30話 打ち明けるべきこと
拓が退院できたのは、翌日の夕方だった。
母がパートで来られないことが分かっていた拓がひとりで退院仕度をしていると、病室にアキが現れる。
「お母さんからお金預かってたから、支払いは済ませてきたわよ」
拓は驚いた顔で暫しアキを凝視した後、止めていた手を動かしながら口を開く。
「支払いしてくれたのは助かったけど、片倉は大丈夫なのか? アキひとりで来たんだろ?」
「そこは問題ない。今は博さんと文也さんが満里奈さんと一緒にいるから……それに」
アキがそっと拓の近くまで歩み寄ってきた。
「わたしと話がしたいって言ってたじゃない。みんなが居ると話しづらいことなんじゃないの? この間、話す素振り見せなかったし」
アキは妙に勘が鋭い。
しかしながら、病室の中で話すには時間が足りない。それをアキも分かっていたのか、ふたつにまとめられた荷物のうちひとつをそっと持つ。
「この近くにカフェがあるから、そこでいい?」
アキの提案に拓は小さく頷いた。
夕方なのに日中の暑さを引き摺っているのか、外へと出るとじわっと汗を誘う熱が身体にまとわりつく。快適だった室内に慣れてしまったためか、サウナ並みの湿度を保った外気に一瞬めまいを覚えた。退院が夕方でなかったら、こんな軽いめまいでは済まなかったかもしれない。夕方で良かったと拓は心底思った。
「なに飲む? わたしはアイスティー、レモンで」
「俺も同じでいいよ」
病院近くの喫茶店に立寄る。夕方だが店内はかなりの人が利用していた。みんな暑い外から避難してきたのだろう。カウンターでアイスティーをふたつ受け取ると、そのまま空いているふたり席へと座る。どう伝えようと悩んでいた拓にアキが先に口を開いた。
「拓が話したいことって身体のこと? ただのめまいにしては検査入院なんて大袈裟だったし……今考えると、余命宣告されたのにあっさり受け入れたのがずっと引っ掛かっててさ。わたしも拓とは話したかったんだよね」
やはり勘付いていた。アキは勘がいいから、拓が隠している何かに気付き始めていたようだ。内容が内容だけに話しにくかったため、察知してくれて好都合だった。そして、アキに感謝した。話す機会を与えてくれたことに対してというのもあるが、それよりも秘密を共有できることに関しての感謝だ。
「俺はアキに会う前から余命宣告をされてたんだ」
すでに汗をかいたグラスを見つめながら、拓はポツリポツリと自分の病気のことを話始めた。
脳に腫瘍があること、手術をすれば助かるが一生寝たきりになるような障害が残る可能性が高く、手術をしないで死を受け入れようとしていること、包み隠さずに話す。それに対してアキはなにも言わずに聞き手に徹してくれた。
話終えたところでようやく拓はアイスティーに口をつけた。氷はほとんど溶けて、ただレモンの輪切りだけが浮かぶ。それでも拓の喉を潤すには十分だった。グラスを空にしたタイミングでアキが声を発した。
「拓はこのまま手術はしないつもりなの?」
その問いかけに正直迷いが生じる。きっとアキと会う前の自分だったら手術をしないと断言していたかもしれない。しかし、今の拓は違った。
「今はどうしたら正解なのか分からない。手術をして、もしも障害が残ったら母さんに迷惑をかけるのが申し訳ないって気持ちは前と変わらないけど……それでも生きてみたいって思い始めてる。この期に及んで、死ぬのが怖いって感じ出しちゃったんだよな」
障害が残れば周りに迷惑をかけるだけの人生になると勝手に思い込んで、生きることを自動的に諦めていたことに気付かされた。あの少女に出会ってから、自分でも夢を見ていいんじゃないかと考えるようになった。けど、今さらそれを受け入れ、周りに打ち明ける勇気が今の自分にはない。生きることを選んで、母さんは喜んでくれるのか、少しだけ不安だった。
拓は俯きながら、アキの言葉を待つ。
「生きることを諦めるのって、生きることより勇気がいるよね」
アキは静かな口調でそう言った。
予想外の言葉に拓は目線を上げる。アキは窓の外を見つめていた。外と言うよりも、もっと遠くを見ているように拓は感じた。
「誰だって死ぬの怖いじゃない。痛いのは嫌だし、苦しい思いするのも避けたいし……わたしは生きることよりも死ぬことの方が覚悟がいるって感じるの」
拓は返事をしようか迷ったが、何て言えばいいのか分からなく、結局無言のまま頷く。
「拓はこの先のことが不安で死を覚悟してたかもしれないけどさ……それでも生きたいって、死ぬことが怖いって感じてくれて嬉しいよ。お母さんだってそうだと思う。血は繋がってなくても親だもん。拓がそう思い直したって知ったらきっと喜んでくれると思う」
アキはこちらに顔を向けるよと、優しく微笑んだ。
「ありがとう」
何に対してのありがとうなのかは分からなかったが、拓も笑顔でアキを見つめた。
「もう少し自分の気持ちを整理して、答えが出たら母さんや博たちにも伝えようって思ってる。それまでは黙っててくれないかな?」
「いいよ」
「ありがとう……アキにしかこんなこと言えなかったと思うから感謝してるよ」
「わたしが来た当初は泥棒扱いしてたくせに」
「いや、あの状況だったら誰だって泥棒だって思うだろ」
そう返して、ふたり同時に笑い声を上げる。
「それで? あとはなにか隠し事はないの? たとえば」
アキは笑顔から急に真剣な表情へと変わっていき、顔だけを拓に寄せた。
「好きな人がいるとか」
「え?」
「いないの?」
府抜けた声を出した拓に対して、アキは呆れた顔をする。
「もしかして無自覚?」
「なにが? 好きな人なんて……」
「いないって?」
ふーんと、アキは怪しんだような目で拓を見つめながら寄せていた顔をもとの位置に戻した。
「わたしには言う権利ないからいいか」
「なんだよ、それ」
意味ありげな言い方が気になりはしたが、今の拓にはさほど引きずる内容でもなかった。
「もう隠し事はないよ」
そう一言言って笑う。アキはそれに対してなにも返さずにまた窓の外を見つめた。
その横顔はどこか大人びた表情に写った。
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