第6話・祖父
貴子の父方の祖父は、名前を
「本当に申し訳ないねえ。なんせほら、今うちはこういう賑やかな状態なもんやから」
田舎あるある、なのだろうか。紬と貴子は玄関からではなく、庭の軒先から招かれることになった。大きな荷物もあったので(ほぼ貴子と紬からのおみやげだが)、確かに玄関からより運び込みやすいという事情もあったのだけれど。
この年の男性にしては極めて大柄な体格の典之は、ほら、といいながら居間を指さした。彼の家は、昔ながらの日本家屋となっている。相当年季が入った古い屋敷だ。和室の奥の障子は開け放たれ、奥の廊下を若い女性が、走っていく小さな男の子を一生懸命追いかけていた。その奥の部屋では、まだ明るい時刻だというのに既に酒瓶を空けているおじさん三人組の姿。そのさらに奥に見えるキッチンでは、年配の女性陣がせわしなく動いているのが見える。
誰がどういう関係なのかさっぱりわからないが、恐らくみんな増岡家の親戚か、あるいは知人といったところなのだろう。
「祭りの時期になると、親戚がひとところに集まってな、みんなでお泊り会みたいにするのが普通や。下蓋村の恒例行事みたいなもんやな」
「何か、理由があるんですか?」
「あると言えばあるかいな。人がぎょうさんおるところには、あやかしも湧き出してこないって昔から言われとるから」
「あやかし……」
縁側に座ったところで、貴子の祖母である晶子がキンキンに冷えたお茶を出してくれる。盆地ということもあって、結構日差しがきつく、熱気がすごい。さっきから汗がだらだらと止まらない状態だったので本当にありがたかった。
貴子はついさっき、キッチンの奥の女性陣に呼ばれて行ってしまったところだ。自分一人こんな呑気に座っていていいのかと思わなくはなかったが、どうにも彼らにとって自分は“異邦人”であると同時に“大事な貴子ちゃんのお友達”であり“大事なお客様”という認識であるらしい。料理の手伝いでもしようかと言ったら、丁重に断られてしまった。まあ、確かに自分のような不器用な人間に、できることなどそうあるわけでもないのかもしれないが。
「その、この村で映画の撮影があったって聞いて。それで、今聖地巡礼ってことで、結構観光の人が来るようになったって」
『おじいちゃん達から訊いてんの。……面白半分で、この村の“邪神”について調べて、つっつこうとする輩が後を絶たなくて迷惑してるって』
貴子の怖い顔を思い出す。
なんだか、この村に来て本当に良かったのだろうかと、そんなことを思い始めてしまっている。自分は別に、この村の伝説じみた話について詳しく訊こうと思っていたわけではない。それは、村に来ることが決まってから知ったことなのだから当然ではあるが。
あくまで、山奥の田舎の村、に来ることで小説のインスピレーションが沸くかと期待していただけのこと。そして、あわよくばこの風景を題材にホラー小説を書いてやろうと思っていただけ。それでもだ。
貴子の様子からして、村の伝説を調べるために迷惑行為をする人間は相当多いものだと見える。
自分がやろうとしていることは本当に、この村の人の迷惑になる行為ではないのか。あのユーチューバー名乗っていた少女たちとさほど変わらないことではないか。なんだか、そんな気がしてきてしまっているのだ。
「その、正直に言いますけど。私、貴子先輩と一緒に文芸部で小説書いてて……ホラー長編を今度新人賞に出そうと思ってて、でもネタが見つからなくて。田舎の村って感じの場所に来ればネタが思い浮かぶかなと思ってて。……なんか、不謹慎だったなって反省してるんです。此処に来ることが決まってから、映画のモデルになったとか、伝説があるとか後で知ったんですけど。その……申し訳ないです」
話してから、こういうことは黙っておいた方がむしろ良かったかもしれない、と少し後悔した。
しかし、典之はそんな紬に嫌な顔一つせず、“あんたは正直もんでええね”と笑ってくれた。
「小説書いとるっちゅう話は聞いとるよ、貴子ちゃんから。電話はようしてたからなあ。それと、君の話もちょくちょく聞いとる。文芸部の中でも、すっごく熱心に頑張ってる後輩の女の子やって」
「ぶ、部長が、ですか!?」
「うんうん。君と一緒に大きな賞取れるように頑張りたいってはりきっとった。……話してるとわかる。君はええコや。貴子ちゃんが友達になりたい思うのもわかる」
うんうん、と彼は眉間の皺を深くして頷いた。実年齢よりこの人が若く見えるのは、よく日焼けした屈強な体もあるだろうが、それ以上にニコニコ笑っているからなんだろうなと理解した。
人間、むすっと怒った顔をしている者は、なんだか老けて見えてくるものだ。
そして年齢問わず、笑顔を絶やさない人間はそれだけで好印象を持ち、長く話していたいと思うようになるものである。
親戚や大学の教授以外で、年配の人とあまり話す機会のない紬だったが、典之は非常に話しやすい男性だと感じていた。ゆっくりと、聞き取りやすい声で話してくれる。きっと、学校の先生をやっているからこそなのだろう。
「小説家や、雑誌の記者さんがうちの村に来るくらいのことは珍しくない。私らかて、そんなことで目くじら立てたりせんよ。ホラー小説といえば、因習モノは昔から王道だから余計にな。むしろ、熱心に勉強しとるなあ、としか思わん」
ユーチューバーさんだってそうや、と彼は目を細める。
「私はネットを見ないから、そういうことはようわからんのやけど……。みんなを楽しませる作品を作るために、毎日必死で頑張っとるっちゅう人達やろ?それは、本当にすごいことやと思うし、頑張っとるなあと思うよ。映画の聖地巡礼でもええし、それをきっかけにうちの伝説に興味を持ってくれるのもええ。観光収入が増えるのは普通にありがたいことやしなあ」
ただ、と彼は続ける。
「貴子ちゃんから聞いた……そのユーチューバーの女の子たちはちょっと心配やね。まだ夏休みやないし、平日やし。それなのに、こんな山奥まで来て。学校はどないしたんやろうか」
「あー、確かに……」
「でもって、この村は直通のバスもあらへん。バス停はあるんやけど、歩くとかなり遠い。……つまり、大人の誰かが送り迎えした可能性が高いってこっちゃ。あかんやろ、大人が、学校サボって動画撮ろうとする子たちを応援したりしたら。事情はあるんかもしれんけど、私はまずそういうことを心配してしまうというかなあ……」
それは、紬が気付かなかった視点だった。流石、学校の先生をやっている人は見ているところが違う。この村の伝説について面白半分に突っつきまわされることより、まず彼女らの身を心配しようとは。
一応、紬も二十歳を迎えている身ではある。しかし、やっぱりまだまだ年配者と比べると未熟だなと実感させられた。少しだけ恥ずかしくなって、足をもじもじとさせてしまう。
「この下蓋村についての話、貴子ちゃんから聞いたかね?」
額に浮いた汗をぬぐって、典之は告げた。
「実は、私らもあんまり詳しいことを知らんのや。昔々……本当に、それはもう神話の時代くらいの昔。この山に囲まれた土地に悪い気が溜まってしまってな。おっそろしい邪神だかあやかしだか、そういうものが生まれて棲みついてしまったという。その結果近隣の人々を疫病で苦しめ、農作物を枯らし、多くの天災を齎した。それに気づいたとある神社の神主だかなんだか……とにかく偉い人がな、その邪神を、この村の地下深くに封印して、大きな蓋をしたという」
「はい。大体それくらいまでは先輩から訊いてます」
「ふむ。では、そこから先は?……その封印を保つために、かつては祭りのたびに生贄を捧げていたという。生贄にされるのは、大抵村にとって都合の悪い人間やな。村の有力者の息子とこっそり付き合っていた貧しい家の娘とか。邪魔になった妾の子供とか。あるいは、権力争いに破れた息子だとか……まあそういう人間たちやね。そういう者達が次々穴に突き落とされて、生きたまま埋められて生贄にされたっちゅう」
それって、と思わず紬はツッコミを入れてしまう。
「なんか……邪魔者を始末する都合の良い道具として、生贄システムが利用されているみたいに見えます」
「正解。実は、私らもそう思っとる。ほんまは邪神なんかおらんくて、適当に邪魔者を始末するのに都合のいい仕組みを作っただけなんっちゃうかってな。大昔なら、飢饉や疫病や天災が重なることくらい、珍しくもなんともなかったんやろうし」
なるほど、そういったことを“いるかどうかもわからない邪神のせい”にしてしまえば、いくらでも“村を守る”という大義名分のもと生贄を増やすことができたというわけだ。
なんというか、どんな悪魔より人間が恐ろしい、の実例であるような気がしてならない。
もちろん、この村の地下に本当に邪神が封印されていた可能性もゼロではないだろうが。
「勿論、今はそんな時代錯誤な儀式なんてやってへん。祭も、今は単に“封印のための結界を強化する”ための簡単な儀式が行われて、おみこしが出て、屋台が並ぶようなふつーのお祭りや」
ひらひらと手を振って笑う典之。
「結界を強化する儀式ちゅうのも、神主さんが祝詞を唱えて、みんなで盆踊りみたいに踊っておしまい、くらいのもんやし。だから、怖いことなんかなーんもあらへん。……今でも生贄の儀式が続いとるんちゃうか?って雑誌の記者さんとかユーチューバーの人達とかにつっこまれることはあるんやけどな。無いもんは無いとしか言いようがないわ。あの方らからすると大層不満やろうけどな」
「じゃあ、ユーチューバーの子が言っていた、地下に怪物を封印する礎とかなんとかっていうのは……」
「そういう噂があるのは事実やけど、ほんまにあるんかは私らも知らん。当然、何処にあるん?とか訊かれても答えようがない」
けどなあ、と彼はがっくりと肩を落とした。
「私らがそう言っても大抵信じてくれへんのには、困っとるんやで。しまいには、神社の、神職以外入ったらあかんって言われとる敷地に勝手に入ろうとする輩までおるし。せやから紬ちゃんも、そういうところに勝手に入ろうとする人らを見つけたら止めたってな。整備されてない道も多くて、普通に危ないし」
「は、はい……」
確かに、と庭の奥を見つめて思う紬である。
鬱蒼と茂る森。石ころだらけ、枝と雑草だらけの獣道。今は明るい時間だからいいが、夜になったらきっと真っ暗だろう。それこそ、崖下に滑落するくらいあってもおかしくはない。
個人的に探索したい場所は多いが、明るい時間に留めておいた方が良さそうだ。紬は心の中でメモを取ったのだった。
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