陸 噂の真相
「──お祓いに行こう」
幻覚に追い詰められ、俺達の精神がいよいよ限界に達しようとしていたその日、エバラが不意にそんなことを切り出した。
「親戚にそういうお祓いよくやってる寺の坊さんがいるんだよ。あんまし行きたくはねえんだけどさ……たぶん、助けてくれると思う……」
できることならあまり近づきたくないような口ぶりだったが、エバラはそう言って俺達の説得にかかる。
普段の俺達なら、そんな坊主のおはらいなんか…と、生意気にも突っぱねていたことだろう……だが、完全に追い詰められていた俺達は藁にもすがる思いでその提案に乗った。
その親戚の寺というのは、松本ではそれなりに有名な厄除けの寺だった……。
いろいろ差し障りがあるので名前は伏せさせてもらうが、いわゆる密教系のお寺だ。
「──おまえ達、そうとう悪いものに憑かれているな……」
夏の日差しを遮る青々とした樹々の中、セミの声が木霊する山道をしばらく登り、その寺の境内へと俺達が足を踏み入れると、出迎えた住職が開口一番、こちらを睨みつけながらそう告げた。
眼光鋭く、鬼のように
「まったく、ろくでもないことばかりしでかしおって」
「す、すんません……」
その坊さんが眉間に皺を寄せながら嫌味を口にすると、エバラはいつになく神妙な様子で目も合わさずに謝っている。
なるほど。たぶん、こいつは会う度にこうしてお説教を食らってるんだろう……だからお祓いに行こうと言い出した時にも、本当なら頼りたくないような素振りを見せていたのだ。
だが、俺達四人もエバラのことをけして笑ったりはできない。この老僧の前に立つと、まるで蛇に睨まれた蛙の如く
それは、あのいつも調子こいてるモッチャンにおいても例に漏れずである。
「ともかくあがりなさい。まずは詳しく話を聞こう」
無言で立ち尽くす俺達を住職は寺務所の応接間へと案内し、奥さんが人数分のお茶を出してから奥に下がると、俺達に一からすべてを話させた。
その訊きぶりからして、すでにエバラからだいたいのところは聞いているようだったが、改めて詳細に知りたかったのだろう。
「──状況はだいたいわかった。これはかなり深刻だのう……おまえさん達、どうやらかなり気に入られたようだ……悪い意味での」
話を聞き終えた住職は、腕を組んでますます険しい表情を作ると、俺達にとってはあまりよろこばしくない感想を述べる。
「このまま放っておけば間違いなく取り殺されるの。もっと早くにここへ来るべきじゃったな」
「そ、そんな! じゃ、じゃあ、俺達、もう助からないってことっすか?」
この上、トドメを刺すようなその言葉に、思わずエバラが声を荒げる。
「そうは言っておらん。まあ、落ち着け。まだなんとか助かるかもしれん。そのためにもまずは相手の正体を知らんとの。敵が何者であるかを知ると知らぬとでは、
だが、対して住職は終始冷静な口調でそう告げると、意外にもあの噂話について語り出した。
「まあ、だいたいのところは……」
住職に訊かれ、サンロウが曖昧にそう答える。いろいろ云われているのでどの話のことを指しているのかはよくわからない。まあ、どれも取るに足らない作り話だろうが……。
「うむ。店主が愛人を殺したとか、経営に行き詰まって一家心中とかいうあれじゃ……ま、愛人の方は根も葉もない真っ赤な嘘なんじゃがの。一家心中と強盗殺人の方は当たらずも遠からずじゃ……ただし、一家心中でも強盗殺人でもなく、店主による家族全員の惨殺だがの」
「……!」
ところが、予想外にも住職は、眉唾物だと思っていたその噂話を、嘘ではなく真実だと言い切ったのである。
……いや、それどころかもっとセンセーショナルな内容だ。
まあ、普通に聞けば、俄かには信じられない与太話なのかもしれないが、あの〝店主〟の幻覚に悩まされている俺達にとっては、むしろその方が余程しっくりくるというものである。
「経営難が原因というのも本当じゃ。バブル崩壊や温泉街自体の停滞もあっての。客が減って店が傾き、大きな借金だけが残った店主はとうとう精神を病んでしもうた……そして、気の狂った店主は奥さんと小さな子供二人を肉切り包丁で次々と襲ったんじゃ。自分の店の厨房での」
「店の厨房……ま、まさか、それって……」
続く住職の説明に、俺達は互いに顔を見合わせる。
夢で見る、厨房の床に横たわった血塗れの子供二人の遺体……店主に肉切り包丁で斬りつけられる主観的な光景……あれは、もしかして殺された奥さんの記憶なんじゃないだろうか?
それに、動画に入っていた「タスケテ…」という女性の声も奥さんのものだとしたら……。
俺達は奥さんが最期に見た絶望的光景を、毎夜、繰り返し繰り返し、何度も何度も見せられていたのである。
「じゃが、狂った店主の蛮行はそれだけに終わらなんだ……」
ここまででもかなりショッキングな内容だったが、住職は口を閉ざすことなく、さらに先を続ける。
「何を思ったか、手にかけた家族の遺体を牛や豚のように解体し、店の冷蔵庫で保管すると客に焼いて食わせとったんじゃ。なんとも恐ろしいことに、そこもまさにウワサ通りじゃったというわけじゃな……」
それが事実であったこともまた、普通ならば大いに恐れ慄くとこなんだろうが、それを聞いた俺達の反応は意外なほどに淡白だった……ここ数日、それ以上にグロくて吐き気を催すような地獄の光景を、俺達はもう何度となく見せられているのだ。
「で、家族全員の屍肉を食わせ切った店主は、直後、姿を眩ましていまだに行方不明じゃ。おそらく生きてはおらんじゃろうが、遺体も見つかってはおらぬ……その後、放置された焼肉店が朽ちて廃墟となり、いつしか若者達が肝試しをする格好の場所となったのは知っての通りじゃ」
住職の語ってくれた〝人肉館〟を巡るウワサの真相は、そのウワサの方がまだマシだと思えるほどに凄惨で胸糞悪いものだった……しかし、そのあまりに信じ難い話も、今の俺達ならすんなり受け入れられるのがむしろ怖いところだ。
とはいえ、そこまで聞いても二つほど疑問に思うところがある……。
「けど、そんなセンセーショナルな猟奇事件だったら、もっと騒がれていてもいいはず……なのにそんな大事件、知ってるという地元の人間にあったことがない。それに、なぜその世間でも知られていない真相をご住職はご存知で?」
すると、サンロウが俺の疑問を代弁するかのように、そう住職に尋ねてくれた。
「いや、むしろセンセーショナルすぎるから事件は隠蔽されたんじゃよ。なにせ、何人の者が知らずに人の肉を食らったかわからんからの。良心の呵責と心の傷に、周囲からのいわれなき差別……公表などしたら、どれだけの社会的影響があるかはかりしれん」
なるほど……もし世間に知られたら、確かに様々な方面に多大な混乱を招くことになるかもしれない。その上、猟奇殺人犯はいまだ逃走したまま捕まってはいない……それは警察も隠したくもなるというものだろう。
「じゃが、そうはいうても殺された母子の葬いはせねばならんからの。母親の実家がうちの檀家だったこともあり、わしがその葬儀を引き受けることになった。厨房に残されとった三人の遺骨も、この寺の墓地にある実家の墓へ納めておる」
続けて住職は二つ目の疑問にも答えてくれる……しかし、これには少々驚いた。まさか、そんな〝人肉館〟との因縁がエバラの親戚の寺にあったとは……。
無論、エバラ本人もまったく知らなかったらしく、口を半開きにして唖然としている。
「そんな因縁もあったからかのう。時折、おまえさん達のように〝人肉館〟へ行って取り憑かれたという者が除霊祈祷を受けにやって来たりもする……ま、それで助かった者もいれば、残念ながら命を奪われてしまった者もいるがの……」
さらに住職が加えたその情報に、他にも似たような状況に追い込まれたアホどもがいたことを俺達は知る。
まあ、確かにあれだけ有名な心霊スポットであるのだから、そうとうな数の人間が肝試しに行っているはずだ。俺達のように〝店主〟に取り憑かれたやつがいてもおかしくはない……というより、いない方がむしろおかしいだろう。
それよりも、お祓い…いや、寺だから祈祷なのか? それを受けても助からなかったやつらがけっこういそうなその物言いが、俺達の不安をよりいっそう増長させる。
「そんなわけで、おまえさん達に取り憑いておるのは、おそらくすでに命を落としておる気の狂った店主の悪霊じゃ。生前からして正気を失っておる上に、今は悪霊化してしまっているので余計始末に悪い。説得は不可能で強制的に排除するしかないからの。助かるかどうかは五分五分じゃ。それだけは覚悟しておいてくれ」
一通り話し終えた後、住職は改めて過酷な真実を俺達に突きつけ、その覚悟を固めるよう冷酷に迫る。
「……………」
俺達はゴクリ…と唾を飲み込むと、皆、瞳を小刻みに振るわせながら、黙ってゆっくりと大きく頷いた。
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