破軍巫女の章

第24話 お兄ちゃんとか反吐が出るぜ

 実際のところ「奏詠歌」という人間を陰陽師たちが発見するのは必然だったと言える。詠歌の出現は、陰陽寮に伝わる預言の中で語られていた事だからだ。


『妖の天敵、人類の守護者である破軍巫女は二千二百年ののち復活する』


 その予言は、詠歌が陰陽寮に迎えられた事で成就した。


『破軍巫女』は詠歌が初代ではない。


 遥か昔、今は中国と呼ばれる場所にある古の国に彼女はいた。


 当時その国には絶対的な権力者がおさめていた。周辺諸国を滅ぼし、大帝国を打ち立てたが、その男はもう老いていて、死期が近かった。だがその身の中で燃えさかる欲望は少しも衰えていなかった。


 もっともっと長く生きたい。もっともっと力が欲しい。


 結果、男が願ったのは『不老不死』だ。


 権力を得た人間が最後に願うのはいつだってそれだった。手に入れた力の永遠不変な維持。人生の絶頂期間の永久とわなる継続。その為に不滅の身体を得たい。そんなありもしない幻想だ。


 そこにある男がやって来た。名を徐福じょふく。男は方士(陰陽術の元となった摩訶不思議な術を使う者たち)だ。


『帝よ、東方の海を渡ったその先に、不老不死へと至る仙薬がありまする』


 方士は、その仙薬を得る為に、自分に三千人の力のある少年少女を与えよと願った。愚かな帝はそれを信じた。その方士が詐欺師であるとも知らずに。


 その方士に与えられた三千人の少年少女の中に居たのが、のちの破軍巫女だ。方士の一団は東の海の先――すなわち今の日本に渡った。その末裔が陰陽寮。


 その初代の破軍巫女は名を倫詠りんえいと言う。


 そんな彼女のそばには常に少年が居た。彼は生涯倫詠のそばに居続けた。そしてはまだ続いている――。



  ☆★☆彡


(最悪な気分だなァ……)


 まどろみの中から目を覚ました乙は、全身から汗が噴き出したような、ありもしない感覚に陥った。触手の塊である身体には汗などでないはずだ。なのにそんな感覚がある。


 気分が悪いのだ。


 どうやら、昔の事を夢を見ていたらしい。古い古い夢だ。彼が今の身体になる前の夢。思い出したくもない過去の夢。


(クソが。もう長い間見てなかったのによォ……)


 原因は分かっている。


 先日カタキラウワの騒動のさなか、詠歌に接触する男が居たからだ。


 堂間誠太郎。


 彼女の陰陽師時代からもっと前からの知り合いだという男は、『詠歌ちゃん』と馴れ馴れしく読んだ。そう呼ばれた詠歌の表情が傑作だ。


 笑顔だった。


 驚いた後の笑顔。そして飛び出た『お兄ちゃん』


 堂間は詠歌にとって、近しい知り合いだったのだ。

 

 堂間は、陰陽師ではあるが下っ端だ。陰陽師の家系には生まれたものの、霊力が低く訳に立たなかった。屈強な肉体をもっては居たから、警察に就職し公安の捜査員として生きていた。だがある事件が元で職を失した。


 その事件というのが、ある大陸系の犯罪組織が関与した国家転覆計画だった。


 摩訶不思議な術を用いた要人暗殺と、政治中枢の麻痺。


 公安はかねてから協力関係にあった陰陽寮と協力しその陰謀を潰した。


 その事件の最中に堂間が保護したのが、当時5歳だった詠歌だ。


 だが、警察機構は詠歌を持て余した。


 国際的な犯罪がらみであったし、詠歌が5歳にして常識の埒外の力を有していたからだ。さらに『子供を返せ』と犯罪組織が圧力をかけてくる。その圧力は強く、政治家や財界など多方面から公安に注がれた。


 結果、公安当局は詠歌の保護を諦め、元締めとなっていた中華系の犯罪組織へ返還することを決定。


 それに納得ができず単身詠歌を救い出し、姿をくらませたのが堂間である。その後詠歌は陰陽寮の本部へと移され、破軍巫女として才能を開花させていった。


 つまり詠歌にとって堂間は恩人なのである。彼女が懐くのも仕方のないことだ。


「だから気に食わねェ……ってわけだァ」


 乙は、人外となり果てた自分が人並みの嫉妬心を持っている事にあきれ果てた。二千年以上を生きる化けものだというのに、たかが女一人に、こんなにも心がかき乱される。


「あれ、乙起きたの? 寝てるの珍しいから起こさないでおこうかなと思ってたんだけど。お寝坊さんだぁ」


 見上げれば、詠歌が居る。薄着であった。Tシャツに短パン姿。呑気にもアイスなど咥えている。


『阿頼耶識』内にある隠れ家は一定の室温に保たれるようにしてあるとはいえ、あまりにも無防備な姿だ。


「おい、テメェ、家の中とは言え薄着すぎんだろォ……服はちゃんときやがれ」


「えー、めんどくさいよぉ。今日は瑠璃ちゃんも来る予定ないし、リリカナ配信だけだし。配信はどんな格好でもできるのがいいよね!」


 詠歌の様子はいつもと変わらない。


 堂間と出会った後、詠歌は連絡を交換していた。さすがに阿頼耶識内の隠れ家に居る事は言わなかったようだが、あまりにも無防備だ。


『大丈夫だよ。おにいちゃんは破軍巫女時代も、ずっと私の事心配しててくれた人なんだよ。おばばたちにかけあったり色々してくれたの。そのせいで陰陽寮の本部から遠ざけられちゃったからずっと会えなかったんだけどね』


 と詠歌は言う。


(追われてるかもしれねぇ自覚がねェ……危機感皆無だァ)


 呑気な詠歌に乙は複雑な気分になる。それほど気持ちが緩むほど、現在の生活が快適だ、ということも言える。だがあまりにも緩みすぎじゃねェか? 堂間は一応陰陽師の一員だぞ?


「詠歌ァ、テメェ立場わかってんだろうなァ」


「ほえ?」


 呑気な顔をする詠歌に、乙はわざと冷たい言葉を投げかける。


「俺はこの阿頼耶識ダンジョンから人間どもを叩き出したい。テメェにはその手助けをしてもらう。人間どもを送り込んでるのは陰陽師どもだから、結果的にテメェも陰陽師どもにひと泡吹かせられる。その目的忘れてんじゃねェだろうな? って聞いてるんだ」


「わ、わすれて、ないよ?」


 疑問符がついていた。


 乙は知っている。詠歌は最近ダンジョン探索配信を楽しんでみている。


 復活させた妖たちが探索者たちの相手をしているが、その力は拮抗しているから前のような一方的な虐殺にはなっていない。そのため以前よりも探索動画が見ごたえのあるものになっているのだ。


 妖側で最前線を指揮を執るのは、酒呑童子瑠璃である。


 詠歌は、たまに人間側の配信に映る瑠璃の戦いを見るのが好きだった。リリカナ配信で、視聴者たちと共にきゃいきゃいと騒いでいる姿を見る。


 たまに隠形おんぎょうの術で姿を隠して、瑠璃の手助けをしているのも知っている。詠歌は、現状で満足しているのだ。


 だが、


 それでは。


「――陰陽師どもは、敵だぜェ」


「敵、うん。敵だよね。うんうん。大丈夫全員ヤッツケルヨー」


 と言いつつも、詠歌こいつはいざヤツラが攻めてきても手心を加えるのだろうと乙は思う。今も目が泳いでる。本気でそう思っていない証拠だ。


「許してんじゃねぇぞ、ボケ」


 不機嫌に吐き出した暴言は、触手の塊である乙を持ち上げる腕にかき消された。


「もー、乙ってば心配性!」


 かかえられて抱きつぶされた。柔らかな胸がむぎゅと当たる。


「寝起きだからイライラするんだよ! ほら一緒に配信見ようよ。そのあとごはん食べよう、ご飯! ほら今ライ信さんたちが戦ってるからさっ!」


 乙を抱えたまま詠歌はパソコンデスクに戻る。そして「ね、乙もこれ見てよ!」と笑顔を向けるのだ。


(ケッ、人の気も知らねェで……)


 乙の苦悩は、詠歌には伝わらない。


 彼が抱え込んでいる二千年に及ぶ、破軍巫女にかかわる因縁を知らないからだ。


(奴らが、『倫詠』おまえに何をしやがったか、詠歌おまえは知らねェんだ)


 乙は詠歌の膝の上から彼女の顔を見あげた。その顔は遥か昔に失った思い人と瓜二つである。そんな詠歌が今は近くに居る。生きている。それは乙にとっての安らぎであった。


「まったく、気に入らねェ……」


 満たされている。だが、復讐も忘れられない。そんな二律背反に乙の不機嫌は続く。


  ☆★☆彡


 

 電話が鳴った。

 都内にある、堂間ダンジョン探偵事務所の一室である。


 受話器を取り上げた男は堂間誠太郎だった。


「『やぁ、無能の三星雲母さんせいまいか君。キミたちに命じていた破軍巫女の捜索だけどね、アレ終わりでいいよ』」


 男の口調はあくまで軽い。顔には軽薄な笑みが浮かんでいる。


「『キミたち老いぼれに任せたのが間違いだったね。アレは『永遠丹』の大切な材料だ。その時が来るまで生かさず殺さず、確保しておけと言ったのに、見事に逃がしてくれちゃって』」


 堂間は誠実な男だ。


 陰陽師としては三流以下だが、誰よりも正しさに満ちていた。公安にあっても職務よりも自身の信じる正義を優先した。


「『うん、うん。そうだよ。ボクが見つけた。アレは今『阿頼耶識』に居たよ。おあつらえ向きに、太歳たいさいといっしょに』」


 だというのに、今彼が浮かべる表情はどうだ。誠実さの欠片もない。自身の事しか頭にない傲慢かつ酷薄な顔だった。


「『うん? 堂間。そんな奴はもういないよ。ボクが乗っ取った。いつから? そうだね。ついさっきかな』」


 堂間事務所のオフィスは荒れ果てていた。戦闘の痕によってだ。


 床には、従業員が物言わぬ骸となって転がっている。どれも死に方が尋常ではない。身体中から血を噴き出したもの。ミイラのように枯れ果てたもの。ドロドロの液状になったもの。


 すべて堂間の中に居るモノがやった事だ。


「『エクスカリバーに要請を求めておいてよ。準備ができ次第彼女を捉えると。ついでに、阿頼耶識の最奥へも行こう。彼の本体が待ってるからね。愛しの彼女の生まれ変わりと会わせててやろう』」


 電話の先は、陰陽寮のおばば。三星雲母さんせいまいかたち。


「『あとはそうだね。儀式には贄がたくさんいる。人間と妖、たくさんの魂が欲しいな。その日は大々的にイベントを組んで探索者たちを『阿頼耶識』に入れておいてよ』」


 だが、男の物言いはどこまでも一方的だった。電話の向こうではおばばたちの必死の説得が聞こえるが、そんなものに従う男ではない。


「『ふふふ、拒否権はないんだよ、三星雲母さんせいまいか。キミたち一族の深層意識はボクには逆らえない。そういう式を二千年前から仕込んでいる。まぁ抵抗はしてもいいよ。無駄な努力だと思うけど――』」


 向こうからは、哀れな老婆の慌てた声が聞こえているが、堂間は無視して電話を切った。


 都内のただ中にある堂間事務所からは街の喧噪が聞こえるはずだった。


 だが不思議と今は何も聞こえない。周囲の人間は消えてしまったからだ。


「『二千年前は不発に終わった、『永遠丹の儀』次はどうなるかなぁ。まさか君のところにアレがいるとはねぇ。まだ引きづっているんだね。面白いなぁ。きっと君は、まだ彼女の亡骸を抱いてるのだろうねぇ。早く会いたいなぁ。早く早く会いたいなぁ。楽しみだなぁ、ねぇ天乙てんいつ』」


 堂間の耳から触手がにょろりと這い出る。堂間の眼球がぐるんと裏返る。


 その触手は乙のものと良く似ている。

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