7.ルアノの学問所と焼き菓子


【ルアノの学問所の門弟・ラーレ】


 ラーレ・ジェネは街にある庶民向けの食料品店の次男として生まれた。

 豪快で気風のいい父と、気は強くともおおらかな母の下で育った彼は、多少生意気なところもあるが良識ある子供だった。

 兄が官僚を目指し学校に通っていることもあり、ラーレは小さな頃から店を継ぐと意識していた。

 そのため彼自身は学問所で最低限の勉強を終えたら店の経営を学んでいくつもりだった。


 ルアノの学問所は門弟三十人ほど。

 基本的には似たような、家業を継ぐので高度な学問を必要としない子供が集まっている。

 人数がそこそこいるため話したことのない相手もいるが、ラーレの場合は飯屋の一人息子クラインや服飾師の次女リッカあたりが境遇も近く仲が良かった。

 

「さてと」


 授業が終わるとラーレはすぐに帰宅の準備を始める。

 帰ったら家の手伝い。以前は少ししんどいと思っていたが、今や楽しみの一つだ。


「なんかさぁ、ラーレって最近ちょっと機嫌よくない?」

「えっ、そ、そんなこと、ないけど?」

 

 少し太っちょなクラインが不思議そうに小首を傾げる。

 彼の体型は飯屋の息子で大食いなせいだ。既に料理修業は始めており、筋がいいと褒められているという。


「でもさ、なんかすっごく嬉しそうに帰る準備してるし。もしかして、遊びに行くの?」

「いいや? 店の手伝いだよ。あー、しんどいなー。大変だなー」

「なんかわざとらしいなぁ」


 クラインの指摘は的を射ている。

 実際、ラーレは最近とみに機嫌がよかった。というのも、家業であるジターブの店の手伝いとして、ナイア・ニルという同年代の少女が頻繁にやってくるからだ。

 大人しい性格をした、ショートボブの可愛らしい女の子だ。母親が押しの強いタイプだけに、控え目な彼女の振る舞いはとても魅力的に映った。


 初めてナイアを見たのは、本人には言えないが、実は自宅の風呂場だ。

 あとで聞いた話だが彼女は孤児だったらしく、母親が体を洗わせて古着をプレゼントしたらしい。そのタイミングで帰宅したせいで、全裸を覗き見ることになってしまった。

 白くてほっそりとしたナイアの艶姿に、思わず鼓動が高鳴った。そのせいでしばらくは上手く接することができなかったが、今は店での先輩としてかなり仲良くなれたと思っている。

 元々容姿に優れた彼女は、近頃小さな翼の意匠のバレッタを愛用している。おかげで余計にキレイになってしまって、ちょっと困っている。

 

『それ、似合ってる。すっげ、可愛いな』

『本当ですか? ありがとうございます、ラーレくん』


 前に褒めた時は、柔らかな笑顔を見せてくれた。

 ナイアは整った顔立ちだが無表情な女の子だった。しかしラーレには時折微笑んでくれる。

 もしかしたら彼女の方も、憎からず思っているのでは。

 そう期待せずにはいられなかった。


「まあ、ちょっとしたいいことくらいはあった、かな?」

「そうなの? ごちそうチキンが山盛りとか」

「そういうのじゃない」


 雑談をしつつも鞄を持ち、いざ帰ろうと立ち上がると、イヤな顔が視界に入った。


「……何見てんだよ、ラーレ」

「別に」

「店の手伝いなんだろ? とっとと消えろよ鬱陶しい」


 不機嫌そうに吐き捨てる、頭一つほど大きな少年。

 彼の名前はゼダという。一つ年上の14歳だが、ラーレよりもかなり体格がいい。

 ゼダは取り巻きを引き連れ、あからさまにラーレを見下していた。


「言われなくても消えるさ」

「ふん。お前はそうやって、しょぼくれた店にしがみ付いてればいいんだよ。俺は考えられないけどね。そんなちっぽけな生き方! なあみんな!」


 わざわざラーレを笑いものにするために来たのか。

 もともとゼダは傲慢な俺様気質の少年ではあったが、一度ささいなきっかけで喧嘩をしてから、ずっと目の敵にされていた。


 ゼダは学問所の中でも異色だ。

 彼の父親は迷宮管理機構に登録した、現役の迷宮探索者ダンジョン・シーカー

 しかもかなり有名で剣や槍だけでなく魔法も使える、この都市どころか他国にも知られる実力者らしい。

 ゼダ自身も稽古をつけてもらっており、同年代では飛び抜けて身体能力が高い。

 喧嘩も強く、だから余計に学問所で幅を利かせている。

 もっと幼い頃は、これでも二人は仲良くやっていたのだ。だが今の、腕力に物を言わせようとするゼダのことを、ラーレはひどく嫌っていた。 

 

「お、なんだ。逃げるのか?」

「相手してる時間がないんだよ」


 このまま衝突してもなんの得にもならない。

 ラーレはそのまま学問所を後にしようとする。


「あ、ラーレくん」


 しかし敷地を出ようとするところで呼び止められる。

 なぜか、ナイアが学問所の出口のところで小さく手を振っていた。


「え……な、ナイアっ⁉ な、なんでこんなところに」

「ボクも、学問所を少し見ておこうと思って(オウマにそう指示されたから)」


 彼女はここに用事なんてないはず。

 ということは……もしかしないでも、俺に会いに来たのでは? 思い至ったラーレは嬉しさと恥ずかしさに顔を赤くする。


「わ、わわ。ら、ラーレ? この、この子は?」


 クラインがいきなり現れた少女に戸惑っている。

 それはそうだ、当初の孤児だった頃の名残が見えた頃ならともかく、今のナイアは肉付きはよくないけれど十分すぎるくらい美少女だ。


「ボクはナイア・ニルです。ラーレくんのお家で、働かせてもらっています」

「そ、そうなの? 僕は、クライン。知ってる? ガーバンの飯屋がウチなんだけど……」

「この前、お師匠と食べに行きました。とってもおいしいご飯屋さんです」

「そうなんだぁ。きて、来てくれたんだ」


 まごつきながらもクラインと会話をしている。

 それがラーレには、なんだか少し複雑な気分だ。

 だからつい強引にナイアの手を取ってしまう。

 

「な、ナイア! 行こう! 今日ウチに来るんだろ⁉」

「うん、分かった」


 いきなりのことなのにあんまり動揺していないようだ。

 ラーレはそのままナイアを引っ張る形で学問所を後にした。

 彼女の手は、思っていた以上に小さかった。




「……ふん」


 走り去る姿を、遠くからゼダが見ていた。






【語り部】


 ルアノの学問所でラーレと合流したナイアは、そのままジターブの店までやってきた。

 最近は働くだけでなく、ミランダに料理を教えてもらっている。


『ミランダさん、お料理を。焼き菓子の作り方を教えてください』

『構わないけど、どうしたんだい?』

『その、お師匠に。色々とお世話をしてくれる保護者? のような人に、なにかお礼をしたくて』


 オウマから「“ミランダさんから最初は焼き菓子を学んで、出来たお菓子を、リオール師匠にあげるイベントを起こした方が良いと思います”」と指示を受けた。

 いつも通りの流れだったが、ナイアは思った以上に乗り気だ。

 どうやら経験不足でやり方が分からなかっただけで、リオールに感謝を連れたいとは思っていたようだ。


『そうかい、それはいいことだね。よし、じゃあ一緒にお菓子作りをしてみる?』

『はい、頑張ります』


 それが数日の間の話だ

 今のナイアの指針は「頑張る良い子」と「お師匠が自慢できる可愛い弟子」。なんだかんだリオールの影響は大きい。

 元々の性能に努力家が合わされば、習得率は非常に高くなる。お菓子作りも瞬く間に覚えてしまった。

 おっと、性能だなんて言ったらまたリオールに怒られるな。


「じゃあ、ナイアちゃん」

「……ん。全力で行きます」

「肩の力は抜いてね?」


 今日はこれまで以上に気合が入っている。

 ミランダの手を借りず、最初から最後まで自分一人で行うのだ。これに関してはオウマの指示ではない。

 なんと、ナイアは自ら「お礼の贈り物ならボクが全部作りたいです」と意思表示をしたのだ。

 言っている間にも作業は進み、生地をこねて形を作り焼成。

 簡単な焼き菓子とはいえ、ナイアはよどみなくそれを完成させた。


「できた」


 焼き上がった菓子の味見。

 ちゃんと美味しかったようで、ナイアは小さく微笑んでいる。ミランダからも合格点を貰えた。


「うん、いい出来じゃないか。じゃあ少し冷ましてからラッピングしとくよ」

「……あの、ミランダさん。それも、やりたいです」


 さらに指示していないラッピングにまで意欲を見せる。

 オウマたちは少女の成長に驚きつつもその変化を喜んだ。




 後日、ナイアはリオールのもとを訪れた。


「お、どうしたナイア。また魔法修行か?」

「いえ、今日は……」


 と、そこで言葉を止める。

 そうして一度後退し、彼女はオウマにひそひとと話しかけた。


「お、オウマ。ボク、変です。手がちょっと震えています。あと妙にそわそわします。これ、本当に渡しても大丈夫ですか?」

「あぁ……」


 これも成長と言っていいのだろうか。

 どうやらナイアは今頃になって「恥ずかしさ」を学習したようだ。

 手作り菓子を渡して迷惑がられないか。マズいといわれたらどうしよう。そこまで考えて、躊躇うようになってしまったのだ。

 だからオウマは少女の背中を押す。「大丈夫、ゼッタイ喜ぶから」と付け加えれば、緊張しながらリオールに焼き菓子を渡した。


「つまらないものですが……」

「ありがとう? えーと、開けていいのかな。……焼き菓子?」

「はい。魔法を教えてくれたこと、悩みをいつも聞いてくれること。助けてくれるお師匠に、お礼です」

「お、おお? おおおおおお!?」


 少女の急激な成長にリオールは驚いている。

 それ以上に、まっすぐな感謝に感激し、勢いのまま焼き菓子をかじる。


「美味いっ! これ、自分で作ったんだよな?」

「はい。頑張りました」

「本当に、ナイアはいい子だなぁ! こんなかわいい弟子を持てた俺は幸せ者だ!」

「え、へへ」


 なお語り部が知る秘蜜として、リオールは彼女いない歴=年齢。なのでおそらく女の子から手作りのお菓子を貰う経験なんぞこれが初めてだろう。

 正直なところ見ていてキモいぐらい喜んでいるが、それを見るナイアも嬉しそうなので何も言わないでおくべきなのだろう。




 ◆




「ふふ……」

 

 自宅に帰った後も、ナイアは思い出し笑いをしている。

 余程リオールの反応が嬉しかったらしい。

 予知が確定するまでの余暇だったがナイアには色々と刺激となったようだ。

 気になるところと言えば、こちらの意図しない行動が見え始めた点か。

 近くに来たからラーレと一緒に帰ろう、ラッピングのやり方を学ぼう、恥ずかしがる。

 どれも成長だが、オウマが制御できていない動きとも言える。


「“んー、ナイアが周囲に目を向けすぎて、オウマとの距離が離れると言うこと聞かなくなるかもしれない。1日は家で成長を確かめるって名目で、2人でゴロゴロしつつ仲を深めよう”……遠い世界の人は、僕よりも先にこの事態を予見していたみたいだね」


 助言に感謝しつつ、オウマは寛ぐナイアの前にひらりと舞い出る。


「ナイア、今日は楽しかったかい?」

「楽しい? ……うん、たぶん、楽しかった」


 何かをしてもらって、感謝の意を示す。

 それで相手が喜んでくれることを、彼女自身も嬉しく思う。

 健全な成長をしてくれている。


「もしよかったら、君の話を聞かせてもらえる? ここ最近は色々あったからね。気味がなにを想ったのか、僕も知りたいんだ」

「うん、分かった。あのね……」


 オウマは聞き役に徹し、ナイアの語る話に耳を傾ける。

 だらだらと話すだけの時間がすぎる。特に大きなことは起こらなかったが、互いの距離は近付いたように思う。


「明日、オウマにも焼き菓子を作るね」

 

 ナイアは、オウマのことも感謝するべき相手と認識してくれているようだ。







《追加情報》

 学問所でゼダに目を付けられました。

 彼の父親は体術と土魔法に優れた迷宮探索者です。

 お願いすることで剣術スキル、槍術スキル、土魔法を習得できます。

 ただしゼダと親しく、ラーレとは疎遠になります。

 パートナーで探索者エンドを迎えられます。


・ガーバンの飯屋の一人息子クラインと知り合いました。

 親しくなると料理スキルが上がり、飯屋のおしどり夫婦エンドを迎えられます。 

 一切暴走の危険がないエンドですが、友達と気になる子がいっしょに飯屋を営むというラーレがひたすらかわいそうな終わりです。


・リオールがキモいぐらい気合を入れました。

 上位風魔法習得と同時に初級雷霆魔法を習得できます。

 雷は速度と攻撃力に優れるため、習得すると不意打ちされてからでも攻撃が間に合います。




《予知》

・服飾師の次女リッカが何らかの事件に巻き込まれて死亡します。

・ゼダの父親と???(迷宮管理機構関係者)が不和を起こし、後々までの禍根となります。


 どちらかをクリアしても、放置しても話は進みます。



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