第10話 笑顔のないエガオ(10)

 騎士と黒ずくめを警察と救急に突き出してから私達は、キッチン馬車に戻るとマダムが薬箱を持ってこちらに走ってくる。

「エガオちゃん!大丈夫?」

 マダムは、必死な顔で私に言う。

 ああっ本当に心配してくれてるんだ。

「私は、大丈夫です。ありがとうございます」

 私は、深々と頭を下げる。

 しかし、彼女は私のお辞儀を見ていない。

 見ているのは鎧から剥き出しになっている私の顔と手だ。

「エガオちゃん座りなさい!」

 マダムは、目を釣り上げて私を椅子に座らせ、自分も向かい合うように座る。

「もうこんなに火傷してるじゃない!」

 マダムは、怒りながら水脹れの出来た私の手を取り、薬を塗ってくれる。その手つきはとても優しくて気持ちいい。

「申し訳ありません」

 私は、思わず肩を落として謝ってしまう。

 カゲロウは、いつの間にか厨房に入り、私達のやり取りを口元を釣り上げて見ていた。

「顔は大丈夫?」

 薬を塗り終えると今度は私の顔をペタペタと触り出す。

「大丈夫です。痛いところはないので」

「あってからじゃ遅いの!」

 マダムは、声を張り上げて私を叱る。

「顔は女の命なのよ!わかってる⁉︎」

「申し訳ありません」

 私は、また謝ってしまう。

 人生でこんなに叱られて謝ったことがあっただろうか?

「ねえ、エガオちゃん!」

 マダムは、両手で私の頬を挟む。

「貴方のやったことはとても褒められることよ」

「えっ?」

「自分の持てる力を持ってたくさんの人を守った。凄いことよ。誰にでも出来ることじゃない」

 言葉は私を褒めている。

 しかし、その口調は誉めていない。むしろ怒ってる。

「でも、私は誉めたくないの。何でか分かる?」

 私は、マダムに頬を掴まれたまま首を横に振る。

「貴方が怪我をするのを私は見たくないからよ!」

 私は、大きく目を見開く。

 マダムは、じっと私を見る。

「貴方はもう戦士でも何でもないの。1人の普通の女の子なのよ」

 女の子?

 普通の?

「いや、でも私は・・」

「でもじゃない!」

 マダムの声に私は目を瞑る。

 どんな恫喝を受けても怯えたことなんてなかったのに。

「貴方が傷付いたら私は嫌なの!泣くの!貴方の命は貴方だけのものじゃない!貴方を好きなみんなのものなの!だからお願いよ。無茶なことしないで!」

 無茶なんてしてない。

 あんなゴロツキの騎士崩れどもに負けたりなんかしない。

 そう言いたい。心配しなくて大丈夫ですと言いたい。

 なのに言えない。

 唇が震えて言えない。

「ちゃんと聞いとけ」

 いつの間にかやってきたカゲロウが私とマダムの前に飲み物を置く。

 マダムの前には紅茶を。

 私の前には先程のチーズケーキとガラスのグラスに入った明るい茶色のアイスティーが置かれる。

「熱いのは持てないだろう」

 そう言って唇を釣り上げる。

「それとも手伝ってやろうか?」

 なんか子ども扱いされた気がして私は思わず唇を釣り上げる。

「そんなことない!持てるもん!」

 私は、アイスティーに触れる。しかし、あまりの冷たい感触に思わず指を引いてしまう。

「ほらやっぱり」

 マダムは、呆れたように息を吐く。

「いや、これは冷た過ぎたから・・・」

「言い訳はいい」

 カゲロウは、隣の円卓から椅子を引っ張ってきて座るとチーズケーキを手に取ってフォークで小さく切り分ける。そしてその一つを刺すとわたしの口元に持ってくる。

「ほれ、あーんしろ」

 えっ?

 私は、頬が熱くなる。

「ほれ、あーん」

 カゲロウは、自分の口を大きく開ける。

「いや、そんなことしなくても」

 しかし、私は次の言葉を告げることが出来なかった。

 カゲロウにチーズケーキを突っ込まれたのだ。

 濃厚な甘味と旨味が口の中に広がり、思わず頬が蕩けそうになる。

「うめえだろ」

 カゲロウは、ニッと笑ってもう一切れフォークに刺す。

「ほら、口開けろ」

 私は、頬を真っ赤に染めながらも誘惑に負けて口を開けてしまう。

 マダムは、そんな私達の様子を目を輝かせて見て、そして両手をポンッと合わせる。

「決めたわ!」

 マダムの声に私とカゲロウは動きを止めて振り返る。

「エガオちゃん!貴方ここに就職しなさい」

 マダムの言葉に私は閉じていた口を丸く開ける。

「いつまでもフラフラしてるから戦士のままでいるのよ。ここで働けば忘れるわ。女の子になれるわ!」

 名案と言わんばかりにマダムは目を輝かせる。

「いや、マダム勝手に・・」

 流石のカゲロウも抗議の声を上げる。

「なに?、嫌なの?」

 マダムは、鋭く睨みつける。

「さっき助かったって言ってたじゃない」

「いや、助かったけど、うちはキッチン馬車で移動が常だから従業員を雇う余裕は・・」

「それじゃあ結婚しなさい!」

 マダムは、雷のように叫ぶ。

 私達は、思わず目が点になる。

 カゲロウの目は見えないけど。

「貴方達、とても相性がいいわ!適齢期だしちょうどいい!お似合いよ!私が保証人なってあげる!」

 マダムの目は本気だ。

 本気で私達に結婚するように言っている。

「ちょっとマダム!」

 カゲロウが今度こそ抗議する。

「そんなこと勝手に決めないでください!」

「いいえ、勝手じゃないわ!これは運命よ!」

「いやいやいやいや。んな訳ないでしょうが!」

「何よ。あんた彼女いるの?スーやんが彼女とかはダメよ」

 その言葉に対してスーやんが抗議するように鼻息を鳴らす。

「こんな可愛い子がお嫁さんになってくれるっていうのよ⁉︎断る理由ないでしょう!」

「言ってないでしょうが!一言も!」

 何だろうこれは?

 メドレーをクビになって1週間しか経ってないのにこの人生の変化はなんだ?

 世話焼きのマダム。

 可愛らしい母子おやこ

 仲良し老夫婦。

 賑やかな同じ年の女の子達。

 美しい女の子のスレイプニル。

 そして料理上手でぶっきらぼうな優しいカゲロウ。

 今までの人生で決して関わることがなかった人達が次々に入り込んでくる。

 この数時間で絵巻ものように人生が動く。

 それも温かく、優しく、そして可笑しく・・・。

「ふふっ」

 私の口から何かが漏れる。

「ふふっははっ」

 私は、堪えることも出来ずにその言葉を漏らしてしまう。

 カゲロウとマダムが言い合いを止めて私の方を見る。

 その顔に浮かんでいるのはびっくりするくらいの驚きだ。

 それをみて私は思わず・・・笑ってしまった。

「あははっあはははは!」

 笑いが止まらない。

 可笑しくて堪らない。

「エガオちゃん」

 マダムが嬉しそうに微笑む。

「エガオが笑ってらあ」

 カゲロウもそう言って大きな声で笑う。

 これが私が生まれてから初めて笑った瞬間であった。

 

 私が笑ったのはその時だけで、また笑顔のないエガオに戻った。

 その後、私は、マダムの根強い後押しに根負けしたカゲロウの許可をもらってキッチン馬車で正式に働くようになった。

 それだけでも驚きなのにその後の展開を誰が予想しただろう。

 私とカゲロウが王国と帝国に渦巻く大事件に巻き込まれるなんて。

 そして私達が本当に夫婦になるだなんて。


 これは笑顔ないエガオが笑顔になる話し。

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