第61話 雪愛の手にしたお題は

 雪愛の出番とあって、クラスメイト達、特に男子の応援が大きくなる。

 春陽も雪愛のことをしっかりと見ていた。

「頑張れ、雪愛」

 普通の声量だ。

 届く距離ではない。

 だが、タイミングよく雪愛が春陽達の方を見て、片手でハチマキの端を優しく握り、もう片方の手を振った。

 他の人間にはクラスに向かって手を振ったように見えたかもしれないが、雪愛の目はまっすぐ春陽を見ており、春陽もまたそれを感じ、笑みを浮かべて小さく手を振り返した。


 そうして始まった雪愛の借り物競争。

 お題の紙を手に取り、内容を確認した雪愛は、一瞬動きを止めた。

(これって……)

 だが、それは本当に一瞬で、内容を確認している他の生徒と同じくらいの時間だった。

(よし!)

 雪愛は何かを決意すると、お題の内容を満たすものを求めてまっすぐ走り始めた。

 その足取りに迷いはなかった。

 雪愛の向かった先はまたもや春陽達のクラスの応援席。

 雪愛は走りながら考えていた。

 このお題をクリアすることがどういうことか、そんなことは雪愛にもわかっている。

 そして、おそらくだが、今回の救済措置、ターゲットにしていたお題はこれではないだろうか、と思う。

 このお題では、一部の人達を除いて、ゴールに連れて行くことは困難だ。

 主に、走者の心理的に。

 けれど、雪愛には何の問題もなかった。

 雪愛にとっては、難しくもなんともない。

 ただ少しの恥ずかしさがあるだけで。


 雪愛は春陽達のクラス、いや春陽の前に立つと、今までのモヤモヤが晴れ、花が咲いたような笑みを浮かべ春陽に手を差し出した。

「春陽くん!一緒に来て?」

 春陽は目を大きくする。

 だが、それはほんの一瞬。

「っ、わかった」

 返事と同時に春陽は雪愛の手を取り立ち上がった。

「行こっ!」

「ああ」

 二人がコースに戻り、走り始めた。

 後はゴールするだけだ。

 だが、その手はずっと繋がれたまま。

 そのことに応援席からはどよめきが起きている。

 それはそうだろう。

 どんなお題であってもわざわざ手を繋いで走る必要などないのだから。


 そんな二人に、瑞穂達も悠介達も目を大きくしていた。

 雪愛のお題が何かはわからない。

 けれど春陽を連れて行ける内容だったことは確かだ。

 そして何よりも手を繋いで走っている二人は明らかにただのクラスメイトや友人という感じではない。

 だが、彼らはすぐに笑みを浮かべた。

 瑞穂達は雪愛が覚悟を決めたのだとわかった。

 悠介達は雪愛がこの競技で春陽との仲を示そうとしているのだと思った。

 二人の関係を知っている彼らは声を大きくして走る雪愛と春陽にエールを送るのだった。


 雪愛は春陽のところへとやって来てからずっと笑顔だ。

 そんな雪愛を見て春陽も自然と笑みが浮かぶ。

 雪愛が春陽を見た。

「ふふっ」

 本当に楽しそうに雪愛の笑みが深まる。

 二人にとって周囲のどよめきなど気にするものではなかった。

「雪愛、どんなお題だったんだ?」

 走りながら春陽が訊く。

「んー?まだ内緒だよ」

 イタズラをする子供のように無邪気に言う雪愛。

 春陽の顔に苦笑が浮かぶ。

 雪愛にそんな風に言われては春陽にこれ以上問うことはできない。


 そして、とうとう二人は手を繋いだまま、一着でゴールした。

 ゴール地点にいる実行委員が雪愛からお題の紙を受け取りその内容を確認した。

 すると、その実行委員は驚きに目を大きくし、中々言葉が出てこない。

「っ、………えーと、これ本当に言っちゃっていいんですか?」

 まさかの実行委員からの確認が入る。

 かなり戸惑っているようだ。

「はい!ちゃんとその通りの人を連れてきましたから」

 雪愛は迷いなく実行委員に言葉を返す。

 そんな雪愛に実行委員は言葉を失くし、再度お題の紙に目を向ける。

 このお題をクリアできる人なんてカップルくらいだと思っていた。

 それでもこんな全校生徒の前で連れてこれる人は少ないだろうと思っていたのだ。

 そのために考えた救済措置でもあった。

 失礼ながら、この二人が付き合っているようには見えない。

 それなのに。

 実行委員はもう一度雪愛を見る。

 雪愛は変わらず笑みを浮かべていた。

「……わかりました。それではお題を確認します!お題は、『あなたが恋をしている人』です!それではお聞きします!お連れした方があなたが今恋をしているお相手ということで間違いないでしょうか!?」

「はい。春陽くんが、私の好きな人です!」

 実行委員からの確認に雪愛ははっきりと答えた。

 春陽がそのやり取りに目を大きくし、顔も熱くなってしまう。

 応援席からは先ほどよりも大きなどよめきが起きる。

 しかし、このお題のクリアはカップルを想定していたため、ここで終わりではなかった。

 実行委員は悪ノリしすぎたかなぁと若干後悔する。

「なるほど!彼女はこう言っていますが、それを受けて、あなたのお気持ちはいかがでしょうか!?」

 それでも忠実にお仕事をする実行委員は春陽にも話を振った。

「っ!?」

 今までにない流れに春陽は一瞬固まる。

 これには雪愛も驚いているようだ。

 けれど、雪愛に春陽が誤魔化すのではないかといった不安は一欠片もない。

 澄んだ瞳で春陽を見つめている。

 今度は春陽が示す番だった。

 雪愛がここまでしたのだ。

 だから―――。

「俺も、雪愛のことが好きです」

 春陽は雪愛を見つめ、はっきりと想いを込めて言葉にした。

 春陽が応えてくれたことに雪愛の胸がいっぱいになる。

「っ、おーーっと!これは!お二人は両想いのようです!素敵ですねー!」

 そんなはっきりと言いそうにない見た目の春陽が誤魔化すことなく言ったことに実行委員は驚き、そしてテンションが上がった。

「よかったですね!両想いですよ!」

「はぃ。嬉しいです。…私の大切な人ですから」

 春陽がはっきりと口にしたことで雪愛は頬を染めている。

「もしかして、お二人はお付き合いされていたり!?」

「「はい」」

「おーーーっ!そうだったんですね!答えてくださりありがとうございました!もちろん結果は合格です!」


 こうして体育祭全体で見れば些細な一幕、借り物競争が終わり、午前の部のプログラムは予定通りすべて進み、昼休みとなった。


 学校のあちらこちらで先ほどの借り物競争、正確には雪愛、そして春陽のことが話題となっていた。

 雪愛のことを知っている者は多いが、春陽のことを知っている者はほとんどいない。

 見た感じパッとした男ではなかった。

 そんな春陽と雪愛が付き合っているというのだ。

 その衝撃は雪愛に振られた者、そして雪愛に想いを寄せたことがある者にとって非常に大きなものだった。

「あいつは誰だ?」「なんであんなやつが?」と春陽のことを話している者もいた。

 また、女子生徒も話題にしている者が多かった。

 雪愛は女子から見ても美人でスタイルもよく非の打ち所がない。

 そんな付き合う相手なんて選びたい放題であろう彼女が選んだ相手が、まさかのあんな陰キャだということに彼女達は驚いたのだ。

 中には、雪愛のことを趣味が悪いと失笑する者もいた。

 悪意ある噂を流していた女子生徒達だ。


 そして春陽達のクラスメイトは朝の話もあってその驚きは人一倍だった。

 雪愛が付き合っているとわかったその日に、その相手が同じクラスメイトの春陽だとわかったのだ。

 昼休みになり、春陽は教室に現れなかったが、雪愛は一度教室へと来ている。

 そのとき、雪愛に直接訊いた者もいた。

「なあ、白月さん、風見と付き合ってるってやつ本当のことなのか?」

 顔には嘘であってくれと書いてあった。

「ええ、もちろん」

 だが、雪愛はあっさりと肯定する。

 雪愛の態度は堂々としていた。

 雪愛は自分の意志で借り物競争の際に示したのだ。

 今更何を聞かれても戸惑ったりしない。

「っ、なんで、なんで風見なんだ?あんな陰キャとどうして?」

「好きだから。それ以上の理由がいるかしら?ごめんなさい。今はちょっと急いでるの」

 男子達、そして女子の中にも、もっと色々雪愛に聞きたい者はいたが、雪愛は謝罪した上で、話を切り上げた。

 雪愛が急いでいるのは嘘ではない。

 昼休みは有限だ。

 話しているとあっという間に終わってしまう。

 それに、待たせている人がいるのだ。


 雪愛は手提げを取りに来ただけのようで、それを持って教室を出て行ってしまった。


 男子達の中には、なぜ、どうして、と納得できない者や、五月の連休後辺りから、さらには球技大会で仲が良さそうだったのはそういうことかと悔しがる者など様々だ。

 朝の女子生徒達もてっきり夏休みに会ったイケメンが彼氏だと思っていたので、まさかの展開に驚きを隠せなかった。

 春陽が彼氏ということは夏休みに見た仲良さ気なイケメンが男友達だったということか。

 まさか二股をかけてるとかじゃないよね、と変なことまで考えてしまう。

 なんでよりにもよってクラスでも一二を争う陰キャの春陽なんだと、その気持ちは男子も女子も変わらなかった。


「春陽達めっちゃ話題になってるなぁ」

 悠介が苦笑を浮かべながら言う。

「全校生徒が見てる中であれだけ堂々と言ったからね」

 隆弥も同じく苦笑している。

「でもこれで皆知ったんだ。二学期が始まってからのことを考えたらよかったんじゃないか?」

 蒼真はこれで雪愛の周りも落ち着くだろうと安堵した。

「学校中で騒がれてるだろうに、あの二人は今ゆっくり弁当食べてんだろうな」

 和樹が周囲の状況に対して、静かに二人の時間を過ごしているであろう春陽と雪愛を思い笑った。

 和樹の言葉に悠介達も、「だな」、「そうだね」、「違いない」と笑い合うのだった。


「雪愛頑張ったよね。本当すごいと思うよ」

 自分なら絶対にできないとわかっているからこそ、雪愛のことをただただすごいと瑞穂は思う。

「風見っちもー、あんなにはっきり言ったもんねー。ゆあち嬉しかっただろうなー」

「雪愛ちゃんも風見君もすごいよ。本当によかったって思う」

「今頃ゆっくりお弁当食べてるのかなー?」

「屋上なんて人来ないし、イチャイチャしてたりしてね」

「それならー、きっとゆあちが攻めてるねー」

「そんなことは、って言いたいけど、雪愛ちゃん風見君のことになると人が変わるもんね」

 瑞穂達も春陽と雪愛のことを話しながら、その顔はずっと笑顔だった。

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