◆◆

 アニクスを案内していたのにじゃまをするように現れて。ぐいぐい引っ張られ。女の子には優しくしなさいと言われている。ふり払うこともできず。

 後ろを見れば、背を向けてどこかへ。

「アニクス」

 声をかけても振り返らない。聞こえていないのか。部屋に戻るのか。わかるのか。リゲルが話しかけても黙っていた。ちゃんと聞いていたのか、見ていたのか。リゲルはアニクスを見ていなかった。

「お菓子を用意しましょうか」

 近くを歩いていた使用人が声をかけてくる。

「ええ、持ってきてちょうだい。リゲル様、どこに行きます。お庭? お部屋? わたしはリゲル様のお部屋が」

 おやつもアニクスと食べようと。ようやく案内できる、話せる、仲良くなれると思ったのに。

「リゲル様?」

 この子もリゲルより背が高い。リゲルは八歳。アニクスは十歳だと聞いている。この子は一つ上だったか。近くでじっと顔を見ている。

 約束していた。それなのに。

「ごめん。約束があるんだ」

 手が離れている今のうちに。その場から走り出した。


「どうしたリゲル、元気がないようだが」

 夕食時、父にそう声をかけられた。

「アニクスもいないな。慣れてもらうために一緒に食べたかったんだが」

 あの後、さがして、さがして、図書室で見つけた。アニクスは大きな本をじっと読んでいて。勉強しなくていいのに。それとも勉強するのが好きなのか。リゲルはあまり好きではない。だが、いずれ父の後を継がなければならない。それとも怒っているのか。約束しておいて別の子と。

「アニクス」

 声をかけても反応がない。じっと本を見ている。そんなに面白いのかと見ると、地図。どこの地図かわからない。アニクスはわかっているのか。

「どこの地図?」

 答えはない。待っても、名前を呼んでも。むっとして見ている本を取った。そこでようやく顔を上げてリゲルに気づいた。

 上げて、すぐうつむく。どうしてうつむくのか、見ないのか。

「案内の続き、行こう」

 アニクスへと手を伸ばす。

「行こう」

 伸ばしたまま。だが、いつまでも握ってくれない。他の子なら喜んで握ってくれるのに。

「もういい、もう案内しない」

 背を向け、走り出した。そこからは知らない。

「喧嘩でもしたのか。そこまで仲良くなったのか」

 父は笑って。

「なっていません。おれより本を読んでいるほうがいいみたいだから」

「なるほど、本に取られて機嫌が悪いのか」

「だって話しかけても見てくれない。話しもしてくれない。きらわれて、いるのかな」

 何かきらわれることをした覚えはない。それほど話していない。

「怖いのかもしれないな」

「こわい?」

「リゲルもいきなり生活している場所が変われば戸惑うだろう。しかも知らない場所、知らない人に囲まれて」

 もし明日どことも知れない、誰も知らない場所に一人いたら。

「明日あやまります」

「ゆっくり慣れてもらおう。大人より年の近いリゲルが話しやすい。仲良くなるのもリゲルが早いだろう」

「はい」


◇◇◇

 どれくらい時間が経っただろう。お腹が空いた。そこで本から顔を上げる。

 大まかなことはわかったが、どこをどう行けば戻れるのか。そもそも戻っても。戻るのはあそこでなくても。別の場所。それならどこへ。と考えているうちにさらに時間は経ち。部屋への道もわからない。聞いても教えてくれないだろう。外を覚えるより、まずここを覚えないと。俯かず、周りを見ていたら、王子の説明を聞いていたら。ここで反省。しても仕方ないのだが。

 あの王子ももう来ない。使用人も案内してくれないだろうから、ひまな時間に少しずつ行動範囲を広げて。考えながらなんとか部屋に辿り着いた。図書室までの道のりはなんとか。体力も落ちているから疲れた。

 夕食はないだろう。王子を怒らせた。なぜ怒ったのか? 友達と楽しく遊んでいたのでは。

 しかし夕食は用意されており、

「どこにいらしたのです。夕食も、陛下達と一緒にと。ですが部屋におられなかったので」

「ごめんなさい」

 それでも用意してくれた。お腹は空いている。用意されているテーブルについた。

 翌日、なぜか謝りに来た王子。王子に謝罪させるなど。ますます睨まれる、よく思われない。わけもわからずアニクスも謝った。

「今日こそ案内する」と言われたが、昨日と同じ。どこからともなく女の子が現れ、王子を連れてどこかへ。この国の者にすれば突然来たアニクスに王子を取られるのは面白くないだろう。娘を妃として育てているのなら、なおさら。

 今日はちゃんと聞いていた。部屋に戻り、こっちに行けばここに。こっちは、と自分で行動範囲を広げ、道を覚えていた。

 毎日、ではないが王子は来る。来て、部屋から出る。途中で女の子や臣下がアニクスと引き離し。王妃様がお菓子作りに誘ってくれたこともあったが、厨房の者や使用人はアニクスを厨房に入れることを拒否。何も持っていないが、何か入れられては困るから。頭を下げてその場を去った。

 夕食だけでなく、おやつの時間に国王一家にお茶に誘われたが、途中で現れた親子に場所はこっちじゃない。あっちに変更になったと嘘を教えられ。逆らう気もおきず。親子は他の者を押しのけてでも国王一家と一緒にいたいのだろう。アニクスはそこまでいたいわけでもない。城内を一人歩き。庭で日光浴。夕食時に王子から、なぜこなかった、と言われ、謝って終わり。そんな日々を送っていた。

「手紙を書けばどうだろう。国の者も心配しているだろう。こちらでの生活を書いて」

 国王がそう言ったので書いていた。

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