2
彼の名前は
私は大学で油絵を専攻しているのだが、生命力に溢れた力強い絵を得意としていた。孤独、哀しみや憂い、虚しさ。そういった負の感情に乏しいから、深みのある作品が生まれないのかもしれない。そういう意味で、私は彼とは対照的だった。
彼に、なぜ、雨の絵ばかり描くのか、と尋ねたことがあった。
「僕が絵を描く時はいつも雨が降っていたから」
彼の答えはいたってシンプルだった。
美術館や動物園、映画や買い物など、二人で様々な場所に出かけた。とても幸せな時間だった。
「君と出かける時はいつも晴れるね」と彰人は微笑んだ。付き合ってみると、彼は案外普通に笑う人だった。
しばらく経つと、私は彼の家に居座るようになった。彼が絵を描いている時は、黙って大学の課題に取り組んだり本を読んだりして、邪魔にならないように努めた。言葉を交わさなくても、ただそばにいるだけでよかった。彼もきっと同じように思っていてくれたはずだ。
だが、彼は次第に雨の絵を描かなくなった。正確には、描けなくなったというべきか。私と一緒にいると、彼の周りでは、雨が降らなくなった。彰人は絵を描いては捨て、描いては捨てを繰り返した。
彰人は知人のつてで、近々、小さな個展を開くことになっていた。これは画家として生活していくうえで、大きなチャンスだった。時々、彼は一人で外に出かけては、風景画を描きに行った。私が家で留守番をしていれば、天気は悪くなったからだ。しかし、彼はいつも浮かない表情で帰ってきた。以前のように、自身が満足のいく作品を、彼はもう描けなくなっていた。
彰人は日に日にやつれていった。髪はぼさぼさ、夜はよく眠れないようで、目の下にクマが目立つようになった。もともと細かった身体はみるみる痩せていき、青白い皮膚から浮きあがる血管が妙に痛々しかった。それでも、彼は私を優しく抱きしめると力なく笑い、愛のある言葉を囁いてくれた。
結局、彼の個展に新しい作品が飾られることはなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます