…………1-(6)
パーティの当日───。朝からハイテンションで、深沢は荒れ捲っていた。恐ろしいまでの形相で、どんどん準備を進めていく。スタッフとの待合せは昼過ぎ、パーティ会場であるホテルのロビーだ。時間はあるのだが、深沢の仕事は多い。全てを自分でしているため、ホテル担当者と話をしている。沢山の花の位置を指示し、受付係の夏川と佐々木と軽い打ち合わせをしながら、のんびり座っているなつめの所に戻ってきた。
「控室に行くぞ」
深沢専用の部屋と、スタッフ専用の部屋を用意している。奥にある部屋のドアを開けると、会場に飾り切れない花が、部屋のなかまでも置いてある。深沢の人脈なのか、物凄い量である。すぐに沢山の荷物を運び込み、ロッカーに衣装を掛けていく。広々とした部屋が急に狭く感じる。
スタッフと呼ばれる何人かの若い人たちがやってきた。会場でのダンスタイムの時の相手や、その他の雑用でも動いてくれるように、深沢が呼び寄せた知り合いでもあった。目の回るような忙しさの中でも、準備は着々と進んでいく───。
深沢はドアを閉め、大きな溜息を吐き出した。衣装の中なら、パステルブルーのスーツを取り出し羽織る。衣装の派手さに、唖然とした視線を向けていたが、
「お前も早く着替えろよ」
「あぁ…」
心臓が出てきそうなくらい緊張しているとは、とても言えなかった。みんなが華やかな装いで別世界であるが、そっと深沢を見る。やはりいつにもまして、惚れ惚れするほどいい男だった。すれ違うスタッフが皆呟いて、見惚れていた。
「先生ってば、今日はよりいい男…」
「あぁ、あの腕に抱かれて踊りたい」
下ネタかよって、思わず突っ込みを入れて、自分も似たような事を思ってしまったので、毒されているなと舌打ちした。
掻きあげる黒髪も、いつにもまして険しい顔つきも、何もかもがドキドキするほど、人目を引き付ける。周りの熱い視線をガンガン受けているにも関わらず、深沢の頭の中はダンスの事しかない。
「これを、ダンスバカなんてな」
思わずクスッと笑うと、深沢がイラついた顔で睨みつける。
なつめは視線を逸らすと、着替えを始める。お客のお迎えの衣装と、演技のドレスを眺めた。演技の衣装は、何度も試着させられたが、お迎えの衣装まで準備しているとは思わなかった───。
今朝、目の前に置かれた包に、深沢の顔を見た。
「なんだよ、これ」
用事は終わったとばかりに、何も言わず自分の部屋へと戻っていく深沢に、難しい顔のまま、包を開いていく。なかには、腰まで隠れる長さのシルバーのジャケット。同色のパンツは、裾に深いスリットが入っている。インナーはデコルテから流れるようにフレアーが入った、輝くようなパステルブルーのシルクで、とても上品だった。思わず溜め息を漏らしたほどだ。深沢と合わせてあるのが分かる。
なつめは黒のTバック一枚になると、ドレスを着ていく。スレンダーななつめの身体によく合い、長い足のラインが美しかった。歩く度に、裾のスリットから白のフリルが揺れ、優雅な足取りに見える。思わず鏡を見つめ、違う自分を見てしまった。深沢の服のセンスの良さに感心する。
その様をずっと眺めていた深沢は、満足そうに側へとやってきた。頭から足の先まで見つめている。肩を当然のように抱くと、クスッと笑った。
「なんだよ」
睨み付けたが、ふと不安になって、自分の着ているドレスを見下ろした。
「もしかして、似合わないとか?」
「いや、我ながら、ドンピシャリってところだな」
「なら、なんだ」
珍しく困ったような様子で何かを考えている。変な感じの態度に首を傾げた。深沢は大きな溜め息を吐き出し、ソファに座わり、自分の胸の上を撫でている。
「ばれるだろうなぁ」
「えっ!どこが?」
「あぁ?何言ってんだ」
なつめの慌てぶりに、眉間にシワを寄せる。深沢の一人事かと押し黙り、なんだか一人で緊張していることに、腹が立ってくる。急にクスッと笑った。
「あぁ、俺は深沢には勿体無いよな。そりゃあ、若いし…」
深沢が一番気にしていることを分かっていて言ってやる。
「自惚れるな!」
深沢は胸のポケットから、手のひらに乗るくらいの箱を取り出すと、それをじっと見つめる。その目は、懐かしさを思い浮かべているような感じがした。箱を持つ手も少し震えているのは、目の錯覚だろうか。
「大切なもの…?」
「まぁな」
少しの間、その箱を見つめ、なつめの顔を見た。箱のふたを開け、なかから現れたのは、淡いブルーの花びらを象った、五百円より一回り大きなブローチ。緻密な技巧とその輝きに心を奪われた。でも、どこか深沢への深い愛情を感じる。そのブローチをなつめのジャケットの胸に付けた。
「これ…っ」
驚いて深沢の顔を見つめると、嬉しそうにそのブローチを見つめていた。今日なぜ、あんなに派手なパステルカラーのスーツを着たのか、分かった気がした。このブローチを付けるために作ったあのスーツ。その内ポケットに、これはずっと大切にあったものだろう。
「落すなよ。俺の大切な宝物だ。絶対に落すな」
深沢の懐かしむ大切な思い出──。なつめがそれに触れると、強く抱き締められる。唇が優しく甘く塞がれる。
「今日が終ったら…」
この前の返事が欲しい、そう呟いて控え室を出て行った。なつめは唇に触れながら、真っ赤になった。奪われた唇は、どこか切ない香りがした。
「──なつめ!」
深沢が叫ぶ度に、なつめは小走りに走り回っていた。確かにこの方が、何も考えなくてすむ。だが、ドレスを着たなつめは、ひと際目立っていた。誰もが奇麗と呟いて振り返った。初めは照れていたが、今はもうそれ所ではなくなっていた。
「デモ(デモストレーション)に出る人たちを集めてくれ!」
「どこに?」
「ホールだ!」
決まっているだろうと睨まれ、なつめはクルリッと向きを変えるが、
「あっ、待て!」
立ち止まって、振り返ったなつめの顔を見て、深沢はしまったと天井を見上げた。すっかり忘れていたことがあった。
「悪いが、俺のバックのなかに化粧箱が入っている。化粧が無理なら、口紅だけでもいいから塗ってくれ。時間が取れ次第、それが最優先事項だな」
小さな声でそう言うと、
「薄くてもいいか?」
「塗らないよりはいい」
渋々だが頷いたなつめに、深沢はため息を吐く。それを見ていた受付係担当の夏川が、深沢の側へと寄っていく。
「先生…、なつめさんの化粧を手伝ってきましょうか?」
「あぁ、頼めるか」
夏川となつめの後姿を眺めていると、生徒たちに囲まれていた。
「彼女は化粧をしなくても十分綺麗だけど…、あの顔立ちだから、化粧映えするでしょうね」
「楽しみだわ…」
化粧をしたなつめがどのようになるのか心配だが、フォローだけは入れておく。
「あいつは、性格も男っぽいからなぁ」
「そうねぇ…」
「元々、化粧が嫌いらしいし、俺もあまり好きな方じゃないからな」
あのままで十分だ。そう言ってしまって思わず、しまったと顔を顰めた。思わず、本音がポロリッと出てしまった。だからといって、日々、化粧の濃くなっていくおば様たちが、ある日突然、スッピンに近い状態で来られたなら、自分がどれほど耐えられるか、真剣に悩む。
演技発表にしても、競技会にしても、化粧は一つのアピールである。元々、顔の表現の少ない日本人の顔は、表現に欠けるところもある。深沢自身も化粧はするし、ワイルドさをより強調するために、修正もいれる。
だが、それとこれと話は別物だ。おば様たちの高まる話し声を聞きながら、今度のレッスンが、とても恐ろしいものに感じた。
一通り通しで演技を行い、ライトの位置や立つ場所、音楽のタイミングなどの確認をして、練習は終わり。カットタイムは、前半の五曲は初級生徒との演技発表。ダンスタイムを入れて、ディナー。ダンスタイムがまた入り、後半からは三曲が上級生徒との演技発表と、抽選会やゲームなどがあり、ゲストの演技発表、最後の深沢となつめの演技が三曲入っている。
いわゆる、踊って食って見て状態の三時間。
それでもたったこれだけのスケジュールだが、夕方五時から始まって、九時までに終われば理想的。今回、このパーティに来られるお客様は、一五〇人程度。そんなに大きなパーティでないとしても、チケット代は二万円だ。来るお客に対しても、身内楽しいでは済まされない。どれだけ楽しませるかも、これからの深沢自身に関わって来る。こんな世知辛い世の中で、ダンスで生きていくには大変なことだ。
不安は、気を抜いたときに、襲いかかって来る。
「……っ!」
深沢は打ち合わせを終え、時計を見つめると、なつめの姿を探した。丁度、ばっちりと付け睫毛までしたなつめが近寄ってくる。ナチュラルだが、目鼻立ちのはっきりとした化粧になっている。深沢好みのいい女に仕上がっていた。
「お前、美人だな…」
「当たり前…」
口調はそのままだが、なつめの顔色が変わった。周りのスタッフに笑みを浮かべ、深沢の腕を掴むと、そっと控室を促した。
「…あぁ。俺らも、飯を食おう」
なつめの肩を抱き、控室に向かっていく。顔面蒼白になっている深沢に、何も言わずついていく。控室に入る前に、丁度タイミング良く通った夏川を呼び止めた。
「少しでいいから、ドアを開けないでほしい」
瞬時に状況を把握すると小さく頷いた。
ドアを固く締め、ソファに座り込んでいる深沢の側に歩み寄る。頭を抱えている姿に、心配げに眉を寄せた。深沢に掛かるプレッシャーなど、分かってやれるはずもなかった。だから、自分だって食べたくもない弁当の包を開くと、
「あんたが、今からくたばっていて、どうするんだ!」
「あぁ…」
この世界は、深沢が動かなければ何一つ動かない。深沢のプレッシャーは一人で戦うしかない。苦虫を潰したような顔で、大きな息を吐き出した。いつもは気に入っている『鹿のや』の弁当を見つめる。
「今しか、食えないよな」
「決まっているだろう。体力不足で恥をかくよりは、マシだ」
少しでも違う事を考えて、乗り切って行くしかない。差し出された弁当を掴み、仕方無しに蓋を開けたが──。でも、やはり食欲がないと箸を置きかけた時、
「………」
横を向いて食べているなつめの指が、小さく震えていた。深沢よりも、もっと緊張しているなつめもまた、自分とのプレッシャーと戦っていた。負けん気の強いなつめが、弱音を吐くわけもない。置きかけた箸を持ち直し、とにかく、食べることに集中する。多分、このまま何も食べないよりは、いいに決まっている。黙々と食べ続けていると、
「なぁ…、俺はあんたのなに?」
なつめは小さく呟いた。言ってから、変な事を言ってしまったと後悔する。弁当を置く音に、今のはなしと言おうとしたが、飲みかけていたジュースを取り上げられ、強く抱き締められた。
「大切なパートナーだ」
「それだけ?」
「今日はずっと恋人でいろよ…」
「分かった」
その言葉が素直に嬉しかった。照れ隠しにソッポを向いた。
少しの間、なつめを抱き締めていた深沢は、漸く緊張から解けた気がした。真っ青だった顔に、赤みと余裕が出てくる。
「俺は今日もいい男だろう。惚れたか?」
眉をピクと反応させると、復活したなと呆れた溜息を吐き出す。そんななつめの顔を見つめ、体を優しく抱き寄せた。
どんなことがあっても、なつめとなら最後までやり通せる自信が湧いてきた。
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