再会 9/追憶
カオスナイトメアの
俺は頑張った。全力で、いや、それ以上の力で戦ったんだ。
何が悪かった? 元から敵うわけなかった? そう、強さの次元が違った。勝てるわけなかったんだ。
遠のく意識のながで、先ほどまでの戦いが脳裏を駆け巡った。
「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ――」
息が苦しい、胸が詰まる、手足が全身が鉛みたいに重い……。
まるで息継をさせてもらえず永遠に泳がされているようだった。
俺は一瞬も休まず黒姫へ叫び続け、カオスナイトメアへ連続で攻撃を叩き込んでいた。
「……っ! まだまだ――! 【
『ガァアアアアアアアア――』
呼びかけに黒姫は漆黒の焔針へと、その姿を変化させ中空にて月光を反射する。
右手を振り下ろすと2対のニードルが空気を引き裂きながら飛翔し、牛馬じみた頭を襲う。
左目を潰されたのが余程に効いたのか、腕を振り上げて大げさに避けるカオスナイトメア。
舞い上がる砂塵に目を細めながらも、その隙を見逃さない。
「うぉおおおおお! 黒姫!【
死角となっている奴の左側へ爪先を滑り込ませる。
無造作に上げた左腕で上半身は大きく流れ、腰回りに大きな隙が生まれていた。
ガラ空きになった腹部へ黒焔爪を叩き込み、炎を爆発させる。
『ブォオオオオ〜〜〜〜〜〜』
唸り声をあげて怒り、人の胴体の倍ほどの筋肉が膨張した剛腕で殴りつけてくる。
迫り来る拳をしゃがみ込みながら避けると、頭上を凄まじい勢いで通り抜ける。
何本もの髪の毛が風圧により舞い上がった。
極太の蹄の横を転がりながら通り抜け、もう一度、黒焔針を打ち込む――
ここまでの善戦を誰が期待しただろう。
そう、自分自身も信じられなかった。
初撃の黒焔針が奴の左目に突き刺さり、その視界の半分を奪ったのが大きかった。
傷を負ってもしばらくすれば再生する妖魔は多い。
目の前の怪物も同様に、軽度の傷なら時間が経てば回復するようだ。しかし、目などの鋭敏な器官は流石に直ぐ再生とはいかないようだ。
残された右目を庇いながら防御するカオスナイトメアの動きを逆手にとって、奴の攻撃をコントロールすることは容易かった。
そして、何より――
自分の身体が自分のものでは無いと思えるほどに動いた。
腹の底から湧き上がる魔力の波動が、身体強化魔法でもかけたほどの能力を向上させている。
そして何より、黒姫の使用回数が飛躍的に上がっていた。
通常では2、3回連続すると魔力切れを起こし、黒姫は元の世界へ還ってしまう。
しかし今はどうだ。
俺の元で顕現し続け、カオスナイトメアに対してその力を存分に表していた。
『ブゥオラララ〜〜〜』
たてがみから
鋭利な棘が降り注ぐ中、俺は焦らず前方へ移動して蹴り上げを体の回転でいなす。
以前の俺なら棘に貫かれ、蹴りをまともに受けて絶命していただろう。
しかし、相手を凝視して意識を集中すると、左目が相手の攻撃を映し出し逃げるべく場所を教えてくれていた。
驚くことに、相手が繰り出す攻撃の軌道がこの目に映るのだ。
身体強化の一種なのだろうか?
しかし、今の俺には考えている余裕も無いし、それ以上にどうでもよかった。
ただ目の前の巨大な力を持つ妖魔、カオスナイトメアと互角に渡り合えているのだから。
攻防を繰り返すこと数十回、いきなりカオスナイトメアが俺から距離を取るため後方へ飛んだ。
なんだ? 耐えきれずにとうとう逃げ出したか?
俺の攻撃はカオスナイトメアへ確実に当たり、その体に傷を刻んでいた。
小さなダメージをコツコツと積み上げ、身体中から血を流し、火傷を負った今では奴の動きも鈍くなってきていた。
――しかし。
攻撃を続けていく中で、最後の一撃、この怪物を仕留めるイメージができないでいた。
奴を仕留める大火力、必殺の攻撃が自分には無いことを知っている。
だからこそ、休む暇を与えず手数を最大限にダメージを蓄積させているのだ。
しかし、このままでは流石に自分の体力と魔力が枯渇してしまう。
その前に倒し切れるのだろうか?
そんな俺の焦りを見透かしたかのタイミングで、カオスナイトメアが後方へ距離を取ったのだ。
嫌な予感が走り、頭の中に最大の警戒音が鳴り響く。
この距離はマズイと!
視線の先、巨大な妖魔が暗闇の中でも笑った、そう見えた。
カオスナイトメアが両足を踏ん張り、胸を反らせて大きく息を吸い込む。
胸の盛り上がりが異常なほど膨れ上がっていく。
1つ残っている真紅の瞳が怪しい輝きを放つ。
「スキルが来る! こちらへ」
バーリさんの叫びと同時に、信じられないほどの圧力で大きく開いた口から大轟音が発せられた。
『ヴォオオオオオァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――――』
「隔絶し、静寂の幕を張り巡らせ【サイレンス・ウィスパー!】」
バーリさんが防御魔法を展開すると、目の前に半透明の緑色に輝く障壁が俺を守った―― かに見えた。
ところが堅牢のはずの障壁はビシッ、ビシと音を立て高質な残響を残して脆くも砕け散ってしまう。
襲いくる音の壁。
周りのコンテナをも舞い上がらせる衝撃波は、俺の体を浮き上がらせ弾き飛ばした。
凄まじい音を立てて地面へ激突するコンテナたちの間を吹き飛ばされていく。
視界が目まぐるしく回転し、何度も何度も地面へ打ち付けられ…… やがて倉庫の壁に激突して止まった。
(そうだ……
瓦礫と共に冷たいアスファルトの上でその身を横たえて、胃からこみ上げてくるものを吐き出す。
全身に痛みが渦巻き、思考は混乱の中に飲み込まれて失神寸前だ。
(いや、夢じゃない。壁、倉庫の…… ああ、俺はあんな所から飛ばされて……)
ぼんやりとだが自分が何処にいるか、そして何故いるのかを思い出す。
ひどく緩慢な動きで首を左右に傾けて周りを見渡した。
舞い上がる砂埃の向こうで久重と清十郎、そしてバーリさんが俺と同じく壁際で倒れていた。
運よく崩れ落ちたコンテナには潰されていないが、コンクリート片などの瓦礫の中にいる。
「うあ……、あぁ…… み、皆んな…… 大丈夫……」
俺の呼びかけに誰一人として返事をする者はいなかった。
心臓が一際大きく鼓動し俺の脳を揺さぶる。
初めて感じる死の恐怖。
無力な自分、大切な人が…… また不条理な理由で命を刈り取られていく。
「また……?」
自分で自分の言葉におかしさを感じ思わず呟く。
すると突如、深い頭痛が俺を襲った。
「ぬっがぁあああ〜〜〜〜〜〜、なんだ……これ」
痛みで
凄まじいスピードで移り変わる世界、場所、人の記録。
激しい痛みと共に、多くの人や景色、その営みが脳裏に映し出され、まるで映画のフィルムを思わせた。
見ず知らずの人。だが、彼らの喜びや悲しみ、怒りや悔しさ、すべてが胸を打つ。
そこには、笑顔があり、優しさがあり、温もりがあった。
そこには、泣き顔があり、恐れがあり、絶望があった。
最愛の人を守れず、無力にも彼女を残して最期の瞬間を迎える男。
目の前が暗闇に飲み込まれる直前、彼女の微笑み、その白金色の瞳から流れる涙、そして最後の言葉。
それらは俺の心を揺さぶり、まるで自分が体験した痛みに感じた。
その痛みが…… 1つの鍵が俺の中で解放されたと本能的に理解した。
頭痛も治まり、体を揺さぶる足音で現実に引き戻される。
息も絶え絶え、なんとか体を動かして足音の方へ向き直ると、象ほど大きい影が近づいてきていた。
寝転びながら見上げるその姿は絶望の権化。
蹄の跡をアスファルトへ刻みながら、怪物がこちらへ満足そうな足取りで向かってきていた。
数メートル先で歩を止めると、首を小刻みに揺らし用心深く様子を見る。
やがて誰も立ち上がれないと分かったのか、残った右目を弓形にして熱い吐息を漏らした。
『ブルルルル〜〜〜〜』
「……もう、何も奪わせない……」
立ち上がろうと力を入れるが、体が思うように動かない。
震える腕で上半身を持ち上げるが、呆気なく崩れてしまう。
冷え切ったアスファルトに頬をつけカオスナイトメアを見上げることしか出来なかったその時――
「よく頑張ったね……」
まるで鈴の音色、美しく響く女性の声。
心臓が跳ね上がるほど愛おしく聞こえた。
音も無く俺とカオスナイトメアの間にふわりと現れた小さな黒い影。
黒く濡れたように艶やかな、一対の翼を持つ少女。
白金色の美しい髪をなびかせ、手に持った黒いマントを投げ捨て、俺をかばう位置に立ちはだかった。
その姿はまるで漆黒の天使を思わせる。
『ブォルルルルオオオァァァ――‼︎』
天から舞い降りた少女を、歯牙をむき出しにして威嚇し吠えるカオスナイトメア。
しかし、聞く者を震えさ上がらせる咆哮を前にして、その少女は涼しい顔をして平然と右手を掲げた。
「ここはお前の居ていい世界じゃない」
先ほどの慈愛に満ちた声とうって変わり怒気を含んだ低い声は、彼女の目の前で巨大な魔法陣を展開させる。
一瞬にして形成された青白く光る魔法陣。
その前には俺の黒姫と似た焔針が形成され、標的に先端を向けて今にも飛び出さんとする。
同じ魔法と瞠目するが、驚いたのはそれだけでは無い。
その顕現させた数、数十本。太さも俺の数倍以上はあった。
憤怒に満ちたカオスナイトメアは、怒号と共に拳を振り上げて少女へ襲いかかる。
『ガャアアアアァァァ――‼︎』
「滅びろ……【
空中に停止していた焔針が、一瞬の揺らぎと共に消えた。
刹那、数十本の漆黒の矢がカオスナイトメアを蜂の巣にする。
後ろのコンテナをも貫通し、鋼鉄製の箱が紙さながらに容易く変形した。
直撃したカオスナイトメアの大型重機を思わせる分厚い上半身は、爆散するように飛び散り、その肉片を漆黒の炎が焼き尽くす。
牛馬頭の巨大な妖魔は、叫び声も上げること叶わず、下半身だけを残し、やがて黒い炎で焼き尽くされた。
痛みと共に意識が遠のく中で、視界に残ったのは、少女の華奢な背中、勇ましい後ろ姿だけだった。
その姿にどうしようもない感情が溢れ出す。
懐かしさ、悲しさ、嬉しさ、そして不甲斐なさ……
最後の力を振り絞って俺は意識を保とうとした。
しかし、体は既に動かず、最後に見た少女の美しい横顔と共に、俺は深い闇に落ちていった。
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