◆1-3:フリードマン 管制室

 メランたちトライデンアッシュ社の社員が詰める控室から直線で8㎞ほど距離を置いた区画。モジュール単位でいえば縦に4区画挟んだ先にあるベルゲンの管制室は、数分前から重く張り詰めた空気に包まれていた。

 誤解のなきようただしをすが、これは月並みな修辞技法レトリックである。〈エアコン〉の不調で室内が増圧されているというわけではない。艦内は1G1気圧が保たれていた。ただ、今のところは。


 始めはほんの小さな異常であった。普段どおりの淡々とした業務連絡の中に、時折軽微なトラブル報告が混ざるようになる。循環浄水層から艦内農場区画への漏水、空気清浄を司る複合サバチエ機関の異常停止などだ。

 いずれも、巨大な艦全体から見れば単なる一区画の設備故障に過ぎない。隣接区画からの融通で代替している間に修繕は可能であるし、それくらいのトラブルは7万人超が生活する〈小都市クラス艦〉のベルゲンにとってはまさしく些事さじであった。

 だが、管制室にいるオペレーターたちのそんな楽観も、それから半時後にはより深刻なものへと改められることになる。同程度か、それよりも厄介な事故や事件が、艦内のあらゆる区画から次々と報告されるようになったのだ。


 ベルゲン居住区の市政を預かり、また、慣例によって艦長職も兼務するフリードマンは、異常発生の初期から管制室に呼び出しを受け、ワイシャツ姿で現れたきり艦長席から離れられずにいた。

 そこで本日三件目となる火災発生の報を受けた段階で、彼は今日中にこなす予定だった執務のことも、ランチタイムに予定していた会食のことも諦めていた。


 フリードマンと彼のチームは、非番のエンジニアまで駆り出して応援に当たらせるよう特例指示を発布したり、区画間の連携を指示したりなどで対処に当たろうとするが、そんな小手先の対応ではすぐに手に負えなくなる。おごそかに秩序立っていた管制室が今では、教師のいない自習時間が如き混沌を呈していた。


「静かにしろ。一旦すべての報告と対応を止めるんだ。現時刻より艦の戒厳レベルを4に引き上げる」


 フリードマンが重厚で張りのある肉声を震わせると、その音圧が他の音を根こそぎぎ払い、室内の喧騒はピタリと収まった。

 同時に彼の手元の端末では今の宣言と同じ緊急コマンドが入力されている。


「〈オラクル〉の提言は?」

「戒厳レベル4への移行を支持しています。その上で総統括AIを再起動リブートせよと」

「統括AIを?」


 フリードマンはいぶかしげにつぶやいた後しばし黙考する。

 彼はてっきり現状に最適化された復旧計画を提案されるだろうと考えていたのだ。あるいは艦内機能の一時的な全面委譲を促されるかと。

 AIによるヒューマノイド社会への過度な介入は禁じられているが、今こそその原則が存分に破られるべきときのはず。

 では、だとすると現在起きている現象は、個々の故障や事故が積み重なったものではなく、それらを制御する統括AIのエラーに端を発しているということなのだろうか。


「現場に向かった者たちからは、被害は全て現認されたと報告されています」


 オペレーターの一人がフリードマンの考えを先回りし、キビキビとした声で報告を上げる。現地へ確認に向かわせたのは、数分前のフリードマンによる指示であった。

 センサー類の誤動作でもなく実害が出ている。つまり、彼が預かる艦の住人の生命が現実におびやかされているのは間違いない。この混乱を収拾するには、やはりヒューマノイドの判断と処理能力を超えた統括AIの能力が不可欠だ。それも今すぐに。


「各セクションへの対応指示や承認は〈オラクル〉の提言に基づいて行っております。マニュアルから逸脱する事例もなく、すべて妥当なものと思われるのですが……」


 オペレーターが言葉を濁すのを聞いてフリードマンはつい苛立いらだちを表にしてしまう。


「なんだ? 進言するのなら自信を持て」

「はい。極めて感覚的な話なのですが、〈オラクル〉の応答に少々もたつく印象があります。問い合わせと分析に掛かる過負荷が原因という可能性もありますが、その……、〈オラクル〉自体も怪しいのではと……」


 進言に耳を傾ける途中、フリードマンは彼女の肌に浮かぶ緑色の紋様を見て、彼女が有形無形の情報群から解を導き出す直感力に秀でた星系種族であることに気が付いていた。

 しっかり考えを主張するように指示してもなお彼女が言葉を濁したのは、おそらく自分の考えに自信がないからではない。ベルゲンの住人にとっては〈オラクル〉自体が空気や電力に並ぶほどの重要な生活基盤インフラであるからだ。


「よし。始めに〈オラクル〉AIをリブートする。リブート後も〈オラクル〉の判断が変わらなければ、そのときは統括AIと各セクションの末端AIのリブートを順次行う」


 フリードマンが腹をくくってそう宣言すると、管制室は慌ただしくしながらも、いっときは元の整然とした機能を取り戻したように見えた。


 ──だが、時間を置き再び起ち上がったあとも〈オラクル〉の示す判断は変わらず、結局は統括AIのリブートが実行に移されることとなる。


「マニュアルコード:ゼーター、0、0、6に従い再起動シークエンスを開始。艦基幹区域ならびに全居住区画にも同報を通達」

「艦長。操舵室への指示はどうしますか?」

「何もするなと伝えろ。巡航速度は維持したままだ。今は余計な負荷を掛けたくない」


 他から独立した助言装置に過ぎない〈オラクル〉AIはともかく、総統括AIは文字通り艦の総てを統括制御する重要な演算装置であり、その取扱いには繊細な配慮を要する。リブートは順次実行され、その間は別のサブシステムが必要な働きを補うことになるのだが、万全な平時に比べると半眠半醒のていは否めず、艦にとってその時間が保安上大きな隙となることは間違いなかった。

 何もあるはずはないが、万が一何かが起きた場合でも、適切に、直ちに、遺漏なく対処できるようにするための安全弁。艦搭載の総統括AIにはそのための役割が課されていた。その堅牢の上にも堅牢を目指した備えが、今まさに取り払われようとしている。


 統括AIが静かに眠りに就いていく気配を感じながら、管制室にいる誰かは思っていた。

 、奴らと会敵するようなことがなければよいがと。


 幾千幾万の銀河を股に掛ける統一銀河連盟が、最後に〈彼ら〉と接触したのは今から40年近く前。それも、この宙域とは全く異なる遥かに遠い宙域での出来事である。

 よりにもよってこんなときに次の遭遇が起こるなど、不運の上にも不運が、その又上にも更なる不運が幾重にも重ならなければ起こり得ない杞憂のはず……。


 このとき、ベルゲンの窮状を把握する誰かが、そんな悪い予感を心の中で芽生えさせたとしても、それは特段責めを受けるべきいわれはなかったはずである。

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