第一章 小学生≠大人
第一章 小学生≠大人 1
一
主任の仁楠(ニクス)は最近胃が痛い。
新入社員の塚(ツカ)が、名字は違うとはいえ、どうも社長の黒根(クロネ)の娘ではないかという話を聞いてしまってからだ。
新人が社長令嬢となれば、これはもう、全力で褒めて気に入られるしかない。
「塚さん。ちょっといいかな」
郡馬(クンマ)が塚を手招いている。塚は元気よく返事をして、長身が映えるようになのか、スラっと立ち上がった。この会社は服装自由なので、塚はヒールではなく、かわいいベージュのスニーカーで出勤している。底が少し薄いのか、耳をすませばペタペタと音が聞こえてきそうだ。
仁楠はハラハラした。郡馬は仁楠の部下、サブの役職についている。仕事はできて頼りになる男だが、少し言葉遣いに棘がある。比較的、ではあるが、今やこの会社一番の過激派かもしれない。
組織の中なら、一人は、歯にものを着せず言う人間がいる方がいいとは仁楠は思っているが、塚が社長の娘となると話が変わってくる。
頼む、郡馬、優しくしてくれ。
俺たちは環境コンサルタントだぜ。社内の空気の環境を守ってくれ。仁楠は祈るように手を組んだ。
「塚さんさ、入社してどれくらい経ったっけ?」
「二か月経ちました! 早いですよね」
「うん。まあ、まだまだ教育期間だし、いっぱい失敗したらいいと思うけどさ」
「ありがとうございます。サブは優しいですね」
「この前置きなんだからさ、何かしら指導を受けると気付いてほしいんだけど?」
少し部屋がピリついた。無宗派の仁楠の祈りなど届くはずがなかった。
仁楠はすぐに郡馬の言いたいことが分かった。週報だ。塚の入社から二か月、塚の週報はいつも仁楠が見て、人事に提出していた。そして今週からは、最初の研修期間は終了、ということで、週報のチェックは郡馬が担当することになっていた。
塚の週報は、緩い。悪く言うと学生気分が抜けないような内容だったが、
『窓の外から緑が見えます。東京とは思えない自然を感じられます』
『先日小旅行をした京都の伏見で、日本酒を飲みました。わたしのお気に入りは唯穂です』
と、読む人を飽きさせないように、という塚なりの工夫だと、仁楠は捉えていた。
仁楠自身は、社内の文書でもあるし、こうした内容を悪く思っていなかったが、郡馬はそうは捉えなかったようだった。
「これね。世田谷区役所へのヒアリングをした日についてだけど」
「森林保護の相談ですよね。来月にはうちから案を出すっていうので、わたしも張り切っちゃいました」
「『ツリーハウスを造って、区民に森林への理解を深めてもらおう』ってさ。森林を守らないといけないのにその木材切り倒しちゃってどうするの。職員さんに絶対言わないでよ。こんなの」
やはり週報の内容だ、と、仁楠は慌てて郡馬の席に向かった。
「どうした、どうした。塚さんの週報かい」
「仁楠さん。先週までの週報、少しでいいのでぼくにも見せてもらえませんか? こんなの作文じゃないですか。報告書としての体を成していない。これじゃあちょっと」
「いやー。いつも通り明るい内容だなぁ。そうそう、社外文書じゃないし、これくらい明るくないとね」
仁楠は少し大きな声で盛り上げて、不服そうな郡馬を制そうとしたが、塚の方から
「そうですよね、まだまだわたし、考えが浅いというか、幼いですよね」
と落ち込む様子を感じるや否や、社長令嬢を傷つけてはならぬ、と仁楠は、
「何を言っているんだい。幼いのは歓迎だよ。ぼくらが塚さんに求めるのはぼくらと同じ回答や思考じゃないんだからさ、その調子でどんどん行っちゃってよ!」
と、慣れない調子で盛り上げながら、塚を席に戻るよう促した。
「主任、あんなのでいいんですか? そりゃあ、週報、ということを考えなければ、彼女自身が今週学んだことは良く分かるし、文才というか、学を感じる部分もたまにはありますけど。
それでも、報告書を書く練習も兼ねているわけですよ」
仁楠からすれば、郡馬の言い分は良く分かった。だが仁楠としては、塚が本当に社長の娘だった場合、彼女を傷つけることをすれば、自分も、そして加害者となってしまった郡馬もクビが危ないと考えた故の行動なので、
「悪い郡馬くん。もう少しだけ、長い目で見てやってくれ。仕事自体は悪くないんだ」
となだめた。郡馬は不満気だったが、郡馬からしても、主任の仁楠の言う通りにしていれば、自分もサブから主任に昇格するチャンスがあるだろう、と考えたのか、黙っておくことにした。
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