4-3

☕️


末那と琉那に言われた通り花を摘みに向かっている途中、1人の老人が話しかけてきた。


「きみが雪落くんだね」


「あなたは?」


「はじめまして。私は滝沢 漱吉たきざわ そうきちと申します」


漱吉と名乗る英国紳士のようなその老大人ろうたいじんは、被っていたハットを胸に当てて深々とお辞儀をする。


70代とは思えないくらい若々しく活気に満ちているようなダンディな人。


「残念ながらこちらの世界にいるというのを耳にしてね、意識のあるうちにお礼を言いたかったんですよ。ありがとう」


「いえ、そんな。俺はただあの店が好きだったんで」


それにしても滝沢という名前、どこかで聞いたことがある。


「生前はよくわたしたちの店に来てくれていたみたいだね」


わたしたちの店?


「かず子がよく話していたよ。いつもベンチでコーヒーを飲む強面の青年がいたとね」


強面は余計な一言だが。


かず子ってまさか。


「滝沢 かず子はわたしの女房だよ」


この人、あの滝沢商店の人だったのか。


「バブルが始まるよりも前、地元の子供たちの笑顔が見たいと思って家族と一緒に店を開いてね。最初は良かったんだがバブルが弾けると同時に子供たちがどんどん引っ越していってしまってね。平成になり、少子化が増えるにるつれてそこに拍車がかかってしまってな。気がつけば息子たちの学費も払えないほど深刻だったんじゃ。知ってのとおり、ただでさえ人の少ない場所じゃろ?年々門前雀羅もんぜんじゃくらを張ったように人が来なくなって、毎日糊口ここうを凌ぐ生活が続いたんじゃが、あるとき心臓病を患って入院してしまってな。そこからは女房が1人で店を回してくれたんじゃ。見舞いのとき、よく君の話をしれていたよ」


まさか俺が話題に出てくるなんて思わなかった。


頻繁に通っていたし、1人だけ年齢層が違うからよく覚えられていたのかもしれない。


「しかし、病はなかなか良くならなくてね。退院の目処は立たなかった。数日経ったある日の朝、わたしは脳梗塞で亡くなってしまった。だから最後に女房の顔が見たいんじゃ」


漱吉さんが亡くなって縁国に来て以降、お店のシャッターが閉まったままらしい。


漱吉さんの手元の数字を見ると、“1”と“0”が入れ替わるように明滅している。


明確なタイムリミットはわからないが、もう時間がないのは事実。


なんとかしてかず子さんの顔を見せてあげたい。


でも、俺の手は“1”。


映像を映し出すことも顕現させることもできない。


「担当の涅槃師はいないんですか?」


「さっきまでいたんじゃが、急にいなくなってしまったよ」


ったく、こんなときに担当者は何をしているんだ。


のっぴきならない状況にひどく苛立った。


すると、こちらに向かって走ってくる人がいる。


「兄さん⁉︎」


どういうことだ?


「け、慶永⁉︎なぜここに?」


お互い目を瞬かせながら頭の中を整理しようとしている。


「きみたち知り合いかね?」


「こいつ、俺の弟なんです」


「なるほど。道理で雰囲気が似ていると思ったよ。兄弟揃ってここにいるなんて何と言えば良いか」


こればかりは仕方のないこと。


人はいつどこで死ぬかはわからないものだから。


「漱吉さん、急ぎましょう」


「俺も手伝うよ」


代償は背負わなくても何かしらできることはあるはず。


「いや、慶永は手伝わなくていい」


俺の左手の数字を一瞥した後、行き先をはばむように手をだしながら言った。


「でもそれじゃ漱吉さんが……」


浄化の条件が存世ぞんせいの人と直接関わる場合、通常よりも強い力を刻印に込めないといけない。


兄さんが何かを企むかのようにニヤッとしながら何でもない場所に手を翳すと、曼荼羅の刻印が光を放つ。


直後、兄さんの身体が熱く燃えている。


「兄さん、その手」


指先からハンドベインが飛び出すように浮き出てきてそこから蔦を伝っていくように徐々に全身へ広がっていく。


一瞬にして兄さんの身体は浮き出る真っ赤な血管で覆われた。


曼荼羅の刻印が光を放つと同時に一瞬焦げたような臭いがした。


程なくして目の前に映像が浮かび上がる。


最初に目に入ったのは色落ちした空色のベンチとその横に居座る自動販売機。


懐かしい光景に記憶が蘇った気がした。


ーあの日、俺は誰かに会った。


茶色く長い髪、モデルのように細く白い肌。艶のある唇。片手にアイスを持った美しい人。


あんなに一緒にいたのに顔も声も名前も思い出せない。


また頭痛がしたので目を瞑って深呼吸をする。


滝沢商店を映してから動きはまだない。


漱吉さんの残りの数字を考えると、シャッターが開いていない期間は日にちにすると6日間近く経っているということになる。


「わたしが生きていたころ、店休は多くても年末と三ヶ日の4日間だけじゃった。これだけ長く閉まっていることなんてなかったから心配じゃ」


幼いころから怖いという印象が強かったかず子さんの見方が変わった。


漱吉さんと築いてきたお店を守るために1人で闘っていたんだな。


すると、シャッターが開いた。


待ち焦がれていたかのようにオープンして間もなく子供たちがかず子さんに駆け寄ってきて話しかける。


(おばあちゃん、もうだいじょぶなの?)


(いんふるえんざだったんでしょ?)


(迷惑をかけてごめんね。もう十分休んだから大丈夫よ)


どうやらインフルエンザで休んでいたらしい。


優しい笑顔で子供たちを安心させるかず子さんとは逆に漱吉さんは心配そうな表情だ。


「かず子」


愛する人の名前を呼ぶ言葉に重みと深みを感じた。


目の前にいるのに会えない辛さと長年連れ添った人の笑顔に安堵するように。


いつも通り店の周りには子供たちがベンチの近くで遊んでいる。


腕を後ろに回しながら子供たちを見つめるかず子さんの表情は優しさに満ちていた。


それを見守るように漱吉さんの瞳から一粒の大きな泪がこぼれ落ちた。


満たされたかのようににっこりと笑いながら漱吉さんは静かに消えていった。



映像が消えると、兄さんは静かに語り出した。


「俺は浄化対象者を誤った方向に行かせてしまった」


誤った方向?


「栞菜って子覚えてるか?」


栞菜。

彼氏を待ち続け、結果的に自ら地獄に飛び込んだ子だ。


「あの子な、俺の担当だったんだ」


本音を言うと複雑な気持ちだった。


あのまま彼に会わずこの世界で永遠に漂う魂になっていた方が良かったのかもしれないし、もう何日間か待っていたら気持ちが変わって違う解決策が見てた可能性だってある。


兄さんは当時彼女に手を焼いていて後回しにしていたらしい。


俺はそれを知らずにあの子に関わった。


アキレアがどこまで知っていたのかはわからないが、そのときは浄化させてあげたい一心だった。


「対象者の栞菜が自ら地獄に堕ちたことは担当涅槃師として失格だ。さっき末那さんと琉那さんに呼び出されてな、そのときに慶永が栞菜を救ってくれたことを聞いた後に地獄行きを命じられたよ」


あれは本当に救ったと言えるのだろうか?


地獄に堕ちていく栞菜の表情は満たされていたようには見えなかった。


漱吉さんと会ったときに兄さんがいなかった理由は2人に呼び出されていたからなのか。


涅槃師は対象者を浄化させるためだけに存在している。


それができないものは不要と見做みなされてしまう。


死人とはいえ少し残酷というか冷徹にも思えたが、それもまたカルマなのだろう。


「俺は地獄に堕ちる前に漱吉さんをどうしても浄化させてあげたかった。だから魂と引き換えゆ浄化に必要な大きな力をもらった」


「地獄に堕ちることから逃れられる方法はないのか?」


「いや、これで良いんだ」


兄さんの表情はすべてを諒承りょうしょうしているようだった。


「まぁ俺なりのけじめってやつだよ」


そんなのけじめじゃない。


ここで涅槃師として多くの死者の魂を浄化することこそけじめだ。


否定する気持ちを口に出そうとしたとき、


「そろそろみたいだ」


兄さんの目は充血し、身体中の皮膚が炎症を起こしている。


いまにも燃えそうなくらい真っ赤な湯気が立っている。


「兄さん!」


「迷惑、かけたな」


かすれたような声で振り絞るように言葉を発し、そのまま全身が焼け焦げた。


……言葉が見つからない。


あれだけ恨んでいたはずの兄さんが昔の優しく格好良いころに戻っていたように見えた。


タイミングを図ったかのようにポケットの中のあるものが光り出した。


取り出したそれは生前から持っていたサネカズラのハンカチ。


赤い花弁の刺繍が煌々と彩りを放ち、導くように方向を示す。


俺は疑うことなくその光の射す方へと向かった。


🍦


身体の痛みは消えたけれど頭痛は残ったまま。


脳の一部だけが切り取られたかのようにズキズキと痛む。


「ごめん、ちょっと先行ってて」


突然アキレアがどこかに行ってしまった。


「ちょ、ちょっと!」


先に行くってどこに?


行き先がわからず困っていると、ずっと首にしていたハーデンベルギアのネックレスが突如光り出し、私を導くように光の道を作った。


その道を進むと、辿り着いたのは大きな樹の下。


雲海という名の大地にどっしりと立つハイペリオンの樹。


その周りを囲むように咲く赤い花と紫の花。


その花はサネカズラとハーデンベルギアだとわかった。


この場所は一体何を意味しているのだろう。


しばらくすると、赤いサネカズラは白いスノードロップへと色を変え、ハーデンベルギアは紫苑の花へと姿を変えた。

と同時に、目の前に1人の人が立っていた。


「久しぶり」


優しい声で話しかけられたけれど、誰かわからない。


「紫苑、髪切ったんだね」


紫苑って私のこと?


眼鏡の奥にあるキリッとした目に見覚えがあった気がする。


「あなた、誰?」


☕️


光に導かれ辿り着いた場所は俺がこの縁国に来て最初に見た景色とは違い、白と紫の花が樹の周りに咲いていた。


他人の空似?

それともドッペルゲンガー?


いや、大切な人を見間違えるはずがない。


ここに着いた途端、彼女との記憶が一気に蘇った。


髪は短くなっていても大きな瞳に麗しい唇、白く美しい肌は完全に彼女だ。


ずっと会いたいと思っていた。


なのにどういうことだ?


まさか記憶喪失?


せっかく会えたのに、訊きたいことがあったのに。


消えゆく身体に抗うように諦めたくないという気持ちが俺を突き動かす。


「これ、紫苑からもらったやつ」


スマートウォッチを見せるも訝しげな表情のまま何も答えない。


「はじめて会った場所、覚えてる?」


光を失い元に戻っていたサネカズラのハンカチを見せるも彼女に反応はない。


「一緒に花火見に行って年越して、福岡にも行ったよな」


懐かしむように話すも反応はない。


まるで電池切れの機械のように固まっている。


くそっ、どうしたら良いんだ。


「あの……」


たった二文字だったが、久しぶりに聴いた彼女の声に一瞬喜んだのも束の間、


「人違いじゃないでしょうか?私は五十夜 アステル。その紫苑って人ではないです」


どう反応して良いかわからなかった。


悔しさとか憂とかでは足りないくらいに。


「もしかして、担当と逸れちゃったんですか?」


「……そ、そうなんですよ。気づいたらどこにもいなくて」


真っ直ぐに訊いてきた彼女の言葉は俺の心に深く突き刺さった。

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