第30話・儀式

 ぼちゃん。

 どぼん。

 だぼん。


 どこからか、水の音が聞こえる。なんだろう、と貴子は思った。頭がくらくらするし、何やら寝ている場所が動いているような気がする。それに、体がうまく動かないような。


――私、どうしたんだっけ。


 ごろごろ、がらがら。体の下から音がした。これは、台車だろうか。自分は、台車に乗せられて、どこかに運ばれている?

 何かがおかしい。確か、増岡家で朝食をもらって、会議をして。徹夜の疲れが出たので、仮眠を取らせてもらったはずである。ちゃんと、暖かいふとんを借りた。またお昼に起こすね、と典之に言われて、うん、と頷いたはず。

 じゃあ、これはまだ夢なのだろうか。どこかに運ばれている気がするのも、少し離れたところから水音がするのも。いや。


――何か、おかしい。なんで、体がうまく動かないの?金縛り?いや、これは……。


 腕が、縛られている。後ろ手で、縄でがっちりと。これではまるで、誘拐される間際であるかのような。


「いやああああああああああああ!助けて、やめてっ!」

「!?」


 突如上がった悲鳴。違う、これは夢じゃない。紗知ははっとして目を開いた。そして気づく。

 頬の下が冷たい。自分は、冷たい台車の上に乗せられているようだ。全身が酷く重い。足がまるで言うことをきかない。無理やり上半身を起こしたところで、ようやく視界が明瞭になってくる。

 まず見えたのは、ごつごつとした岩肌だ。自分はどこか、洞窟の中を、台車に乗せられて移動しているらしい。洞窟の中を、上から吊り下げられた提灯型の明かりが照らしている。

 一体どこに向かっているのか。身をよじってどうにか前方を確認した紬は、絶句してしまった。


「助けて、助けてえええええ!ぎゃあっ!」

「おいこら、静かにしろ!騒ぐんじゃない!他の者が起きるだろうがっ!!」


 何をしているというのか。紬の前には、人の列があるのだ。村の屈強な男たちが、台車に人を乗せ、あるいは小脇に抱えて並んでいる。そしてその列は、古びた石造りの井戸へと続いているのだ。うっすらと照らされた井戸の縁石は苔むしていて、現在は使われていない古井戸といった様相だった。そもそも、傍に桶もないのだから使いようがないだろう。

 その井戸に、今。若い女性が一人、落とされそうになっている。二十代らしき女性は、両手両足をばたつかせて井戸の中に落とされまいと抵抗していた。


「なんで、なんでこんなことするの!?わたしが何したっていうのおおお!?」

「うるさい!仕方ないだろ、こうするしかないんだから!」

「こうするしかって何!?意味わかんない、意味わかんないから!!」

「黙れつってんだろうが!」

「ぎゃっ」


 男は女の顔を力いっぱい殴りつけた。のけぞった女の顔から血が飛び散る。だらだらと鼻血を流す女の、その鼻がどんどん青紫色に腫れて変色していく。鼻の骨が折れたのだ、と気づいてぞっとした。

 しかもそれではすまない。男はぐったりした女の口を強引に開かせると、その中に鋏を突っ込んだのである。じょきん、と音がして女の眼が見開かれた。


「んあああああああああああ、あああああああああああ!ああああああああ!」

「ちっ。舌を切っても煩いもんは煩いか。仕方ねえ、さっさと落とした方がいいな」


 舌を切る。落とす。一体、こいつは何を言っているのだろう。そして、他の者達が誰一人、男の蛮行を止めないのはどうしてだろう。

 女性は苦しみに悶えながら、井戸の中へと落とされた。ぼちゃん、と水音がする。――さっきから聞こえていた水の音は、人を井戸へ突き落とす音だったのだと今気が付いた。


――嘘でしょ。なんで?


 彼女の次。小学生くらいの男の子は、気絶しているのかぐったりと抱えられたまま落とされた。

 さらにその次の赤ん坊も同様。ぐっすり眠ってしまっているのか、おくるみに入ったまま井戸の中へと投げ込まれる。上がる水音は、女性の時のそれより遥かに小さなものだった。

 列がどんどん短くなっていく。紬は、がくがくと全身が震えるのを止められなかった。


――これ、これ……!人を、井戸に落とす列なんだ。つ、つまり……私も、このままじゃ井戸の中に落とされるんだ!


 一刻も早く逃げなければ。そう思うのに、体がまるで言うことをきいてくれない。今自分を殺そうとしているのは生きた人間であって怨霊じゃない。だったら、金縛りなんて芸当ができるはずもないのだが。

 ふと、紬は己の両足を見て気づいた。さっきからちっとも言うことをきいてくれない己の足。何か、強烈な違和感がある。ジーパンから伸びた、己の足は何故か靴を履いていないのだ。

 いや、履いていないだけじゃなくて。


「ひっ」


 足首に、真っ赤なものが巻かれている。

 違う、あれは――真っ赤に染まった包帯だ。気づいた瞬間、激痛が脳天を焼いた。


「ぎゃあああああああああああああああ!痛い、痛い、痛いっ!?な、なにこれ、何、これっ!?」

「!」


 ここでようやく、紬を台車で運んでいる男がこちらに気付いたらしい。典之より少し年下の高齢男性であるようだった。彼はすぐに手で、紬の口を塞ぐ。


「静かにしなさい!あんたも、舌を抜かれたいのか!?」

「うう、ふうううぐうう……!」


 訳がわからない。お願いだから、状況を説明してほしい。男性の顔を睨みながら紬は思う。

 だって、足が痛いのだ。千切れてしまったのではないかと思うほど。あの包帯――ろくでもないことをされたのは明らかではないか。

 その上今台車に乗せられて、井戸に落とされそうになっている。せめて理由を知らなければ、納得なんてできるはずがない。


「……ごめんよ。貴子さんのお友達を、犠牲にするのは気が進まないんだけどね。仕方ないんだよ。貴子さんを見逃して貰うだけでも精一杯だったんだから」


 申し訳なさそうに眉をひそめる男。その顔には見覚えがあった。確か、増岡家の親戚――最後の会議の中にいた男性ではないだろうか。彼が、貴子から見てどのような親戚関係にあるのかまでは知らないが。


「神社の人が見つけてきたんだよ。下から来る怨霊たちを封じ込める方法。それは、礎のあった場所に強い封印を施すことだけなんだ。……最初の生贄を捧げたあの井戸に、新しい生贄を捧げて鎮めることだけなんだよ。それも、地下の怨霊たちが満足する人数が必要なんだって」

「ふ、ふうっ!?」

「だから、可哀想だけど……昨夜を生き残った人の中から……観光客や、よそから来た人達にお願いするということになったんだ。そもそも、彼らを村から逃がして、この村で起きたことを拡散されでもしたら困るからねえ……」

「――!!」


 そんな、と言葉を失う。同時に、納得がいってしまった。何故、増岡家の人達が貴子の提案を拒んだのか。観光客と、紬と紗知だけでも逃げて欲しいと言ったのを理由をつけて却下したのか。

 昼間であっても木陰は危ない――それも本当であったのかもしれない。

 でも真実の理由は。この村で起きた惨劇を、よそに漏らされないためであったとしたら。

 その口封じとして、観光客たちが体よく生贄に選ばれているとしたら。


「ひゃ、ひゃめてっ……!」


 口を塞がれているせいで、はっきりした言葉が出ない。それでも紬は涙目になりながら、必死で声を紡いだのだった。


「おねひゃい……だ、だれにも、ひゃなさないから、だひゃらっ……!」

「……すまんなあ、紬さん。あんたに恨みもなんにもないんだが」


 列がどんどん短くなっていく。再び、女の悲鳴が上がった。


「いやあああああ!な、なんですかこれ!な、なんでっ」


 紗知の声だ。紬は強引に男を振り払って、上半身を持ち上げる。

 そして、今まさに井戸に落とされそうになっている紗知の姿を見てしまう。


「紗知ちゃんっ!」


 ばたばたばたばた、と洞窟の外から足音が聞こえた。一つ二つではない、複数だ。振り向けば、息を切らして駆け込んできたのは一組の男女。典之と、それから貴子だ。


「貴子先輩!」

「紬ちゃんっ!」


 彼女は必死で紬に手を伸ばしてくる。しかし、そんな貴子を後ろから追いかけてきた男達が羽交い絞めにした。同じく、典之も別の男達に捕まえられてしまう。


「なんや、これは一体どういうことや!なんで、なんで、紬ちゃんたちがこないなことになっとるんや!?今すぐやめい、こんなやり方間違っとる!」


 典之が叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ。


「生贄に生贄を重ねてどうしろっちゅうんや、そないなことしたら、いつまでたっても恨みが消えんだけやろうが!!」

「増岡さん、まだそんなこと言ってるんですか。もう決まったことでしょう。これ以外に、地下に“蓋”をする方法がないんだからしょうがないじゃないですか」


 井戸の傍に立っていた、白装束の男性が言った。中年くらいの年ごろで、何やら烏帽子帽みたいな帽子を被っている。知識がないのでいかんともしがたいが、神官のようなものなのだろうか。恰幅がいいその男は、あきれ果てた様子で儀式場に飛び込んできた貴子と典之をねめつけたのだった。


「七十年近く前に、封印が解かれた時も、同じやり方で鎮めたのですよ。我々だって普通に、地下の怨霊たちを成仏させてあげられたら一番でしたとも。でも、鎮魂の儀を行おうとすればするほど、神職がみんな下に引きずり込まれて犠牲になったと記録されているんです。あたしらは、そんな風に死ぬなんてごめんなんでね。だったら、確実に封じこめに成功したやり方を踏むのが一番ではないですか」


 どっちみち、と神官は列に並んだ人間たちを見回して言う。


「外部に、情報を漏らされるわけにはいきませんからね。いくら黙っているなんて言われたって、現代人はものすごく口が軽いではないですか。あっさりSNSに書きこんだりする。信用なりません。死人に口なし、黙っていて貰った方がいい。怨霊でたくさん人が死んだなんてことになったら、せっかく観光地として成功している村の評判が台無しです。我々みんな、カルト集団と思われても困りますし」

「だからって!だからってなあ!」

「増岡さん。貴方もいいお年でしょう、無理したらいけませんよ」


 次の瞬間、男の一人が典之の頭を後ろから棒のようなもので殴りつけた。典之は低いうめき声と共に、その場で倒れてしまう。


「おじいちゃん!」


 抑えつけられたままの貴子が悲鳴を上げた。ああ、なんだろうこれは。なんなのだろう、これは。

 どうして、こんなバカげたことが、令和のご時世に許されるのか。

 唖然とする紬の前で、神官はあっさりと言ってのけるのだ。


「さあ、さっさと続きを済ませてしまってください。全員井戸に投げ落とすのです」

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