第3話 王宮からの使者

 リカルドがメトミニー修道院から去って、数か月経っていた。


 毎晩同じように修道院を抜け出し、プーチャと一緒に星空が広がる砂漠のかなたに、リカルドがいないか確認する癖がついた。


 重い後悔とが、胸の奥にのしかかる。

 やっぱりついて行けばよかった。とは考えないようにした。

 自分でリカルドについて行かないと決めたのだ。


 プーチャが「大丈夫?」と心配した様子で私の身体に鼻を擦り付ける。


「大丈夫だよ。プーチャ」


 鼻の上を撫でてあげるとプーチャは「グルルル」と甘えたような声を出した。


 明け方、修道院に戻った時、修道女たちの噂話が聞こえた。

 院の中に入って来た砂をかき出す作業をしている彼女たちの手は、すっかり止まってしまっている。


「ねえ、聞いた? 首都オスランデスで暴動が起こっているんですって」


「暴動?」


「なんでも、悪魔の第七番目の王子が反旗の狼煙をあげたらしいわ。アレハンドロ大王は、急遽王立軍を編成して、鎮静にあたっているそうよ」


 老王アレハンドロの愛人の子である、第七王子。

 モレスタ王国の王宮では、重要なことを決める際に、必ず力のある占い師に見てもらうらしい。

 特に力を失いたくないと考えているらしい老王アレハンドロは、宮廷占い師を何人も雇っていた。

 その占い師たちが口を揃えて、第七王子の星は、アレハンドロと相性が悪いと言うのだ。


 中でも、特に力のある占い師が「この子には、悪魔のカードが出ておりますゆえ」と第七王子が生まれた時、結果を宣言したそうだ。

 占い師たちの言葉を信じたアレハンドロは、第七王子を恐れ、忌み嫌い、冷遇した。


 事件は、第七王子が十歳になった時のことだった。

 

 何者かが、第七王子とその母親の命を狙った。

 母親は息子を守るために命を落とし、第七王子だけが生き残った。


 犯人はすぐに捕えられた。

 親の命を奪い、子供だけを誘拐することで有名な男たちの集団だったとのことだ。

 

 誰からの指示かは明確にならなかったらしい。


 その後、王子を襲った者たちは、言うのも憚られるほど悲惨な事故にあった。

 

 彼らは口を揃えて「悪魔が…‥悪魔が」と今でもうわ言を言い続けているらしい。


 それから、彼は悪魔の第七王子と呼ばれることになった。


 事件をきっかけに、悪魔の第七王子を支持する声はあったが、近頃はその支持が大きくなっているらしい。


 手に入る給与の半分もかかる税に、よくならない日々の暮らし。


 贅沢を重ねる老王より、悪魔と呼ばれていたとしても、少しでも生活がよくなるのであれば、魂を売ってもよいではないか。


 市民たちの一部は、悪魔に魂を売ろうと、過激な運動をするようになったのである。


「いやね、こっちまで来るのかしら」


「さすがに、メトミニーまでは来ないわよ。かなり辺鄙な場所にあるもの」


「それもそうね。ないとは思うけれど、王立軍が負けたらどうなるのかしら」


「そりゃ、私たちの役目はなくなるわよ。扱いはどうかと思うけど、あの子がいるから私たちは仕事があるんだから」


 修道女たちは、適当に仕事を終わらせると、院の中へ入って行った。


 もし、悪魔と呼ばれる第七王子軍が勝利して、老王アレハンドロが崩御してしまったら。私はどうなってしまうのだろう。

 今より悪くなる保証もないが、今よりよくなる保証もない。


 不安な気持ちが増幅する。


 部屋に戻った後、憂鬱な気分でベッドの上に座った。


 目を閉じると、リカルドの顔が浮かぶ。

 深い青色の瞳の色が脳裏に浮かんでは消えた。


 全てが変わってしまうかもしれない。


 無性に嫌な予感が身を包んだ。


 ☼☼☼


 私の予感は的中した。


 第七王子軍の起こした謀反により、モレスタ国は大混乱の渦が巻き起こっていた。

 その余波は、当然メトミニー修道院にも影響を及ぼした。


 反乱軍を鎮火させるために資金を注力している王宮からの支援物資が、途絶えたためである。


 それは、王立軍が苦戦しているということと、国に起こる革命の波が大きくなっていることを意味していた。


 愛人候補の私がいる辺境地区が後回しになるのは、当然である。


 パウラ院長は、普段は杜撰な管理体制であったのにも関わらず、乾燥パンの一欠片すら管理し始めた。さらに、過去の帳簿を漁り、何が誰に渡ったのか一つ一つ確認していくことになってしまったらしい。セレナがこっそり私に流していた食事や、薬の数が合わずに、院の中では犯人捜しが行われた。


 はじめはセレナを守ろうという動きがあった。


 しかし、パウラ院長が、怪しいシスターを見つけては、長い尋問を行うので、耐えきれなくなった一人がセレナの名前をあげてしまったのである。


 セレナはずっと口を閉ざしていたが「彼女が、あの子にこっそり何かあげているのを見ました」と告げ口する者もでてきてしまった。そのため、鬼の形相を浮かべたパウラ院長が、私の部屋へやってきて、部屋の中を全てひっくり返した。


「この穴はなんだ! モニカ・マルドナド!」


 食べ物を隠しているのではないかと疑った院長が、壁にくっついていたベッドをずらした。

 その時、長年隠していた抜け穴が、とうとう見つかってしまった。

 黙りこくっている私に、パウラ院長は容赦するはずがなかった。


「お前は、食べ物を盗んでいただけじゃなく、抜け出していただなんて! この泥棒! 嘘つき!」


 パウラ院長の腰巾着のシスターが呼ばれ、私はメトミニー修道院の地下墓地の中にある一室に移動させられた。

 与えられる食事は、乾燥パンが二日に一枚に減った。


 地下通路のどこから紛れ込んだのか、痩せこけたネズミが私の横を通り過ぎていく。


 今が昼か夜かも分からない。

 私のせいでセレナが、ひどい目にあっているかもしれない。


 あの日、リカルドの提案に乗って逃げ出してしまえばよかったと後悔するばかりだ。抜け穴があったのだから、セレナを呼びに行くことだってできたはずだ。


 不自由であったものの、抜け出して砂漠の中を駆け回っていた日々が遠い昔のように感じた。


 プーチャは私が来ないから心配しているかもしれない。


 崖の下で待っているファブラ種のドラゴンのことを考える。


 きっと寂しがっているだろう。

 黄金の鱗に顔をうずめ、今すぐこのメトミニーから去ってしまいたいという感情が、溢れて止まらなかった。


 ☼☼☼


 地下墓地にある一室に閉じ込められてから、どれだけの日々が経っただろうか。

 長い間入れられていたような気もするし、たった数日だったような気もする。


 その日、私はモレスタ王国の中にいる誰よりも出遅れた。


 悪魔の第七王子率いる反乱軍が、王宮を制圧した。そして、老王アレハンドロが崩御したという知らせがメトミニー修道院に届いた時、私は今にも壊れそうなベッドの中で夢を見ている最中だった。


 プーチャと共に、リカルドのところへ飛んでいく夢だった。


 幸せな夢はパウラ院長の怒鳴り声にかき消された。


 バタバタ幾人かの兵士が私の部屋の鍵を開けて、大きな声を出す。


「ルシア様! いらっしゃいました!」


「何を勝手に入ってきているんだ! ここは、大王アレハンドロ様の密命を受けた……」


「その大王が死んだから、ここへ来たんだ。散々、支援金を盗んでいたうえに、こんなところに彼女を入れておいて、よくもそのような大口を叩けたものだな!」


 抵抗しようとするパウラ院長を、兵士が押さえつけた。

 戸惑う私を、兵士たちが「このようなところから、早く出てください」と優しく誘導する。


「あなた達は誰?」


「私たちは、新太陽王の兵士になります。前アレハンドロ王が失脚されたので、あなたはここにいる必要がありません」


「私は、不必要になったから、処分を受けるの?」


「とんでもありません。私からは詳しい話は申し上げられませんが、大聖堂でお待ちしている方がおります。そちらの方からお話がありますため、もう少々お待ちください」


 リカルドの顔が、脳裏に浮かんだ。

 彼が約束通り、迎えに来てくれたらこれほどうれしいことはない。


 初めて入る修道院の大聖堂からは、太陽の光がステンドグラスを通じて入っていた。赤、青、黄色、紫、緑と様々な色が入り混じっている。メトミニー修道院の中に、これほど美しい場所があるとは知らなかった。


 そこには、黄金の刺繍が施された黒い眼帯を右目につけた男が立っていた。


「ルシア様。モニカ・マルドナド様をお連れしました」


 ルシアと呼ばれた男は、兵士に労いの言葉をかけると、私に向き直った。


 その風貌は、リカルドと似ても似つかない。

私の胸中を知る由もなく、ルシアは、折りたたんだ一枚の紙を胸ポケットから取り出した。


「モニカ・マルドナド殿。貴殿は、太陽王の花嫁として選ばれることになった。直ちに荷物をまとめ、首都オステンデスの城へと向かうこと。これは、陛下からの勅書である」


 読み上げた勅書を再び胸ポケットにしまった後、ルシアは私の返事を待っているようだった。


 古びた亜麻色の土壁の部屋には似合わない豪華な衣装をまとい、肩まで綺麗に切りそろえられたルシアの紺青色の髪がゆらりと揺れた。


 リカルドは、迎えに来ていない。


 それが事実だ。


 彼を待ちたいと思ったところで、太陽王の命令を背いてしまったら、命はない。


 老王アレハンドロの愛人になる予定だった私が、王妃になる機会を得たのだ。

 自由を得るまたとない機会でもある。


『モニカ。少し時間がかかるかもしれないが、待っていろ。必ず状況を整えて、お前をここから解放すると約束しよう』


 リカルドの言葉が脳裏に浮かんだ。


 あの数日は、心の思い出として胸にしまっておくしかない。


「冗談じゃないよ! この子のために、私たちが一体何年無駄にしてきたと思っているんだい! モニカ! 分かっているだろうね」


 パウロ院長と視線が合ったが、私は彼女から目を逸らす。


 私は、一歩だけ前に出て、ルシアに向かって頭を下げた。


「承知いたしました」

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