落ち人伝承
鈴ノ木 鈴ノ子
ある夫婦の話
「これってなにか分かる?」
「ん?どっかの卒アル?」
長野県飯田市に転勤してきて2週間が過ぎた頃のこと。
市内の図書館に採用され司書として働き始めた妻の頼子が、一冊の卒業アルバムを持って帰ってきたらしく、食卓の上にそれを置きながら不思議そうな顔をして私に尋ねてきた。
「これがどうかしたの?」
「飯田第一小学校○○年度卒業アルバム」と題字が記されて製本された立派な作りの卒アルだったが、私は生憎と長野県とは程遠い、鹿児島県の知覧の出身である。仕事で初めて長野県に来ているから、こちらに知り合いも誰もいない、いや、大学の同期で長野の出身者なら何人かいたような気もするが、それほど親しいわけじゃない。もちろん、妻は隣の山梨県の出身でこの地に縁もゆかりもないはずだ。
「あのね、ちょっと座ってくれる?」
妙に深刻そうな顔をして頼子が席に座った。手が心なしか震えている気がする。
「お、おう」
スーツ姿のままで椅子に腰かけた私に、妻は少し怯えたような視線を向けてきた。
「あのさ、長野県に住んでたことも、こっちに親せきがいることもないよね」
「ああ、ないぞ、頼子だって俺んちがどんなんかは知ってるだろ」
九州は未だに昔ながらの風習が色濃く残っている土地柄だ。
我が家、九澤家も御多分に漏れずその風潮が強い。山間の一集落すべてが「九澤」であり、そして親戚はすべてその集落に住んでいる。もちろん、地方へ出稼ぎに出る人も昔はいたが、出稼ぎに行っても戻ってきたりしていた。平成に生まれた私の年代は軒並み、外へと出たが、親のしがらみからは逃れられず、九州域内に留まっていることがほとんどだ。歴史ある全国規模の大企業に就職した私は、東京で本社勤務の後に長野県飯田支社で半年の研修を受けるように辞令が出た。
「えっとね、驚かずに見てね」
付箋の張り付けられたページを頼子の綺麗な指先が捲っていく、だけれど、その指先も小刻みに震えているのが分かった。
「これ、たかちゃんじゃないよね」
6年4組でページが止まると、その指先が出席番号 12番 「九澤 隆」のところで止まる。
「うそ…だろ…」
私の名前は「九澤 隆」だ。そして其処に張り付けられていた児童の写真は私の子供の頃と瓜二つ、そっくりのレベルではない、生き写しと言ってもよいほどだ。
「だ、誰だよ…、これ…」
真っ青になった私に頼子も別人であることを悟ったのかゴクリと唾を飲み込み、そして口を開いた。
「あのさ、たかちゃん、転勤なんだけど、やめることはできないかな、もう、退職でもなんでもいいから、引っ越そうよ」
今までで見たことがないくらいに、凄く真面目な顔をした頼子が手をギュッと握ってそう言う。
真剣な眼差しが私を射抜くようにこちらを見つめていた。
「な、いきなり何を言い出すんだよ、そんなの無理決まってるだろ」
驚いていたにせよ、その次の言葉にさらに驚いた私は両手を振って無理無理と仕草をする。
「だって、このままだと、たかちゃん連れてかれちゃう!」
大声でそう怒鳴った頼子が両手で顔を覆って泣き始めた。
まったくと言っていいほど意味が分からない、どういうことなのか聞き出そうと、頼子の傍に近寄って背中を摩る、しばらくそうしていると落ち着いてきたのか、嗚咽を漏らしながら呼吸を整え始めた。
「どうしたんだよ、そっくりさんが居たことには驚いたけど、でも、それで取り乱すなんて頼子らしくないじゃないか、なんか聞いてきたのなら、教えてくれよ」
背中を摩りながらそう言うと、やがて、頼子が卒アルに手を伸ばして、最初のページまで戻すと、そこから少しページを捲り、6年4組の集合写真を開いた。真面目な顔をした児童が映るアルバムの右上に件の「九澤 隆」の写真が先ほどの写真を小さくして欠席者のように張り付けられていた。
「あの…ね、馬鹿にしないで聞いてね」
「ああ、いいよ、大丈夫、どんな話でも聞くって約束だろ」
頼子の結婚指輪を少し摘まんでアピールしてから手を握ると、可愛らしく頼子が頷いた。
「あのね、今日、司書の皆さんとお昼に歓迎会をして貰ったの。そこでね、旦那さんはどんな人ってなかったから、結婚式の写真を見せたのね、そしたら、みんな驚いた顔をして固まったの。そんなに驚くほどの顔かなって思ったんだけど…」
「そこまでは、酷くはないと思うけどね…」
背中を摩っていた手で顔を触る、仕事後で少し脂でべとべとしているが、その先の鏡に映る顔は可もなく不可もなく、という感じではないだろうか。
「そうしたら、最年長の高橋さんて司書さんが、早めに転勤した方がいいって言ったの、私、意味が分からなくて、もしかして何かまずことでもしちゃったのかな、と思ったんだけど、あたりを見渡したら全員が頷いていたの。仁科さんて人がね、このアルバムを持ってきてくれて、写真を見せられてから小学生だったころの彼に似てない?って言われたから、私アルバムみたことあるから、思わず驚いて似てますって答えちゃったら、全員がため息をついて強張った表情になったの」
「卒アルなんて見せたことあったけ…いや、それよりも人の嫁さんになんて酷い…、あ、遮ってごめんなさい…」
大事な頼子にどういう仕打ちだと憤りも一瞬覚えたが、それを堪えて話を遮ったことを詫びながら続けてもらう、少しその言葉を聞いてだろうか、少しだけ嬉しそうに頼子が小さく笑みを溢した。
「心配してくれてありがと、でも、みんないい人だから大丈夫だからね。でね、その子がね、落ち人なのって言われてしまって…」
「落ち人?」
「うん、市内で昔から伝承になっている話の類らしいんだけど…、顔が似たような老若男が突然、神隠しにあったり、大人も行方不明になってしまうんだって、さっきの男の子が最後の神隠しで、それ以降、消えた子供や大人がいないらしいの。今でも市役所とか教育委員会とか警察とか地元の人なら、児童に似たような子供がいないかとか、地元の会社でも似たような人がいないか、調べるくらいに信じてるんだって。落ち人が出てしまうと、関わった人や家族に大変な不幸が及ぶんだって言ってた…」
「迷信だよ、そんなの…」
「うん、でも、心配なの。似てれば連れていかれちゃうんだって、その正体もなにも分からないらしいの、話を聞いて気を付けていた人たち中にはいたんだけど、いつの間にか連れ去られちゃったんだって…、大人は当たり前だけど、子供は知らない人に付いていかないでしょ、だから、何かが親しい人に、化けたりしてるんじゃないかって司書のみんなが言うから…不安になってしまって…」
「じゃぁ、分かった。僕は大人だし、知り合いにも気を付けるようにするよ」
「でも、本当に何かあったらって…そう考えると怖いの…」
抱き着いてきた頼子を私はしっかりと抱きしめた。
生真面目な頼子だから噂話でも心配になってしっかりと調べてきたのだろう。だから、こんなにも恐れているのだ。大学時代から付き合い始めて、所謂、ヤンデレと揶揄されるくらい私のことが大好きな頼子のことだから、過敏になってしまうことも良く分かっている。
「大丈夫だよ、大丈夫」
頼子の顔には色濃く不安のような表情が垣間見えた。
自然と唇を向け合い、不安を打ち消すかのように口づけ交わしながら、優しく頭を撫でていると、緩んだ安堵の表情が可愛くて切なくて愛しく思えて、何度か続けてゆく、やがて、とどちらともなく感情に火がついてしまい、頼子の肩を抱きしめるように連れ立って寝室へと向かう。
寝室にに入る直前、スマホの個人設定した着信音が響いていた気がしたが、手を引いてベッドへと引っ張る頼子の艶やかな雰囲気に誘われるまま寝室の扉を閉めた。
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