28話 自分の夢

 病院の中庭にある日当たりのいいベンチで少女と肩を並べて、売店で買ってきた紙パックのジュースを飲む。もしかしたら、これがアキが言っていた自分との接点なのかと考えてしまうと、拓は複雑すぎて何を話したらいいのか分からなかった。


「口数が少ないのね」


 雛梨と名乗った少女はストローから口を離したと同時にぽつりと呟く。


「いや、俺って兄弟とかいないからさ……何を話したらいいか分からないんだよね」


 言い訳でしかないが事実だった。


「たっくんは一人っ子なのね。雛梨とおんなじだ」


 雛梨はどこか嬉しそうに微笑む。


「周りが大人ばかりだから、同い年の子と話すのが得意じゃないの」


 なるほど、と納得する。拓はそっと雛梨に目を向けた。相手の仕草や面影にアキと似ている部分があるかどうかを確認するためだ。しかしながら、10年という時の流れはかなりの変化を人に齎す。そのせいかアキと似ているかなんてぱっと見で分かるはずもない。


「えっと、雛梨ちゃんのお母さんは入院してるの?」


「そう。雛梨が生まれてすぐに病気が見付かって、それからずっと入院してる」


 雛梨の顔から見る見るうちに笑顔が消えてしまった。


「そうか。けど、お母さんは強いね……そんなに長く病気と闘ってるんだから」


「たっくんも病気なの?」


「まあね」


「たっくんも偉いね。病気と闘ってるんでしょ?」


「どうかな」


 病気から、生きる選択から逃げているとは言えず拓は笑みを浮かべてはぐらかした。


「雛梨ね、大きくなったらお医者さんになるの。お母さんの病気を治してあげられるぐらい、すごい先生になるのよ」


「それはお母さん、頼もしいね。雛梨ちゃんはしかっりしてるからきっとなれると思うよ」


「お母さんの次はたっくんを治すわ」


「え?」


「だから、たっくんも雛梨がお医者さんになるまで待っててね」


 何も知らない純粋な声が拓の胸に鈍い痛みを与える。


「たっくんの夢は?」


 唐突な質問に拓はまたも言葉を詰まらせた。子供は疑うことなく思ったことを投げかけてくる。それがたとえ、本人にとっては話しずらいことだったとしても、そのことに気付くことはない。悪気がないからこそダメージが半端ない。それを必死に隠しながら拓は笑った。


「どうかな。夢とか最近考えてないから」


 病気を知る前はそれなりに夢はあった。小学生の時は野球選手、中学生になると流行りに乗ってサッカー選手、男の子がたいてい口にする王道の夢。けれど、今は夢を語ることも考えることも避けるようになってしまった。夢なんて抱いても無駄だと分かってしまったからだ。生きても、自分には夢は不要。完全に脳内から遮断された言葉。


「ねえ? 夢は考えるものじゃないよ?」


「え?」


「お父さんが言ってたわ。夢は考えるんじゃなくて、自分の力で叶えていくものだって……だから雛梨が頑張ればお医者さんにも、なんならアイドルにでもなれるの!」


 少しだけドキッとした。夢なんて単純な空想物語だと考えていた拓にとって、その言葉はあまりにも衝撃的だった。手術を受けて助かっても、自分には夢などないと思い込んできた。しかし、寝たきりであろうとも何か自分の力で切り開いていけるような夢だってあるのではないのだろうか。力をつければ、夢は複数、無限大に広がるのではないか。

 いつぶりか覚えていないが、胸がザワザワと震え立つ。


「すごいね、君のお父さん」


「でしょ?」


「わたし、たっくん見た瞬間から思ったことがあるの」


「なに?」


「たっくんってすごく優しそうだし、イケメンだから、なにかお店をやったらいいわ。きっと人気が出ると思う。そうなるように、雛梨がきっとたっくんを治してあげるからね」


 なんだかすごい自信満々気に宣言した雛梨がどうしてだか心強さを感じてしまう。


(……やっぱり君はアキなのか?)


 女の子なのに気が強くて、自信に満ちていて、頼ってしまいそうになる優しさに満ちた女の子。


「だからたっくん、雛梨が来るまで病気に負けたらダメだよ!」


「わかった」


 そう返事をしてから、拓の頭に先ほどまで浮かんでこなかった質問が唐突に過る。


「雛梨ちゃん!」


 だが、誰かが少女の名を叫び、その質問は喉の途中で止まってしまった。雛梨を呼んだのはさっきの看護師だった。


「お母さんのお話が終わったよー」


 そう言いながら慌ただしく駆け寄ってくる。そして、拓の側まで近づくとまた深々と頭を下げた。


「本当にありがとうございました! ご迷惑をかけてすみませんでした!」


 お礼と謝罪に何度も頭を上げ下げする忙しない看護師に拓はいえいえと軽く手を上げる。


「さあ、雛梨ちゃんもお礼言ってね」


 そう看護師に言われ、雛梨の目線が真っ直ぐ拓へと注がれた。


「たっくん、ありがとう。あと約束よ」


 そして差し出される小指。拓は少女が求めるがまま、自然と小指を差し出し、自分よりも小さな小指に絡めた。


「指切り……ねっ」


 満面の笑みを浮かべる雛梨に拓は小さく頷く。


「約束……」


 君の名字を教えて。そう聞くつもりだったのに、雛梨は看護師の横に駆け寄り、手を振って行ってしまった。


「苗字を聞けば、手掛かりになるかと思ったけど……」


 拓は小さく息を吐き、雛梨から視線を逸らす。


「聞いたところで何か変わるわけじゃないしな」


 こんな出会いが果たして10年も彼女の記憶に残るか少し疑わしい。もしかしたら、雛梨は全くアキとは関係ない人物なのかもしれない。けれども、雛梨と交わした会話で少しだけ拓の心に変化が生じたのは確かである。


「夢は自分で叶えるか……俺にもまだ夢はあるのかな?」


 拓はそう呟いてから、ベンチに残された飲み残しの紙パックジュースを手に病院の中へと戻った。

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