第一章 小学生≠大人 3
三
引き続き、社長室前で盗み聞きをしている、中間管理職・仁楠の回想である。
「本当に偶然なのだとしたら、このまま塚がいるのは都合が悪い」
塚、の名前が出てきたことで、仁楠の肩はビクリとした。
「解雇ってことか? いや、まあ、できるならそれはそうしたいけど、難しいだろう」
「まあ、仕事ができるなら、会社としても久々の女性ですし、活躍はして欲しいですよ。
こうしましょうか。大きな案件をやらせてみて、上手く立ち回るならいいし、ダメなら、自信をなくして自分から辞めてくれるかも」
「いきなり上手くできるわけがないでしょう」
強硬姿勢の賀臼と、いつもは柔和で、のんびりと構えている昼鈴とが少し言い合っているようであった。
「わかった、わかった賀臼、お前の言うとおりにするよ。塚の教育係はだれだったか」
「ジンです」
突然名前を出されて、仁楠は肩に力が入った。仁楠は、賀臼からたまに【ジン】と呼ばれる。
「主任になって五年ですね」
「仁楠かー。もう一皮むければ、賀臼と並んで部長代理に上げてもいい、と思っているんだけどな」
「わたしもそう思いますが、たいていの案件をこなせるようになってしまって、殻を破る機会がなかなかなさそうで」
昼鈴と黒根が自分を高く評価していることに仁楠は快く思った。
「ジン自身多忙でもありますので、再来週からは教育係は郡馬に移る予定です」
「郡馬か。次の主任候補だったか」
「どうしますか。ことの顛末をすべて話して、うまく塚を退職に追い込めば主任にしてやる、と言っておきますか」
「お前は強引すぎるぞ、賀臼」
「あなたには言われたくないですよ。あちらこちらで子供つくってきて」
仁楠は両手で鼻と口を押えて、荒くなる息を何とか抑え込んでいた。
話を最初から聞いていなかったとはいえ、この話の流れだと、十中八九、塚は黒根の隠し子か何かで、意図的かどうかはさておき、この会社に、望まれない形で入社した、ということになる。
また少し話はズレて、この会社の入社形式を説明しておく必要がある。
ハンブルク研究所は、その規模の小ささから、採用とは言っているが、繋がりのある都内の大学から年数人紹介をされる学生の面談をしているという具合で、宣伝や広告はほとんどしていない。
また、採用、と言っているが、売り上げを伸ばすのに躍起になる会社ではなく、待遇は一般水準で、世間が好景気ならむしろ下回るくらいなので、どちらかというと学生側が了承するなら入社へ迎え入れる、というケースが大半だった。前身の会社からこのハンブルク研究所になり、初めに入社したのは仁楠だったが、彼の入社経緯もそうであった。
塚の採用について、一体誰が関与したのかは分からなかったが、面接に限れば、仁楠と、人事の部長の昼鈴しか関わっていない。部長、というが、人事部は昼鈴一人しかいない。大きくない会社で、毎年一人採用するかしないかなので、それで十分に回っている。
つまるところ塚の採用については、仁楠の知る限りであれば、大学と、仁楠と、昼鈴、がかかわっている。黒根が塚について関与するとすれば、昼鈴が面接合格の通達を届けたときくらいで、その時点で昼鈴や仁楠が不合格を決めていれば、黒根にはその事実さえ伝わらない。
いやもしかしたら。黒根がそもそも大学に指示をして、ハンブルク研究所へ紹介させた可能性があった。
しかしそれも可能性としては低い。その場合、面接合格のためには、仁楠か、昼鈴がその事実を知っていなければいけないが、仁楠は塚については出身大学くらいしか知らず、昼鈴も、この様子だと、この日か、あるいはその数日前にやっとことの全貌を知った、という具合だった。面接で落とされてしまえば、黒根がかかわった意味がなくなってしまう。
そうなると、塚は、偶然、このハンブルク研究所を受けて、入社した、という仮説が一番信ぴょう性がある。
その後、黒根、賀臼、昼鈴らが、塚は黒根の隠し子ではないか、と突き止めて、都合が悪いので、なんとか退社に追い込めないか、と画策していることになる。
話も終わりに近づいた、と感づいた仁楠は、じり、じりと、少しずつ靴をずらしながら、ドアから距離を取り始めた。これは大変なことになった、と思ったが、
『自分の知らないところで退社を迫られるなんてかわいそうだ。守らなければ』
という思いと、
『郡馬に与えられたポジションを自分が横取りして、塚を穏便に辞めさせることができれば、自分も部長に大きく近づけるのでは』
という思いとが、仁楠に同時に湧いた。
これは、この二つの案のどちらでいくかで、自分の未来は変わるぞ、と、仁楠は良い意味でゾクゾクした。
「とにかく、塚を追い詰めるようなことはするなよ。したらクビだからな!」
黒根の大声を、仁楠は階段手前で耳にしてしまった。
【塚を傷つけたらクビ】
明日からの自身の行動に制約ができた、と気づいた仁楠は、悪い意味でゾクゾクした。
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