エガオが笑う時〜最強部隊をクビになった女戦士は恋をする〜

織部

第1話 笑顔のないエガオ(1)

 暗闇が好きだ。

 冷たい空気、耳を劈くような静寂、そして香辛料のような小さな恐怖。

 それら全てが愛しく私の身体を包み込む。

 そう感じてしまった時、いつも私は思ってしまう。


 私は、人間であると言うことをどこかに置いてきてしまったのだ、と。


 私は、数名の部下を引き連れて湿気と草いきれの漂う森の中を泳ぐように歩いていた。身に纏った傷だらけ、凹みだらけの板金鎧プレートメイルが音を立てないように慎重に、闇の隙間の中を縫うように歩いた。

「隊長」

 後ろから部下が声を掛けてくる。

 その声は平静を装っているものの僅かな震えが感じられる。

 とても普通な反応だ。

 人間とはこう言うことを言うのだ。

「こんな森の中に本当に敵の陣営など存在するのでしょうか?」

 その質問から感じられるのは疑いではない。

"間違いであった"と言う私の言葉を期待し、この不気味で居心地の良い闇の森から退却することを願ってのものだ。

 私は、部下に気づかれぬよう小さく嘆息する。

「斥候たちの情報だから間違いない」

 私は、短く、淡々と答える。

 私の答えに部下は何も言わなかった。

 言うことなど出来るはずがない。

 私達は、その情報を元に司令を受けてここに来ているのだから。

 私達は、無言で闇の森の中を歩く。

 灯りが見える。

 闇の森には不釣り合いな橙色に揺らめく光が。

 私達は、歩みを止める。

「隊長」

 先程とは違う部下が話しかけてくる。

 やはり平静を装いながらも声は震えている。

 やはり寄せ集めの兵士たちでは無理か・・私は彼らに気づかれないよう小さく嘆息する。

「貴方達はここにいて」

 私は、右手を横に伸ばして部下達に静止するよう命令を下すと1人前へと進んでいく。

 部下達から騒めきの声がするけど気にしない。

 手柄の為に命を捨てる必要も私が守ってあげる必要もないから。

 私は、橙色に揺らめく光の元に足を進めた。

 そこに広がっていたのは大きな野営陣であった。

 麻色の野営用の天幕、灯籠のように地面に突きつけられた真鍮の篝火、紐に括り付けられた大勢の馬、そして銀色の板金鎧プレートメイルを纏って食事をし、酒を煽る騎士や兵士たち。

 彼らは、突然ですが現れた私を見るや動きと思考を停止する。

 無理もない。

 自分で言うのもなんだが私の外見はとてもひ弱い。

 腰まである金色の髪を大きな三つ編みに結い、水色の瞳を携えた目は誰が見ても大きい。肌も白く、背も低く華奢なため、板金鎧プレートメイルを身につけていても何かの冗談にしか見えない。特に背中に背負った配給の肉を焼くようなコの字に曲がった柄の付いた大きさの黒い鞘に包まれたものを背負っているのだから尚更、道化師にしか見えない。

 案の定、彼らの思考が停止していたのは一瞬であった。

 篝火に映された私の姿を見た瞬間、彼らは馬鹿にしたような下卑た笑みを浮かべ、数人が酒瓶や食い汚した肉や魚を持ったまま私に近寄ってくる。

「お嬢ちゃんどうしたのかな?」

「戦争ごっこでもして道に迷ったのかな?」

「1人でこんな森を歩いちゃダメですよ〜」

 赤子をあやすような口調で馬鹿にするように酒臭い口で兵士たちが話しかけてくる。

 確かに背は小さいがこれでも17歳になったばかりだ。

 赤子口調で話される謂れはない。

「こんな真っ暗じゃ危ないからおじちゃん達のところでご飯でも食べましょね」

 いやらしい笑みを浮かべた兵士の1人が私の顔に触れようとする。

 しかし、彼が私の顔に触れることはない。

 私の固く握った右拳が振り上げられ、彼の顎に直撃したからだ。

 兵士は、宙に飛び上がり、歯と血を吹き上げなから地面に落下する。

 その突然の予期せぬ光景に騎士と兵士たちの思考は再び停止する。

 暗いのもあるが彼らの目には私の拳の動きは残像すら見えず、兵士が勝手に浮かび上がって歯と血を撒き散らしたようにしか見えなかったろう。

 私は、振りあげた拳を元の位置に戻して彼らに目を向け、口を開く。

「皆様方は帝国騎士団の先遣隊ということでお間違いないでしょうか?」

 私は、ヘソの位置で両手を組み、丁寧な口調で話しかける。

 呆然としていた彼らの目が一斉に私に向く。

 その目は一瞬にして敵を見定めるものに切り替わり、腰の剣や槍、弓矢に手をかける。

 さすが尖兵を務めるだけあって実力のある猛者達が揃っている。

 寄せ集めとは大違いだ。

「私は、王国直属戦闘部隊メドレーの隊長のエガオと申します」

 私の名乗りを聞いて彼らは警戒を解かないままに話し合う。内容は分かりきっている。王国直属という言葉に対する驚きとメドレーと言う聞いたこともない名前に対する懸念だ。

「メドレーだあ?」

 兵士たちの間を抜けるように全身を銀色の騎士鎧ナイトメイルに包み、騎士槍ランスを持った金髪を短く刈り上げた大男が現れる。

 見た瞬間に分かる。

 この騎士、兵士たちの中で1番強いのはこの男だ。

 男は、値踏みするように私を見る。

「聞いたことあるぜ。確か王国の雑魚騎士団共じゃ俺たちに歯が立たないものだから腕に覚えのある傭兵やゴロツキで作った寄せ集めの集団のことだよな」

 男は、馬鹿にするように唇を吊り上げて言う。

 その言葉を聞いて他の兵士たちも馬鹿にするように笑い出す。

 私は、水色の目を座られて彼らを見る。

「ええっ貴方の言ってることは間違いありません。私達は寄せ集めメドレーの集団です」

「それで嬢ちゃんがその寄せ集めの隊長だと?」

 私は、首だけを動かして肯定する。

 その瞬間、大爆笑が起きる。

「本当に、本当に王国には使えねえ奴らしかいないんだな!」

 男は、騎士鎧に大きな手を置いて笑う。

 私は、何も言わずにじっと男を見る。

 一頻り笑い終えた後、男の顔から笑みが消え、私を睨みつける。

「それで?嬢ちゃんは俺たちに何が言いたいのかな?」

 騎士槍ランス先端が私の顎元に突きつけられる。

 鋭い槍だ。

 私の小さな首を貫くなど容易であろう。

「降伏を」

 私は、短く答える。

 男は、眉根を寄せる。

「降伏して下さい。さすれば命は取りません。王国での厳正な裁判の結果、帝国に帰れるようにすることをお約束します」

 私は、水色の瞳を男に向ける。

 男は、憎々しげな目で私を睨み、騎士槍ランスを握る手に力を込める。

「あいにくだが」

 男が重々しく、怒りの滲んだ声を上げる。

「俺は・・,俺達はお嬢ちゃんの世迷言に付き合ってる暇はないんだよ!」

 男は、騎士槍ランスを勢いよく突き出す。

 私は、地面を蹴って後方に飛ぶ。

 騎士槍ランスの突きの威力に砂埃が巻き上がる。

 私は、彼から10歩離れた距離に立つ。

「隊長というのはブラフじゃなさそうだな」

 男は、唇の端を釣り上げる。

 後ろに控えた騎士、兵士たち達は男の突きを避けたことに驚きを隠し得ない。

 男は、騎士槍ランスを高らかと抱えて回転させる。

 交渉決裂か。

 私は、後ろに手を回し、革の鞘の留め金を外し、コの字に曲がった柄を握る。

 革の鞘が地面に落ち、私はそのまま柄を握った手を振り上げる。

 コの字に曲がった柄が骨のなるような音を立てて真っ直ぐに伸び、鞘に締められていた本体が外気に触れる。

 それは鉄塊という言葉が相応しい巨大な大鉈であった。

 半身に切られた肉のように分厚い刀身、篝火に照らされて滑るように輝く刃、皆には金色ののカバーがハメられ、鎧を着た乙女の彫像が彫られている。

戦乙女ワルキューレ

 彫像を見て男は、呻くように呟く。

「どうやら飾りではなさそうだな」

 男は、足を低く構え、騎士槍ランスの先端を私に向ける。

 私は、大鉈を片手で握り、先端を彼に向ける。それは構えというよりもただ武器を向けただけであった。

 男の顔が闘牛のように真っ赤に染まる。

 構えもしない私を見て馬鹿にされたとでも思ったのだろう。

 当然、馬鹿になんてしてない。

 構えるまでもないだけだ。

 男は、地面を叩きつけるように踏み締め、私に騎士槍ランスを突き出す。

 力と正確な技術を持った正統な騎士の技だ。

 避けることなど敵わない見事な一撃。

 しかし、私に取ってはどうでもいい児戯だ。

 私は、大鉈の刃を左に引いて、力を込めて横薙ぎする。

 風が巻き起こり、篝火が激しく揺れ、騎士と兵士達の顔を激しく打ち付ける。

 大鉈が騎士槍ランスとぶつかり、軽枝のように真っ二つに叩き割る。

 大鉈の先端が男の騎士鎧ナイトメイルの胸当てを紙のように裂き、赤い血を迸らせる。

 男は、何が起きたのか分からないままに地面に倒れ込む。

 私は、大鉈を元の位置で構え直す。

 騎士と兵士は倒れた最強の男を見下ろす。

 全員が全員、何が起きたのか分からず混乱しているのが目に取れる。

「彼の手当てを。今ならまだ助かると思います」

 しかし、彼らは私の言葉を聞かない。

 怒りと恐怖を目に宿し、私に向けて武器を構える。

 私は、露骨に肩を落として嘆息する。

 血の匂い・・お風呂でちゃんと取れるかな?

 私は、大鉈を彼らに向ける。

 彼ら一斉に私に襲いかかってくる。

 篝火が泣くように揺れた。

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