◆1-10:メラン 第三機関室
広大な機関室を斜めに滑空しながら、メランは自分が手にした不思議なデバイスを観察していた。
連盟規定の人工昼間光を浴びて、メランの視覚に青黒い波長だけを返す正体不明の平たい物質。遠目で見たときには、丸型の男の思わせぶりな構え方もあって、エネルギー炉に深刻な損害を与える照射兵器のようなものかと早合点したのだが、改めて考えてみればこの小さな機器にそれほどの出力があるとは思えない。もしかするとこれ自体に破壊能力はなく、すでにセットされた爆弾を起爆するための装置なのだろうかと再び当てずっぽうの推量をする。
艦内には先ほどから非常事態を報せる警報が鳴り続けていた。復旧に努めてはいるが、念のため独立航行可能な避難用モジュールに退避し、そこに留まるようにと。アナウンスは繰り返しそう告げていた。
機関室の広大な空間を端から端まで渡り切り、もうすぐ通用口、というところでメランの視界に黒い影が映る。
焦点を合わせると黒い
武装の類は見当たらない。かなり小柄ではあるが身体付きからして男だろう。顔はシールドに覆われていて見ることができなかった。
単純なサイズ感で言えば農場区画で出会った子供たちと大差のない体格ではあるのだが、一見して迷い込んだ子供のようには感じなかった。
無論、増援に現れた味方でもあり得ない。軍事部門のスーツとはデザインが違っているし、黒を基調とした意匠は、どちらかと言えば先ほど戦った二人の奇妙な男たちが着ていたものに近い。なにより、手摺りに掴まり身構えるその身のこなしが、こちらへの警戒と敵意を隠し切れずにいたのが決定的だった。
無重力空間をこのままの慣性で進めば二人は衝突する。相手が場所を譲ってくれればメランは彼が今いる場所に着地できるが、きっとそんな紳士的な結果にはならないだろう。
お互い無手同士に見えるが、奴がテロリストの仲間であれば何を隠し持っているか分かったものではない。仮にそうでなくとも、手摺りで身体を支え、艦の質量を背にしている相手の有利は疑いようがなかった。
メランは腕をクロスし、脚を前に折り畳んで、首筋と胴をガードする構えを取る。
それに呼応し、黒いスーツの男が手摺りを握ったまま身体を開き、彼の左脚がかかと落としの溜めを作って大きく持ち上がる。十分に引き付けてから無防備な後頭部に打撃を加える気だろう。あのしなやかなバネから振り下ろされる一撃は、当たれば現在の慣性速度に更なる加速を与え、メランを鉄橋の床に叩き付けることになる。
確定した未来が見えたその瞬間、メランの身体が不意に速度を増し、右に流れた。黒スーツの男から見て左。機関室から脱して艦の内殻通路へと抜ける向きに、相手が到底予期し得ない急激な方向転換を遂げたのである。
ベクトルを捻じ曲げた力の正体は、スーツ右手に搭載されたドライヤーの風圧だった。もちろん髪を乾かすような普段使いの出力ではない。非殺傷兵装が基本であるメランたち警備員が、暴漢の不意を突く手管の一つとして持つ特製の風圧装備を無重力下の
黒スーツの男が手摺りを
一方のメランは通路の床に接地すると、思い切り踏ん張って床を蹴り、鋭角な反射角を作って黒スーツの男に飛び蹴りを繰り出した。
相手を逃げるものだと決め付けていた黒スーツの男はメランのその動きに面食らう。身構える間もなく、頭部に強烈な蹴りを食らうこととなる。
もしそれが、手摺りから手を離したあとであったなら、彼の身体は機関室の広大な空間に放り出されていたであろうが、黒スーツの男は必死で手摺りにしがみ付き、自分より一回りは大きいメランの質量にどうにか耐えきる。
二度の変化で相手の意表を突くことに成功したメランであったが、全てが上手く運んだ訳ではなかった。黒スーツの男を次の足場にして、自分の方は通路奥に戻ろうと
メランは首を後ろに仰け反らせて踏ん張る男と絡み付くようにしてぶつかり、大きく体勢を崩すことになった。
身体を
数瞬後、手首の先からゴウと風を噴かせ、メランの身体は通路奥に弾き飛ばされる。その足首を黒スーツの男がガッシと掴んだ。
出力・噴射時間とも最大にセットされた
黒スーツの男は床や壁、あるいは天井に対し懸命に足を突っ張らせ、メランを先に行かせまいとする。
対するメランは、あの二人組がいる機関室からできるだけ距離を取ろうとし、こちらも懸命に床に手を掛け、前へ前へと這い進む。
最早どちらが天井か床かも分からない混乱した状況。メランにしてみれば、垂直にそそり立った壁面に張り付いて
メランがもう一度手首に指をやってから、今度は男に向かって右手を
その動きに気付いた男が噴射の寸前で身体を横に
──再びの暴風。
二人はもつれあったまま、通路のさらに奥へと転がり込むこととなった。
メランの視界はぐちゃぐちゃに暴れて揺れた。
互いに何度も身体を壁にぶつけながら、それでも男はメランの身体を離さない。
単純な
メランの前進を思うように止められない相手の男にしても、どうにもならない質量差を前に歯噛みしていることだろう。
何度もバウンドしながら幾つかの岐路を通り過ぎ、ベクトルの
技量もへったくれもない、ただの我慢比べのような状況に
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