第2話 奇形獣

 皮の翼の羽ばたきと二種類の獣の唸り声が石室を振動させる。

 その声は獅子のものと、甲高い声に合わせて息を吐きだすような音。

 「竜」の咆哮だ。

 

 獅子と竜の双頭に蝙蝠の羽、尾には蛇が生えた怪物、奇形獣キマイラが、後ろ足で床を蹴り、猛烈な勢いで飛びかかってくる。


 その先には2mを超える大男とフードを深くかぶった猫背の老婆。

 老婆がぶつぶつ呟きながら後ろに飛びのいて、大男、ナユタが背中の剣を抜く。


 東洋の戦士が好むカタナと呼ばれる類の刀剣だが、反りが少ない黒塗りの直刀で、異常に大ぶりな形状は、剣というよりは鈍器のような印象を感じさせる。

 

 獅子の前足から繰り出された鋭い爪を剣で受け止め、ナユタの腕の筋肉が膨張した。その膂力と反射神経は人間のそれではない。戦いの緊張感に手応えを感じたナユタの口元が微かにほころぶと、剣が触れている獅子の掌からぶすぶす音を立てて煙が上がり、肉の焼ける嫌な匂いが漂い始めた。


 『武器熱化』

 老婆、アシュリーが施した呪術が発現し、剣が赤く発熱していく。

 炎への恐怖から、怪物が本能的に飛びのこうとする寸前、ナユタの脳内に声が響いた。


 "これから竜の頭が火を噴くよ。上から叩きつぶしな。"

 アシュリーからの『念話』だ。

 ナユタは声に従って剣を上段に構え直す。

 怪物が飛びのくのに合わせ、一歩半前に出て、逆に間合いを詰める。

 竜の口が大きく開き、首を大きく膨らませた。


 ここだ。

 ナユタは『念話』に答えるように頭の中でつぶやき、熱で周囲の空気を歪めていた鈍器を振り下ろす。

 嵐の夜に薙ぎ倒される樹木のように、バキバキと音を立てながら、竜の頭が首元までめり込んだ。

 と同時に、怪物の体内から放出されようとしていたガスと炎が行き場を失い、竜の首が根元から爆散し、肉片が飛び散る。


 頭部の一つを失った怪物の叫びが迷宮にこだました。

 だがそれに応えるものは誰もいない。


 獅子の声を意にも解せず、ナユタは一拍で三打、軽々と灼熱の鋼を振り回し、獅子の顔を容赦なく打ち据える。

 切れ味の鈍い剣は、重量と力だけで肉を潰し、裂き、熱で焼く。

 

 太鼓を打ち鳴らす楽士のように踊るナユタが四拍目を数える頃、頭を潰された怪物は崩れ落ち、だらしなく足を床に投げ出していた。一部残った黄金のたてがみだけが、獣が獅子であった頃の名残を伝えている。


 初めて見た奇形獣の姿が気になって、ナユタは子供のように怪物の羽根をつまみ上げて覗き込む。

 その時、怪物の尾に生えていた蛇の頭が動き出し、ナユタの右腕に牙を立てた。


 『鉄身』

 アシュリーが唱えた呪術により、硬化した腕が獣の牙を弾く。

 ナユタはもう一方の手で、蛇の首元を掴み、難なく引きちぎった。


 「最後まで油断するんじゃないよ!」

 脳内ではなく、空気を通して老婆のようなアシュリーの声が伝わる。

 フードを上げたその表情は、長い銀髪の少女の顔だ。

 ただ、見た目とは不釣り合いの、光を吸い込むような深く黒い目をしている。


 「俺は油断してないよ。アシュリーが助けてくれるってわかってたから。」

 アシュリーとは逆に、少年のようなきらきらした目でナユタが答える。

 赤黒く大柄な体に、総髪に結った長い髪。屈強な船乗りか海賊を彷彿とさせる風貌だが、穏やかな表情は人懐っこさを感じさせる。


 「山ん中じゃこんな獣、見たことないな。なんてやつ?」

 「『キマイラ』だよ。昔、神様きどりの錬金術師が造り出した怪物さ。獅子と竜と蛇に大空を舞う翼を合わせた最強の怪物。…になるはずだった。」

 物思いに耽るようにアシュリーが答える。

 「の割には、大したことなかったねえ。」

 と言いながらがっくりとしてナユタは肩を落とす。


 「実際にできたのは、竜よりも弱く、獅子よりも遅くて、蛇のように潜むこともできない哀れな獣さね。しかも、一つの身体に3つの頭を持つキマイラは、意志統一ができず、常にいがみ合って神経をすり減らしてるんだ。あいつらは獲物を襲う時にだけ、心が一つになり、お互いに協力することができるのさ。」

 「そうかい。じゃあ最期くらいは安らかな顔で逝けたといいな。」

 「あんたが顔面を滅茶苦茶にしちゃったから、わからないけどね。」

 苦笑いをしながらアシュリーが言う。


 他愛のない会話を交わしながら、ナユタはかつて怪物だった肉塊を蹴飛ばし、迷宮の地図を眺めながら、歩みを進めていく。

 ここ地下4階は多数の流砂の罠が配置されているが、罠を避けて地下5階に行けば、秘境の山の谷底にある巨人族の里に抜けられるという。


 「巨人の里まではまだ長いんだから、気を抜いて怪我なんてしないどくれよ。」

 「そうならないように、アシュリーが助けてくれるんだろ?」

 大きなため息をつくアシュリー。

 「まあね。あんたは大切な『人形』だから。」


(続く)

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