第11話 次なる指針
換気と消臭剤の散布で室内の空気は見違える……もとい、嗅ぎ違えるほどに変わった。
外からこわごわと扉を開けた衛士の一人らしい若い男性が、驚いた顔で室内を見渡すほど。
「あれ、今日の詰所は何か違いますね。むわっとする空気がありません。何かあったんですか?」
「ノーズブラック卿の若奥さまがいらっしゃってな。……見学ついでに、詰所の環境大改革の時間だ」
というわけでこれを持て、と渡してきたのは水桶。中には普段掃除に使用されているスポンジよりも数段薄いものと、白いボトルが入っている。
「……これは?」
「言っただろう。詰所の環境大改革。有体に言えば掃除中だ。午前の鍛錬はなしにする代わりに、ありとあらゆるところを掃除するぞ!!」
◆ ◇ ◆
「ごめんなさい。やりすぎましたわ……。」
本当に、ただ籠っていた悪臭を消せればそれでよかったはずなのだ。
気がついたら先日試しに作っていた綿雲茸のスポンジと唐紅柑の洗剤を使って、詰所の衛士を巻き込んだ大掃除へと発展していた。
「……謝罪は不要だ。清掃そのものは定期的に行っている。今回もその延長だ。」
低い声で唸るようにオスカーさまが声をかけてくださる。同意するようにうんうんとこの詰所でのナンバー二、ユナイド衛士長が頷いている。
「そうそう。……こういっちゃ恥ずかしい話ですが男所帯なもんで、掃除当番はあっても雑になりがちなんですよね……マルゥさんのお陰で正しい掃除の仕方も分かりましたし、何よりカナンさまのあの洗剤とスポンジ!!泡立ちは良いわ汚れがすっきり落ちるわで最高でした!!」
「役に立ったのなら良かったわ。唐紅柑を使った試作品だから、どれくらい役に立つかは分からなかったけれど。」
「試作……って。エ!?ひょっとしてあれ、若奥さまがおつくりになったんです!?」
大きくのけぞられた。そう大した仕組みではないのだけれど。
「しかも唐紅柑って、あのものすごいすっぱくてとても食えたもんじゃない果物ですよね!?そんなのを使って洗剤!?」
「ええ。あの酸っぱい成分は臭い消しや垢を落とすのには便利なんですよ。
「レハトの泉?あれって防御を上げる効果じゃなかったっけか。」
さすがは衛士長。
レハトの泉というのは泉という名称だが、その実はとある土地の魔法石の総称。本来は武具に魔法石であるレハトの泉を埋め込むことで、防御力を上げる効果が見込まれるものだ。
「正確にはレハトの泉に蓄えられている魔力は物質の保護なんです。洗剤が元の床や木を保護するようにしたうえでしっかりと擦り落とすことで、洗浄力をアップさせる効果を狙ってみました。」
「そんなことが出来るのか!?」
「付与魔法の応用なので、使える術師が限られるのが現状の課題ですけれどね。ゆくゆくは作成難度を減らして一般流通に乗せられれば……。」
「素晴らしい!!!」
「キャッ!」
興奮した面持ちで私の手をがっしり握ってくるユナイド衛士長。そんなに感激するようなことがあったでしょうか?
困惑した表情を隠さずにいると、照れくさそうに頬を掻きながらそのわけを教えてくれた。
「オホン!失礼。実のところうちの風呂掃除は俺の仕事なんだが……嫁さんに掃除が下手とか、浴槽を傷つけるなとか良く怒られるんだよ。もしこれが家でも使えるようになったら嫁さんに注意される頻度も減るってわけだろ?」
「あら、そんなことが。……そうねぇ、研究を進めていければゆくゆくは、だけれど。この領土で販売を広めるには一つ問題があるの。」
「問題!?一体何が!」
必要ならばいつでも剣を抜くぞといわんばかりにいきり立つ衛士長。……そんなに困っているのかしら、お風呂掃除。
でもない袖を振るわけにはいきませんから。問いかけに率直に返す。
「素材です。王都と違ってこの辺りでは
「魔獣狩りとあらば、我らの真骨頂ですね!オスカーさ、ま……」
勢いよく振り向いた衛士長の言葉が、途中で急にしぼみだす。
何事かと思って視線の先を辿れば、そこにいたのは旦那さま。……普段とは違って、何やらものすごい圧がある。率直に言ってとても怖い。
「…………。」
「も、も、も、申し訳……、」
「オスカーさま。勝手にくちばしを突っ込んでそちらの執務のお邪魔をしてしまったのはお詫びします。」
本来は彼の仕事を見学させていただき、あわよくば魔獣について教えて頂こうという目論見だったというのに。仕事の邪魔になったら本末転倒だ。
申し訳ない……が、こうまで無言の圧をかけてくる必要はないだろうに。提案すべきこともあったため、頭を上げてまっすぐと彼を見つめた。
「ですが、先ほどお話した
「構わん。」
「はい?」
「それが必要だというのなら、構わんと言ったんだ。午後は予定を変更して外に出る。代替になるであろう魔獣の特徴について、あらかじめまとめておくとよい。」
それだけを言って早足で場を離れていく。何事かと思えば、どうやら外に出るための準備をするよう、指示しに向かったようだ。
私にとっては渡りに船。結果的に望んだ方向に向かっているといっても過言ではないのだけれど。
「────だったらどうしてあんな圧をかけられなきゃいけないの……!?」
そこだけが納得できず、不合理さに綿雲茸のスポンジを握り締めた。
***
「……ユナイド衛士長め。旦那様よりも先にカナン様の白磁の手に触れられるとは……来月の給与査定は考えねばなりませんね。」
「ワイマンさんワイマンさん。それはさすがに横暴だと思うんで、オスカーさまを焚きつける方向で考えてください。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます