第3話 笑顔のないエガオ(3)

 メドレーは、正統な騎士団ではないとは言え、仮にも王国直属の戦闘部隊だ。しかし、その扱いは傭兵のゴロツキ達と変わらず、その宿舎も公的な扱いなはずなのに壊れた木箱のような黒色に変色した板張りの建物だ。それでも食堂には絶えず食べ物が供給され、男女共用とは言え浴場が付いているだけでも有難い話なのかもしれない。部屋も4人一部屋で二段ベッドに身を縮こませて寝ている。

 女子は、私1人だから流石に1人部屋だし、マナも通いで王都から来ている。

 まあ、私のお風呂なんて誰も覗こうとなんてしないし、寝込みを襲おうなんて考える馬鹿がいないのもまた事実だが。

 そんな中、グリフィン卿の私室だけは、空間が切り取られたようにとても整理されて、清潔で、そして豪奢な造りとなっていた。

 綺麗に磨かれた木の壁、磨かれたガラスの玉を並ばせた電気式の小さなシャンデリア、部屋の中を漂う花の香油の香り、本やワインを並べられた棚や執務用の机の価値だけでこの宿舎が3つは建てられるかもしれない。

 私が今座っているソファーも熟しすぎた桃のように柔らかく、身を沈めたら飲み込まれるように眠ってしまいそうだ。

 グリフィン卿は、私の向かいにある1人用のソファーに腰掛け、青い陶磁のカップに淹れた紅茶を飲む。

 王国貴族で代々直系の騎士家系の出身なだけあって齢60を超えると言うのに仕立ての良いチェニックを着込んだ少し大柄な身体には筋肉が程よく付いており衰えを感じさせない。髪は根元に少し黒い部分は残っているがほとんど真っ白で精悍な顔には皺が年輪のように刻まれている。整えられた髭も白く、触れたらブラシのように硬そうだ。目つきは武人らしく鋭いが幼い頃に初めて会った時よりも少し眼光が弱まった気がするのは歳を取ったからか、それとも現場を離れ、指揮官となったからか?

「飲まないのか?」

 グリフィン卿は、紅茶のカップから口を離して私を見る。

 私とグリフィン卿を挟むように置かれたガラス張りのテーブルにはグリフィン卿と同じ青色の陶磁のカップに赤茶色の紅茶が淹れられていた。甘酸っぱい香りが鼻を擽る。

「お前の好きなアップルティーだぞ。喜ぶと思って専門店から取り寄せたんだが・・」

「・・・ありがとうございます」

 私は、深々と頭を下げるが、カップに手をつける気にはとてもならなかった。

 それよりもグリフィン卿の口にした言葉をもう一度聞きたかった。

「先程の仰られたことですが・・・どう言う意味しょうか?」

 私の問いにグリフィン卿は、鋭い目で私を一瞥し、半分飲んだカップをテーブルに置く。

「意味も何も言葉の通りだ」

 グリフィン卿は、私の顔を見る。

「今日で君の除隊が決まった」

 私は、目を閉じる。

 聞き間違いではなかった。

「クビ・・・ですか?」

「クビではない。除隊だ」

 グリフィン卿は、ゆっくりと立ち上がり、執務用のテーブルに向かい、下方の引き出しを開け、何か重い物を入れた大きな袋を取り出すと、私の方に寄ってきてテーブルに置く。

 袋が金属の重なる音を立てて軋む。

「クビでは退職金も出ないぞ」

 グリフィン卿は、ソファーに座り直しカップに手を伸ばす。

 私は、袋をじっと見る。中身は見なくても分かる。

「上と掛け合ってかなり色を付けといたぞ。お前の働きに充分に見合う額のはずだ」

 そう言って紅茶を音を立てずに啜る。

 私は、袋から目を離す。

「理由をお聞かせいただけますか?」

 今までも理不尽としか言えないような命令は沢山あったが理由を聞いたことは一度もなかった。

 戦うこと。

 それが私の使命と思っていたから。

 それが国を守ることになると信じていたから。

 しかし、今回は聞かずにいられなかった。

 グリフィン卿は、カップ越しに私を見る。

 その眼光は変わらずに鋭いが小さな揺らめきが見られた。

「半日前、王国と帝国でとある条約が結ばれた」

 半日前と言うと私と部隊が帝国騎士団の先遣隊と戦う少し前だ。

「条約とは?」

 グリフィン卿は、カップを口から離す。

「停戦条約だ」

 私は、驚きのあまりに思わず立ち上がりそうになる。

 エッダ大陸を二分する2つの大国、アズガルド王国とヨトゥン帝国の戦争は数百年にも及ぶ、

 きっかけは分からない。

 ヨトゥン帝国の貴族がアスガルド王国の領地と争ったことがきっかけとも言われているし、王族同士のいざこざ、貿易の略奪とも言われている。恐らくヨトゥン帝国側にもたくさんの憶測が口にされていることだろうが結局のところ真偽は分からない。分かっているのは何をきっかけにしても大陸を揺るがす戦争が数百年にも及んで続いていたこと、沢山の犠牲者が出たこと、そしてどちらが滅ぶまで戦争が終わることはないと言われ続けていたことだ。

 それが停戦・・・停戦条約を結ばれた。

 私は、その言葉を耳にしても信じることが出来なかった。

「これは貴族も・・・王自身も知らなかったことだが第二王位継承者であるリヒト様と帝国の姫君がずっと文通していたらしい」

「文通?」

「恋文だ」

 グリフィン卿は、小さくため息を吐く。

「それこそきっかけは知らん。面白半分でどちらからが送ったのか、それともどこかで会っていたのかも分からん。しかし、結果として二人は深い恋に落ち、互いの両親に訴えたのだ。自分の好きな人のいる国をこれ以上傷つけないでくれ、と」

 グリフィン卿の言葉に私の水色の目はこれ以上なく大きく見開かれていたことだろう。

「まさか・・・それを聞き届けたのですか?国王と、帝国の皇帝は?」

 私の問いにグリフィン卿は、小さく目を閉じる。

 それは肯定を意味していた。

 私は、身体中の力が抜けるのを感じた。

 あの血を浴びる為にあるような戦争が、無念と嘆きを残して死んだ命が、永遠に続くと思われた痛みと苦しみがそんな簡単に終わりを告げると言うのか?

 たった二人の我儘の為に。

「勘違いしてならんぞ。元々、王国も帝国も戦争を終えるきっかけを求めていたのだ。財政的にも人材的にもお互いに限界に来ていたのだ。しかし、戦争を止めるきっかけがなかった。今回は2人の恋を利用したに過ぎん」

 意味は分かる。

 理解も出来る。

 しかし、心が追いつかなかった。

「・・・それと私の除隊がどう繋がるのですか?」

 私は、務めて冷静に訊いた。

 油断したら声が震えてしまいそうだった。

「停戦条約が結ばれたのは半日前、お前と帝国の先遣隊が争ったのがその1時間後。そう言えば分かるか?」

 グリフィン卿は、じっと私を見る。

 私は、小さく息を吐き、目を閉じる。

「王国としても帝国としてもせっかくの停戦条約が結ばれたのにその直後に争いが起きるのはあまりにもよろしくない事態です。例え互いにメドレーも帝国騎士団もにそんな条約が結ばれることなど知らなかったとしても・・・」

 私は、ゆっくりと目を開く。

「だから私が先走って姫君の護衛に来た帝国の騎士団を単独で襲ったことにしよう、そう言うことですね」

「相変わらず頭が良いな。お前は」

 グリフィン卿の髭に覆われた口元に切なそうに小さな笑みが浮かぶ。

「帝国の騎士団と寄せ集めメドレーの集団、どちらが切りやすく、罪を被せやすく、そしてダメージが少ないかは分かりきったことだ」

 グリフィン卿の言葉に私は拳を握る。

「特に今回は他の兵士達は戦闘に参加せず、お前1人での犯行だった。王国としても処理しやすかった」

 犯行・・・。

 私が王国を思ってした戦いは王国にとって求めもしない罪だった。

「上からはお前を処刑にしろとまで言う者がいたが今までの功績を考え、除隊と言う扱いにすることにしたのだ」

 まるで感謝しろでも言いたそうな言葉だ。

「理由は分かりました」

 私は、絞り出すように、しかし平静に言葉を紡ぐ。

 そして小さく頭を下げる。

「今までお世話になりました」

 グリフィン卿は、鋭い目を細める。

「お前は本当に頭がいい。そして聞き分けが良すぎる」

 グリフィン卿は、小さく息を吐く。

「もっと足掻いていいのだぞ?怒っていいのだぞ?」

 グリフィン卿の言葉に今度は私が眉根を寄せ、目を細める。

「足掻いて、怒って何とかなるのですか?」

 私の質問にグリフィン卿は、何も答えなかった。

 答えがないなら聞かないで欲しい、私は胸の奥が小さく痛むのを感じた。

 私は、冷めたアップルティーを手に取ってゆっくりと飲み干す。

 甘酸っぱい味が口一杯に広がる。

 人生で唯一知る果物以外の甘い味。

 もう2度と味わうことはないのかもしれない。

「ご馳走様でした」

 私は、カップを戻すとゆっくりと立ち上がり、ソファーの横に立てかけた大鉈を背負う。

「どこにいく?」

「除隊したのにここにいる謂れはありません」

 グリフィン卿は、テーブルに置いた袋を持ち上げる。

「これは?」

「部下達に配ってあげて下さい」

 金なんて貰ったところで使い方も分からない。

 私は、グリフィン卿に頭を下げる。

「失礼します」

 私は、頭を上げて踵を返し、部屋を出ようとする。

「エガオ」

 グリフィン卿の声に私は、扉を掴む手を止める。

 振り返るとグリフィン卿は、切なそうな、悲しそうな顔で私を見ている。

「もしお前さえ良かったら私の養女にならないか?」

 グリフィン卿の言葉に私は眉根を寄せる。

「お前に戦いを教え、戦場に出したのは私だ。私がお前の人生を巻き込んでしまった」

 グリフィン卿の口調が先程までの騎士然とした、指揮官然としたものから柔らかな、切実に訴える年相応のものに変わる。

「もう戦う必要はないのだ。普通の娘として生きてみないか?」

 普通の娘?

 普通の娘?

 普通の娘ってなに?

 私は、唇を強く噛み締める。

「私は・・・笑顔のないエガオです」

 そう言って扉の取手を掴む。

「お貴族様の娘なんてとても務まりません」

 ゆっくりと扉を開ける。

「今までありがとうございました」

 私は、振り返りもしないままに部屋を出る。

 グリフィン卿の視線が私の首筋を痛く焼いた。

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