第2話 後悔先に立たず、本当それ

 なんでこんなことになっているんだろう、雪愛は男たちに囲まれながら深いため息を吐いた。


 今日もいつもと変わらず、学校に行き、二年のクラスメイト達とも仲良くなってきて、新しい友達もできた。

 男子達のチラチラと見てくる視線は嫌だが、今さらのため、気にしないようにしている。

 昼休みに母からメッセージがあり、今日は帰りが遅くなるから晩御飯は一人でお願い、とのことだった。

 母の仕事柄、新年度を迎えた時期は忙しいことが多いため、雪愛も特に気にすることはなく、『わかった。母さんあんまり無理はしないでね。』と返した。

 晩御飯は外食にしようと決めた。

 駅前に行ってみたいお店もあったし。


 放課後、晩御飯まではどうしようかと考えていると、雪愛はこのクラスでできた友人からカフェに行かないかと誘われた。

 友人たちとカフェでお喋りもいいなと思ったが、話を聞いていくと店員がイケメンで――なんてその店員がいかに格好いいかという方向の話になっていったため、これは断ろうと思った。

 何で自分からそんなところに行かないといけないのか。

 格好よかろうがなんだろうが、男に変わりはない。

 偶然店員が男性というならまだしも、彼女たちはその男性店員目当てだと言う。カフェの中でもそっち系の話ばかりだったら少々辛い。それに、わざわざ嫌な視線を感じる可能性のあるところに行きたくはなかった。


 だから雪愛は今日は予定があると断ることにした。また誘ってほしいと加えて。カフェやファミレスでお喋りすることは好きなのでその気持ちは本当だ。

 一年の頃からの友人も一緒におり、彼女たちからはそうよねっていう感じの苦笑いが浮かんでいた。

 雪愛は男性が苦手……というかあまり好きではないことを去年一年で理解してくれているからだろう。


 友人たちと別れて、あらためて放課後どうしようか考え、カフェと聞いてしまったからか、カフェで一人小説を読もうと決めた。

 雪愛は小説が好きだ。

 ジャンルに拘りは無いが、その世界観に没頭したり、繊細な心理描写などに感情移入したりして集中して読んでしまう。


 そうと決まれば、早速電車に乗り自宅の最寄り駅で降り、駅前のカフェに入って充実したひと時を過ごした。

 気づけば六時半を過ぎていて、そろそろ食事をして帰ろうかなと思い外に出た。


 そのすぐ後だ。

 若い三人の男にいきなり声をかけられた。


 なんでこんなことになっているんだろう、雪愛は男たちに囲まれながら深いため息を吐いた。


 いかにもこういうことに慣れています、という見た目で、アルコールの臭いもしていた。

 彼らは、自分達が有名な私立大学に通っている大学生だと言い、一人?名前は?から始まり、これから一緒に遊びに行かないか、カラオケでもどう?、ご飯食べに行く?と次々と言ってくる。

 その度に行きません、結構です、急いでますのでとそれだけ返しその場を去ろうとした。

 しかし、彼らから離れようとしても三人で囲むようにして逃げられない。

 このやりとりの間ずっと彼らの視線は私の顔、胸元、足とニヤニヤとした嫌な笑みを浮かべながら上下していた。そんな視線に晒されながらかわいいだのスタイルいいだの言われても気持ち悪いだけだ。

 こんな視線を寄こされて気づかないとでも思っているのだろうか。

 それともこちらが嫌な感情を抱くと考えつかないのだろうか。

 さっきまでは充実した気持ちだったのに、彼らのせいで気分は急降下だ。

 雪愛は思う。『これだから男なんて嫌いなんだ』と。

 そして、逃がす気はないと言わんばかりの彼らの態度に徐々に恐怖がせり上がってきた。

 もう何も言葉を返したくなくて、いつになったら諦めるのか、と雪愛は黙って相手に目をやった。


 しかし、何を言っても相手にしない雪愛にしびれを切らしたのか、とうとうその中の一人が雪愛の腕を荒く掴んできた。

「いいからさ。とにかく一緒にカラオケでも行こうよ。そこならご飯も食べられるし」

「まずは移動しよう」

「こっちだよ」


「っ!?離してください!」

 雪愛は言うと同時に掴まれた腕を思いっきり自分の方に引き戻した。

 そのとき、雪愛の上半身に液体が大量に飛んできた。

「うお!?」

「きゃっ!?」

 男の声と雪愛の声が重なった。


 雪愛が液体のかかった場所を見てみると、制服の胸元あたりがびっしょりと濡れていた。染みはお腹のあたりにまで及んでいる。

 制服のブレザーとカーディガンを着ていたとはいえ、胸元のシャツは濡れてしまって透けていた。

 雪愛はサッと胸元を腕で隠し、キッと腕を掴んできた相手を睨んだ。

 その目には少し涙が溜まっていた。身体は怒りからか羞恥からか恐怖からか、小刻みに震えている。


 雪愛が男を見やると腕を掴んできた反対の手にはペットボトルの水があった。それが腕を振り払った拍子に自分に飛んできたようだと雪愛はそこで理解した。


 そんな雪愛の反応にもニヤニヤとした笑みを浮かべながら男たちは言葉を続ける。

「いや~、ごめん。ごめん。びしょ濡れになっちゃったよね。君が突然腕を振ったからだけど、お詫びに服乾かすからさ。さ、行こ、行こ」

「本当こいつがごめんね~。けどあんな風にしたら俺たちもびっくりするよ。そんな恰好じゃこのまま外にいられないでしょ。とりあえず移動しよ」

「そ、そ。早く移動した方がいいよ。こっちにいいところあるから」

 早く逃げないと、雪愛は必死に考えるが、身体が強張って上手く動かない。

 そもそも、雪愛が逃げられないように三人が囲んでいたため、雪愛はさっきから逃げられていないのだが、様々な感情が交錯して上手く頭も働かない。


 そして男はそのまま雪愛の肩に手を伸ばしてきた―――――


「すみません」

 雪愛の肩に手が回される寸前、突然別の男性の声が割り込んできた。

 そしてサッと男たちと雪愛の間に身体も割り込ませた。


 春陽は、チラッと雪愛に目を向け、驚愕に目を大きくした。

 光ヶ峰の生徒だということはわかっていたが、まさか雪愛だとは。

 なんで?どうして?これ不味くない?駄目じゃない?と高速に頭を回転させる。その間わずか二秒。しかし、同じことをぐるぐる考えるだけで全く意味はない。


 その間も男達は何だお前!?誰だ!?突然現れやがって!と突然の乱入者相手に騒いでいる。


 とりあえず、春陽は考えることを止めた。

 着ていたジャンパーコートを脱ぎ雪愛の肩にかけるようにし、

「もう大丈夫だから」

 と雪愛の目を見て小さく言った。


 雪愛は一瞬身体をビクっとさせたが、春陽はそれに気づかないで男達に向き直った。

「それで、彼女に何か用ですか?」

 言葉遣いは丁寧だが、その言葉にはすごい圧が込められていた。

 その圧に若干気圧されながらも男は言い返す。


「お前なんかに関係ねえよ。いいからそこどけよ!」

「そうそう。こっち三人だよ?変な正義感出してないで消えなって」

「ヒーロー気取りかよ」

 ムキになるもの、薄ら笑いを浮かべるもの、嘲笑するもの、三者三様だが、春陽を馬鹿にしていることだけはわかる。

 アルコールの影響で気が大きくなっているのもあるし、もうすぐ連れ出せたのにという思いもあるのだろう。彼らは冷静ではなかった。第三者が割り込んだ時点で引くべきだったのだ。


 そんな男たちの様子に春陽は一度はぁと溜息を吐き、小さく呟いた。

「一人の女の子に寄って集って何やってんだか」

 自分が割り込むことで諦めるならそれでよかったが、雪愛のことも気にかかる春陽はさっさと終わらせることにした。

 春陽は、先ほど雪愛の腕を掴んだ男を指さした。

「あんた。さっきわざとその中身彼女にかけたよな?それがあんたらのやり口か?」

「っ!?ただの偶然に決まってんだろ!それにお前は関係ねえだろうが!」

「じゃあ警察でも呼ぶか?彼女の様子を見て、あんたらの行動聞いて、どういう対応になるかな。あと、関係なくなんかないんだよ。来るのが遅いから駅前まで来てみれば…。あんたら自分ひとの彼女に何してくれてんだ?」

 ひどく昏い眼で凄む春陽からの圧に男達は背中に寒いものを感じた。

 三対一で有利なのは自分たちのはずなのに、こいつはヤバいと感じるほど。

 それが彼らを少し冷静にしたようだ。

 周囲を見ると、野次馬のようにこちらを見ている人間が何人もいる。

 このままでは目の前の男じゃなくても本当に警察を呼ばれかねない。

「……もういい。興醒めだ。こんなの放っておいてもう行こうぜ」

「……ああ……そうだな。マジになりやがってくだらねえ」

「……だな。こっちは彼氏持ちなんか興味ないっての」

 そんな捨て台詞を吐きながら男達はようやく雪愛を解放して繁華街の方へと去っていった。


 ふぅと一息吐いた春陽は、雪愛に向き直った。

 雪愛は少し俯きがちで表情ははっきり見えなかったが、僅かに震えているようだった。

「あ~…と、大丈夫ですか?もうあいつらは行きましたよ」

 春陽は雪愛に対し知らないフリをすることに決めた。

「……ありがとうございました…」

 少しの沈黙の後、小さな声でお礼が返ってきた。

「いや……こっちこそ、最後彼女だなんて言ってすみませんでした。追い払うための方便で……」

「……わかってます…」

 春陽には一瞬雪愛の身体がビクッとしたように見えた。

 男性が苦手とか好きな人がいるとか噂のある雪愛に対し理由があったとは言え、気分の悪いことを言って怒らせてしまったのかもしれない。

「それで、この後は一人で帰れますか?それか誰かご家族が迎えに来たり…」

「…………」

 今度は沈黙。

 春陽は困ってしまい、それが表情にも出てしまっている。

 雪愛ももう早く帰りたいという気持ちはある。だが、今の出来事が自分でも想像以上に怖かったようだ。

 今は一人になりたくない、けど、母は仕事でまだ帰ってきてはいない。

 それが沈黙となって表れていた。

「えーっと、水だったからシミとかにはならないと思いますけど、服濡れちゃってるから早く着替えるなり乾かしたりした方がいいんじゃないかと……」

「…………」

 またも沈黙。ただし、今度は肩にかけられたジャンパーコートを握る手にギュッと力が入った。

 沈黙を続ける雪愛に対し春陽は、早く店に戻りたいという思いから一つ決断をした。

「……あの、良ければバイト先の店に来ますか?飲食店なんですけど、オーナーの住居兼用なのでそこなら服を乾かすこともできると思いますし、オーナーは女性ですから。どうですか?」

 その言葉にバッと顔を上げた雪愛は数瞬後一度コクンと頷いた。


 その反応に、春陽は声には出さず、溜息を吐き、どうしてこうなったと空を見上げた。


 店に向かう道中で雪愛から、そういえばお名前は、と尋ねられた。「私は白月雪愛と言います」と言われたが、春陽は、「……ハルって呼ばれています」とフルネームは避けて答えた。

 どのみち店ではハルとしか呼ばれない。

 雪愛は春陽の答え方にはぐらかされた感覚を受け、あまり自分のことを答えたくないのかなと思った。


 以降は、特に会話も無く二人はフェリーチェに辿り着いた。


「ここが俺のバイト先です」

 春陽は建物に目を向け雪愛に告げた。

「え?このお店って……」

 雪愛は茫然とお店を眺めていた。

「どうかしましたか?」

「あ、いえ。今日ここで晩御飯を食べようって考えていて…。まさかこんな風に来るなんてって……」

「そうだったんですか。それならぜひ食事もしていってください」

 春陽は、まさか何も起こらなくても雪愛がこの店に来る予定だったと聞いて心の中で驚愕していた。いったい何の因果か…。

 だが、そんなことはおくびにも出さず雪愛に食事をしていくように誘う。

 すでに春陽はこの後の麻理への事情説明が面倒くさくて仕方がなかった。


 そして、扉を開け、雪愛が入れるように扉に手を添えたところで、

「いらっしゃ―――ってハル?遅かったわね」

「あの、麻理さん実は―――」

 説明をしようと雪愛が入ったことを確認して麻理に近づこうとした春陽だったが、春陽が入った直後に春陽が着ていたはずのジャンパーコートを着た雪愛が入ってきたのを見た麻理が先に声をあげた。

「ハル!?あんた何で女の子連れ帰ってるの!?まさか!?」

 麻理が驚くのも無理はないとは思う。春陽に牛乳を頼んだらまさかの女の子を連れ帰ってきたのだから。しかし、まさか!?に続く言葉が何か春陽にはわからない。

 分かりたくもないとも思う。


 この時点で頭が痛くなってくるのを必死に堪えながら、春陽は雪愛を連れて麻理のそばに寄っていった。

 頭の中では、なぜこうなってしまったのかと全部自分の言動が原因の一連の流れを後悔していた。

 雪愛の服は濡れており早くしないと風邪をひいてしまうかもしれない。

 春陽は、早く雪愛の状態を何とかしなければと、後悔で疲れ切った心を奮い立たせ、麻理へ説明するのだった。


「麻理さん、実は――――」

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