第30話また会いましょう
宏樹は大迫と二人で2Fの倉庫に来ていた。
さほど広くない室内にある幾つかのロッカーから大迫は段ボール箱を取り出して事務机の上に置いた。
「五十嵐君の荷物はここに全部入ってる。君の家族がどこにいるか誰も知らなくて会社で預かっていたんだ」
「そうなんですね」
宏樹は段ボール箱の中身を見てみた。いくつかの文房具や参考資料の本が何冊か、ノートPCが1台の他に細々した物が入っていた。
「その‥本当に思い出した事は何もないのかね?」
「‥ええ、実は由利香さんに会った時も彼女が誰かすら分かりませんでした。がっかりさせて申し訳ありません」
大迫は少しの間じっと宏樹の顔を見ていた。――娘の婚約者がこんな状態じゃ俺に怒りを感じてもおかしくない――そう宏樹は思った。
だが大迫は怒っているというより納得したような表情で言った。
「いや、五十嵐君のせいじゃない。由利香も言っていたように無理に思い出そうとしない方がいいだろう。君にだってこの5年間で築いた新しい生活があるだろうし、無理して由利香とよりを戻そうとしなくてもいいんだよ」
大迫は宏樹の肩を優しく叩いて付け加えた。「由利香には辛い事かもしれないがね。君は自分の気持ちを優先しなさい。私は君を責めるつもりは毛頭ないから。さてそろそろ戻ろうか」
先ほどの部屋に戻りもう一度そこのスタッフと話をしてから宏樹と由利香は会社を後にした。彼らはまたぜひ顔を見せて欲しいと宏樹に要望し、体を大切にして欲しいと暖かい言葉を掛けた。
宏樹と由利香が部屋を出ると、宏樹にコーヒーを出した竹本が言った。「落合さん、雰囲気がガラっと変わってましたね」
「うん、すっごい真面目な人って感じがしてびっくりしちゃった」
「あれ、なんか落合さんが真面目じゃなかったみたいに聞こえますね」
「あ~東君は去年入社したばっかりだから落合さんの事知らないもんね。彼、すっごく面白い人だったんだよ。あの通りイケメンで仕事も出来たし『俺、最高、天才!』って自分で言っちゃうんだけど、不思議と嫌味に聞こえないんだよね」
落合宏樹を知るスタッフはみんな笑みを漏らした。
「でも私達の事、全然覚えてないみたいだったね」
「大迫も複雑な気持ちだろうなぁ」これは年長でこの部屋の室長の早野だ。
「早野室長は大迫さんと同期なんでしたっけ?」
「そうだね。この開発部門の室長は大迫だったんだけど、Prizonerが売れて彼は出世したからさ」
「大迫さんのお嬢さんと婚約してたんだよ、落合さん」竹本が東に教えてやった。
「婚約者が事故にあって記憶喪失‥ドラマみたいっすね」
「記憶が戻ったらまた一緒に仕事できるかしらね‥」
「だといいよな」
「宏樹さん、それ持ち帰るには大きいですね」由利香は宏樹の持ち物が入った段ボール箱を指して言った。
「そうですね。これを抱えて電車に‥乗れない事はないですけど」
「そうだ、宅配便で送りましょう。あそこにコンビニがありますから」
段ボール箱を処理した後、宏樹は由利香にお茶に誘われたがバイトを口実に宏樹は断った。
「あの‥今日は無理言って来て貰ってすみませんでした。もし迷惑でなければまた会っていただけませんか?」
「俺は大迫さんと会う事自体は構いません。でも‥あなたの期待を裏切るかもしれません。俺の記憶は戻らないかもしれないんですよ」
(俺はただのゲームの中の登場人物だ。過度な期待をさせるのは残酷だろう。ただ俺がこの世界で生きていくなら五十嵐宏樹としての身分は役に立つだろうな‥)
一瞬、由利香に動揺の表情が現れて揺れた。だがすぐ由利香は宏樹の瞳を真っすぐに見つめながら言った。
「それでもいいんです。初めからやり直せばいいんです。私は今もあなたの事が好きです。私ともう一度お付き合いして下さい」
宏樹は目を見開いた。(何という真っすぐな気持ちをぶつけてくる人なんだろう)
「そんな風に言われて断ったら、俺ヒドイ奴ですよね」
「断らなければいいんです」由利香はフフッと笑った。その笑顔に宏樹も釣られて笑ってしまった。
「駅まで送りますよ」
「いえ、私は寄る所がありますのでここで失礼します」
「そうですか。では‥
宏樹に『また』と言われた由利香は弾むような声で返事した。「はい、連絡しますね。じゃあ‥また」
由利香を見送った宏樹は駅に向かって歩き出した。街路樹のある広い歩道を歩いていた宏樹は何か異様な視線を感じて振り返った。だが後ろにはスマホで会話しながら歩いているサラリーマンしかいない。宏樹がじっと立っているとサラリーマンはそのまま宏樹を追い越して行ってしまった。
(気のせいか。今は昼間だし何かの気配を察知できるほど俺は鋭くないはずだな)
そう気を取り直して歩き出そうとした時、街路樹の後ろから1匹の犬が顔を見せた。犬はじっと宏樹を見ている。「うん、どうした? 飼い主とはぐれたか」
宏樹が声を掛けると犬は急に牙をむきだして唸り声をあげた。宏樹は半歩後ろに下がったが、犬は動かない。そのままずっと低く唸り続けている。
その時、通りを自転車が横切った。一瞬そちらに目を向けた後また振り返ると、もうそこには犬の影も形もなかった。
「なっ!」
(今のは何だったんだ。俺は幻覚でも見たのか。それともまたフラッシュバックか?)
それが次に出現するクリーチャーの予兆だったと、この時の宏樹はまだ気づかなかった。
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