廃病院の怪顔

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廃病院の怪顔

 昔は人々の健康を守る場所だったはずの建物は、今では寂れて、時間の流れとともにその存在感を薄れさせていた。

 フェンスに囲まれた敷地内には、草が乱れ生い茂り、壁や窓枠が崩れかけている。美しく整備されていた庭園も、今では野生の草花が繁茂し、その美しさが荒廃と対比して不気味さを増していた。

 そんな建物の前に、3人の小学生が居た。

 少年2人に、少女1人。

「ここが噂の廃病院か」

 男子の一人が言う。

 そう言ったのは、見るからに元気そうな少年だ。

 Tシャツにデニムパンツという服装で、足元はスポーツシューズを履いていた。

 背筋が伸びて姿勢が良い。

 髪も短めで清潔感がある。

 小さな体ながら、どこか堂々とした雰囲気があった。

 名前を戸山とやましょうと言った。

「ああ、そうだよ。ここが優光病院」

 少年は、地図を広げて言った。

 ボタンダウンシャツにチノパンツという格好に、シンプルで洗練された腕時計をしている。

 一見して寡黙な様子があった。

 感情を表に出さない彫像のような姿と顔は、どこか冷たい印象を受ける。

 どこか大人びた雰囲気を持ち合わせた少年だ。

 名前を、水無月みなづき春斗はるとと言った。

「ねえ。本当に行くの?」

 もう一人の少女が不安そうに聞く。

 淡いラベンダー色のワンピースにショートカーディガンを羽織り、優雅ですっきりとした印象を醸し出していた。

 後ろ一つ結びの三つ編みにした長い黒髪。

 幼子ながら利発そうな顔立ちをした少女だ。

 名前を蔦木つたぎあやと言った。

「当然だろ? そのためにここまで来たんだからさ」

 そう言って、翔が一歩前に進む。

 すると、まるでそれに合わせるかのように、風が吹いた。

 それは不気味な風だった。

 何か不吉な予感を感じさせるような、そんな不快な風であった。

 草木を揺らし、砂埃を巻き上げる風の中、それでも3人は臆さずに進んでいった。

 3人が廃病院を訪れたのは理由があった。

 それはクラスメイトの女子が飼っている子犬が散歩中にリードが外れ、行方不明になってしまったからだった。

 その子の名前は白井しらい美雪みゆきといった。

 クラスの中でも人気者の少女だ。

 そんな彼女が可愛がっていた子犬がいなくなったのだ。

 深雪は、子犬が居なくなったことでひどく落ち込んでしまっていた。

 それを見たクラスの子供たちが、何とかしてあげたいと思ったのだ。

 深雪に協力して張り紙をして情報提供を呼びかけたり、皆で地域を捜索したりしていた。

 しかし、どれだけ探しても一向に見つからない。

 そんな中、ある情報が入った。

 何でも、この廃病院に子犬がいるのを見たという目撃証言が出たらしい。

 そこで、3人はこうして廃病院までやって来たという訳だ。

 もちろん、危険であることは重々承知している。

 だが、それでも子犬必死に探す彼女のために協力したいと思ったのだ。

 建物内に入った途端、気温が下がったような気がした。

 窓から差し込む陽光に照らされていても、どこか薄暗い雰囲気が漂っている。

 そこはまさに廃墟と呼ぶに相応しい場所だった。

 割れたガラスの破片や、ゴミなどが散乱しており、とてもではないが清潔とは言えない状態だった。

「病院の間取りだけど、どうなっているんだ?」

 翔は春斗に訪ねた。

 すると春斗は肩掛けカバンからタブレットを出してきた。

「病院の間取りはダウンロードしておいたよ。これを見て」

 春斗はそう言って、タブレットを操作して画面を見せた。

 そこには建物の見取り図が映し出されていた。

 春斗の父親はIT企業であるだけに、彼はこうしたツールの使いこなしは上手い。それを活用して、事前に病院の情報を調べてくれていた。

 そして、そのおかげで、内部構造についてもある程度把握できた。

 この病院の構造は三階建てになっていた。

 一階には受付があり、診察室や手術室などが設置されている。

 二階、三階には入院患者用の病室がある。

 そして、地下室もあり、そこに霊安室もあるようだ。

「さて。どこから探そうか」

 翔が言う。

 彼は、こういうホラーゲームのような展開が大好きであった。

 だから、怖いというよりも少しワクワクしていた。

「子犬だから扉が閉まっている部屋にはいないと思うよ」

 春斗が言った。

 確かに、そういう場所は除外できるだろう。

 しかし、逆に言えば子犬が入れるスペースがあるところは、どこにでも侵入が可能ということだ。

「手分けして探したいけれど、こういう所はバラバラになると危ないからな」

 そう言いながら、翔は周りを見渡した。

 床の上には瓦礫や破片が散らばっており、少しでも油断すれば怪我をしてしまいそうだ。

 また、壁や天井が崩れている個所もあって、そこから崩れ落ちてくる危険性もあった。

「そ、そうよ。こんな怖い所で一人にしないでね!」

 彩が震える声で言った。

 彼女は臆病な性格をしているため、一人で行動するのは嫌だったのだろう。

 その気持ちは翔にも理解できたので、なるべく彼女と一緒に行動するように心掛けた。

「というか。彩は、どうして着いて来たんだ? 正直言って足手まといになると思うんだけど……」

 翔の言葉に、彩は頬を膨らませる。

「わ、私だって、美雪ちゃんを助けたかったのよ。友達なんだから」

 そう言って、彩は怒ったような顔をした。

 その様子を見た2人は苦笑するしかなかった。

 結局、3人一緒に行動するということで落ち着いたのだった。

「僕達も。友達だからね」

 春斗の言葉に、彩は嬉しそうに頷き、翔は照れくさそうに鼻の下を人差し指で擦った。

 そうして、3人は探索を始めた。

 最初に向かったのは、一階の探索だ。

 昼間とは言え、照明がないため暗く、懐中電灯の明かりを頼りに慎重に進んでいく。

 廊下に出ると、コツコツという足音が反響する。

 その音がやけに大きく聞こえるため、何だか不気味に感じられた。

(それにしても……)

 翔は歩きながら思った。

 実は、この病院は心霊スポットとして有名な場所だそうだ。

 ネットで調べたところ、過去にここで凄惨な事件が起きたらしい。

 詳しい内容は伏せられていたが、とにかく事件があったことだけは事実のようだ。

 そんないわくつきの場所だけあってか、空気は非常に重く、淀んでいるように感じた。

 さらに、どこか息苦しさを感じる。

 受付ロビーから見える外の景色は、まるでホラー映画に出てくる荒廃した町のようだった。

 今にも化け物が現れそうな雰囲気である。

 そのような雰囲気に当てられたのか、それとも恐怖心からなのか、次第に心臓の音が激しくなってきた。

「竹刀でも持ってくればよかったぜ」

 翔は剣道をしているだけに、最も信頼できるのが竹刀であった。

 武器としては頼りないが、それでも何もないよりはマシだったと今更ながら痛感していた。

 3人は左手にある通路に行き、そこから入れる場所を調べていくことにした。廊下の先には三つの部屋があり、手前から順に調べていった。

 1つ目の部屋は物置だったらしく、壊れた掃除用具や古い家具が置かれていた。

 2つ目の部屋は倉庫のようで、中にはたくさんの備品が置いてあった。

 3つ目はトイレだった。

 しかし、水が流れないため使用することはできない。

 そこで彩は廊下の壁に気味の悪いものを見つけた。

 それは、壁にできた黒いシミなのだが、人の顔のように見えなくもないものだった。

 目があり、鼻の形を感じさせ、口元には歯まである。

「ねえ。このシミ。顔に見えない?」

 彩が不安そうにした。

 それに対して春斗が答えた。

「……そ、そう見えるだけだよ。シミュラクラ現象だね」

 春斗は、気味の悪さを感じつつも科学的に説明した。

 

【シミュラクラ現象】

 人間の脳には、3つの点が集まった図形を人の顔と見るようにプログラムされている。人は3つの点が逆三角形に配置されていると「人間の顔」に見えてしまうという錯覚や本能のこと。

 模様やデザインとして点や線が逆三角形に配置されていたとき、本来は人間の顔を意図しないものにもかかわらず、人間の顔に見えたりそこに感情を抱いたりするというものである。人は他人や動物に出会った場合、敵味方を判断したり、相手の行動、感情などを予測したりする目的で本能的にまず、相手の目を見る習性がある。

 人や動物の目と口は逆三角形に配置されていることから、点や線などが逆三角形に配置されたものを見ると、脳は顔と判断してしまう。

 心霊写真と呼ばれる現象の多くが、これで説明できるとされている。

 例として、接地極付きコンセントや自動車のフロントマスクが顔に見える例がある。


「そ、そうだよ。彩は怖がりだからな」

 翔は笑いながら言った。

 だが、リアリティのあるシミに内心では冷や汗を流していた。

「そう言いながら、翔はどうしてデッキブラシを持っているの?」

 彩は指摘する。

「……いや。トイレにあったんで、つい反射的に持ってきちゃったんだよ」

 翔は説明した。

「ほら。こんなシミはデッキブラシを使えば消えちまうって」

 そう言いながら、翔はデッキブラシで顔に見えるシミを擦ると、一瞬で消えてしまった。

「な」

 彩の不安をかき消してあげると、持っていたデッキブラシを渡す。

「持ってろよ」

「ありがとう……」

 彩は少し照れながらお礼を言うと、それを受け取った。

 そして、探索を再開した。

 春斗は探索が終わった部屋については、タブレットの地図にチェックを入れて二度手間を省くようにする。

 一階を探索し終わると、二階へと移動しようとする。

 その時、彩は先程、翔がデッキブラシで擦った壁に、再びシミが浮き出ていることに気づいた。

「翔、春斗。見て」

 そう言って指さす。

 するとそこには先程のものと同じ顔に見えるシミがあったのだ。

 しかも、さっきのシミよりも、はっきりとしているように見える。

 それを見た瞬間、翔も春斗も全身に鳥肌が立ち、背筋がゾッとした感覚に襲われた。そう感じたのは、目に当たる箇所が三人の視線と合ったような気がしたからだ。

「ヒビがあって、裏側から水かなんかが滲み出てるんだよ」

 翔は、二人を安心させるよう気丈にした。

 春斗は、その言葉に疑問を抱きながらも、3人は二階への階段を上っていった。

 2階へ上がると、そこは病室が並ぶ廊下になっていた。

 部屋番号は201号室から始まり、廊下の奥に階段が見える。

 201号室から順番に見ていくことにしたのだが、どの部屋も同じ造りになっていたため、これといった特徴はなかった。

 そのため、見落としがないかどうかを確認しながら、一つずつ丁寧に調べていくことにする。

「ポチー?」

 彩は子犬の名前を叫びながら、病室を探し回る。

 ベッドの脇を見てギョッとする。

 なぜなら、床には顔のように見えるシミが、またあったからだ。

 瞳あたる箇所が、くっきりとしており、思わず後退ってしまうほどの不気味な光景であった。

 その時であった。

「みんな!」

 春斗の声が聞こえた。

 振り返ると春斗が子犬を抱きかかえているのが見えた。

「いたのか!」

 翔が言う。

 彩も翔も春斗の元に集まり、彼が抱えている子犬を見た。

 その子犬は白地に茶色のブチがある雑種犬だ。毛並みがよく、とても可愛らしい見た目をしている。

 翔はポケットに折りたたんでいた、子犬捜索のチラシを広げ子犬がポチで間違いないか確認をする。

「間違いない。首輪の色もチラシの写真と同じだ」

 翔の言葉に、彩は安堵の表情を浮かべた。

 しかし、春斗の表情は暗かった。彼は、子犬ではなく別の方向を見て不安そうな声で言った。

「なあ。二人共、そこの病室の入り口なんだけど、あんなシミなんてあったかな?」

 そう言われて翔と彩は見てみると、確かに先ほど見た時とは様子が違っていた。

 入り口には、顔の様なシミがあり、まるで苦痛に歪んだ表情をしているように見えた。

「……さ、さあ。俺、よく覚えてなかったな。もしかしたら、最初からあったかもしれないぞ」

 動揺しながら答える翔だったが、彼の額には汗が流れていた。

 その様子を見ていた彩も、顔を青ざめさせていた。

 彩は思わず叫び声を上げた。

 彼女の声に反応するかのように、顔のようなシミがピクッと動いた気がした。

 いや、気のせいではない。

 顔のようなシミは、まるで生き物のように動き出したのだ。

「逃げるぞ!」

 翔は春斗と彩に呼びかけると、3人は急いで病室から逃げ出した。

 3人が病室から廊下に出ると、そこには壁や床に顔のようなシミがブドウの房のように沢山出来上がっていた。

 もはやそれはシミの範ちゅうを超えており、壁や天井の面から盛り上がってきていた。

 そして、それらは3人に向かって迫るような勢いがあった。

「何だよ、これ」

 翔は恐怖のあまり、足がすくんで動けなくなった。

「……これは、ベルメスの顔か?」

 春斗は口にした。


【ベルメスの顔】

 1971年8月23日、スペイン、アンダルシア州ハエン県の小さな町、ベルメスに住むマリア・ゴメス夫人は、床に顔のような染みを発見した。

 何度消しても消えないため、マリアは夫のフアン・ペレイラと、息子のミゲルにこのシミを斧で打ち砕いて取り除いてもらい、新たなコンクリートを流し込んでもらった。

 ところが、新しいコンクリート乾くとまた新たな顔が現われ、こちらを見返してきた。消しても消してもまた現われる。

 浮かんだ顔は、時間が経つと表情を変えたり、勝手に消えたり、最初に出てきた顔とは違う人物の顔になったりもした。

 後の調査で、その家の近所で殺人事件があったこと。昔、家の近くには墓場があったことなどが判明したが、そのことが原因なのかは不明のままである。


「こんなの相手にしてられねえよ」

 翔は叫んだ。

「彩、行こう!」

 春斗は呼びかけると、彩は頷く。

 3人は来た道を逆に走るが、一階に降りる階段に着くと申し合わせたように3人は、そこに立ち尽くしてしまった。

 何故なら、階段の踏板箇所に顔のようなものが浮かび上がっていたからだ。

 顔のようなものからは、うめき声とも叫び声ともつかない声が発せられていた。

 このまま進めば、確実に足元をすくわれることになるだろう。

「彩! 俺にデッキブラシを貸してくれ。それから彩は子犬を守ってくれ!」

 翔は指示すると、彩は彼にデッキブラシを渡し、春斗から子犬を受取る。

「翔。僕は、どうすればいい?」

 春斗が訊くと、翔は真剣な表情で答えた。

「タブレットで見取り図を確認。他に脱出ルートが無いか探してくれ」

 その言葉に頷くと、春斗はタブレットを取り出し病院の見取り図を検索する。

 春斗は現在位置を確認すると、出口に繋がるルートをすぐに見つけることができた。

「あったよ。ここの廊下の突き当り。非常口と書かれているドアがあるみたいだ」

 春斗がタブレットで説明する。廊下の上を見ると、そこには緑の矢印とともに、非常口の位置を示す文字が書かれていた。

「よし。俺が先陣を切る。二人は俺に続け」

 そう言って、翔は走り出した。

 春斗と彩も後に続く。

 3人が走り出す。

 廊下を走りながら、翔は正面廊下の壁や床から顔が膨らみ出てくるのを見た。

「クソ!」

 翔はデッキブラシのブラシ部分に近い箇所を握ると、剣道で慣らした足運びと打ち込みをお見舞いしてやることにした。

 ブラシヘッドの無い箇所で打つことになるが、その分、素早い打ち込みができる。

 勢いよく振りかぶると、床から出てきた顔面めがけて叩きつける。

 すると顔は水袋を叩きつけたように破裂し、破片が飛び散った。

(これならいける)

 そう確信すると、さらに壁から出てきた顔に対し何度も打ち付けてやった。

 だが、その時であった。

 背後から何か気配を感じたのだ。

 嫌な予感を感じ振り向くと、なんと後ろから顔の集団が空中を飛んで、一斉にこちらに向かって来たのだ。

 直感から、このまま逃げても追いつかれることが分かった。

「春斗、彩先に行け!」

 翔が叫びながら顔の集団に向かって突進していく。

 待つのではない。

 こちらから向かうのだ。

 そして正面から来る顔に向け、デッキブラシを振り上げると同時に体を捻り遠心力を加え一撃を見舞う。

 鈍い音と共に、顔が割られ地に落ちていくのが見えた。

 だが、まだ終わりではない。

 次から次へと襲いかかってくる顔たちに向けて、次々と叩き返していく。連戦に翔の顔にも疲労の色が見え始めていた。

 このままでは、いずれ体力が尽きてしまうだろう。そうなれば終わりだ。

「翔、早く!」

 春斗が言う。

「分かった!」

 そう言うと、翔は走る。

 もう後ろを見る余裕はなかった。

 前だけを見て走り続けるしかない。

 2人が先行する形で、翔を非常口へと導く。

 通路を右に曲がると、廊下の先には非常口が見えた。

 しかし、非常口にたどり着いた春斗と彩の前に危機が起こった。

 何と、非常口のドアが開かなくなっていたのだ。

 慌ててドアを開けようとする2人であったが、いくら力を込めて押してもビクともしなかった。

「開かないわ!」

 彩は子犬を抱いたまま言う。

「下がって」

 春斗はドアノブを掴み引っ張ったり押したりする、それでも開く気配はない。

 こうなったら手段を選んでいる場合ではなかった。

 春斗は、体重をかけて体当たりするようにしてドアに突っ込む。

 すると、鍵が壊れドアが開いた。

 脱出口が確保されたのを翔は見る。

 突然、右足に激痛が走った。

 あまりの痛みにバランスを崩し、その場に倒れこんでしまう。

 見ると右ふくらはぎに、顔が食らいついていた。

 顔は歯を食い込ませてくると、肉を引き千切ろうとしてきた。

 まるで鋸で切られるような痛みが襲う。

「この野郎!」

 翔は痛みに耐えながらもデッキブラシを振るうと、その顔を叩き潰すことに成功した。

 すぐに立ち上がって体勢を立て直すと、彼は再び走り出すが、顔に噛みつかれたキズが痛んでうまく走れない。

 病院の外に脱出した春斗と彩だったが、翔の異変に気づく。

「彩は、ここに居て」

 春斗は翔を助けるべく病院内に戻ろうとすると、彩がお守りを手渡す。

「これ。私の家の神社のお守りなの。持っていって」

 彩の父親は神主をしており、神社の娘としてこのお守りには不思議な力があることを信じていた。だから、きっと助けになるはずだと思ったのだろう。

 それを理解した春斗は黙って受け取ると、病院内に戻った。

 一方、翔は非常口へ走って脱出しようと試みたが、思うように動けなかった。

 後ろを振り向くと、顔たちが迫ってきているのが分かる。

(このままじゃ捕まる)

 そう思った時であった。

 春斗が翔の元にたどり着く。

「翔! しっかりしろ」

 春斗の声に反応するように翔が顔を上げる。彼は翔に肩を貸して立ち上がらせる。

「春斗、ありがとう」

 肩を借りて歩くことで何とか歩けるようになった翔を連れて、春斗は再び走り出した。

 走ると言っても、ケガをした翔の足を引きずっているために速度は出ない。

「急いで!」

 彩は非常口の外から声をかける。

 その声に応えるように二人は懸命に走った。

(あと少し)

 翔は必死になるが、春斗は迫る顔たちに恐怖を感じていた。

(まずい!)

 春斗はそう思うと同時に、彩から渡されたお守りの存在を思い出す。

「そうだ!」

 春斗はポケットから、彩のお守りを取り出すと、お守りを迫る顔たちに向かって投げつける。彼は野球チームでエースピッチャーを務めたことも有ったため、コントロールはかなり良かった。

 投げた御守りは見事に直撃した。

 その瞬間だった。

 お守りから強烈な光が放たれ、迫っていた顔を包み込んだ。その光に包まれた顔は悲鳴を上げながら蒸発していくかのように消えていった。

 そして、同時に、春斗たちの周囲にいた顔も断末魔の叫び声を上げながら消えていく。

 やがて全ての顔が消滅すると、辺り一面が静寂に包まれていくのが分かった。

 春斗と翔は何が起こったのか分からなかったが、助かったことだけは理解できた。

「終わったのか?」

 翔は言う。

 春斗は、その言葉に頷くが、その声は震えていた。

「多分ね。とにかく外に出よう」

 そう言って、春斗たちは病院の外に出たのだった。

「二人共、無事で良かった!」

 彩は安堵するように言う。

 彼女の腕の中には子犬がいた。

 子犬も含めて、どうやら無事のようだ。

 それを見た瞬間、緊張の糸が切れたのか3人とも、その場に崩れ落ちるように座り込んでしまった。

「とんだ冒険だったぜ」

 翔は疲れた表情で言う。

 そんな3人を見ながら、子犬だけが尻尾を振って嬉しそうにしていた。

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