第5話
帝宮の大謁見室は、半球形の形状で、一番奥には皇帝陛下と皇妃様のお席が五段の御階の上にあります。入り口から御階の前までは赤い絨毯が真っ直ぐに引かれていて、その左右には上位貴族当主が夫人や次期当主を伴って並んでいました。
今回は出席者は合計で三百人ほど。帝国貴族は上位貴族だけでも五百家はありますから上位の百家くらいしか出ていないという事になりますね。
ホールの高いところに設けられた天窓からは燦々と太陽の光が降り注ぎ、更にシャンデリアにも灯が入っていますから謁見室の中は明るいです。その光が金銀の装飾を輝かせ、更に列席者の宝飾品をも輝かせますから、謁見室の中は光に満ちております。
その真ん中、赤い絨毯を踏んで、エクバール様の腕に手を添えて入場するのは良い気分でしたよ。何しろエクバール様は華麗な美少年ですからね。義理の息子たる彼を従えた私はこの瞬間この帝国で一番華やかな所にいる女でしょう。去年まで伯爵家の目立たぬ干し物女だったとは思えない大出世ではありませんか。
私は今回濃いめの黄色というド派手なドレスも着ております。宝飾品も大きなルビーのブローチを始め、真珠とプラチナ、ダイヤモンドで出来た首飾り。サファイアの髪飾りなど盛りに盛っています。エクバール様は紺色のスーツですから殊更に私が目立つように仕上げてあるのです。
私の装いを見てエクバール様は首を傾げましたよ。
「……似合わぬ事は無いが、先生はもっと地味な装いが好みではなかったか?」
「先生らしく地味にしていただけで、別に地味好みではありませんよ?」
とはいえ、私はシンプルな服が好きで、こんなにゴテゴテでギラギラなドレスは本当は趣味ではありません。でも、今回の場合は役回りとして、私は派手な装いをする必要があるのです。
進む絨毯の左右にいる貴族達の表情は様々でした。ほとんどは貴族的な微笑みで感情を押し隠したような、無表情と言って良い顔でしたね。ですがまぁここにいらっしゃる方のほとんどからは事前にガーランド侯爵家への忠誠か協力のお約束を頂いています。
しかし二十名ほどの方々。エーベルト侯爵、ザカラン侯爵、ビルベール伯爵を始めとしたサミュエル様の政敵の面々は憎悪を隠そうともせずに私の事を睨んでいます。この方々の派閥も大分切り崩しましたけどね。サミュエル様に対抗するためにかなり長い時間を掛けて抵抗勢力を築いていたようで、サミュエル様に何かあった時には一気に勢力を覆すべく、以前から計画を練っていたようでした。それを私が無理矢理ひっくり返したのですから、私に対する恨みはひとしおでしょう。
ふふん。そんな事は知った事ではありません。サミュエル様さえ居なければ、なんて甘い事を考えていた貴方方が悪いのです。それにエクバール様の才覚なら、時間は掛かっても必ずすぐに状況を逆転しましたよ。私が何もしなくてもね。
私とエクバール様は御階の前に進み出て跪きました。侍従が高らかに皇帝陛下の入場を宣言します。
「帝国の偉大なる太陽! 東西南北を統べるお方! 大女神様の代理人にして大地の守護者! 皇帝ルクセリン陛下及び皇妃サリリーネ様ご光来!」
出席者が一斉に頭を下げる中、陛下と皇妃様が階段の横から出て参られて、お席に着きました。
「皆の者。面を上げよ」
陛下のお言葉で私達は顔を上げます。見上げると、皇帝陛下も皇妃様ももの凄く緊張した面持ちでした。陛下は二十五歳。皇妃様は二十二歳。お二人とも若いのです。こんな緊迫した場面で表情を隠しきるのは無理なのでしょう。まぁでも、私も二十五歳ですし、エクバール様に至っては十六歳ですけど。
エクバール様は内心を完全に覆い隠した華麗なキラキラ微笑で皇帝陛下と皇妃様を見上げました。その柔らかな表情を見て、皇帝陛下と皇妃様はあからさまにホッとしたようなお顔をなさいましたね。エクバール様が私のような傍若無人が服着て歩いているような方では無いと見て取ったのでしょう。
エクバール様はその笑顔のまま、皇帝陛下にご挨拶を致します。
「偉大なる皇帝陛下。私の当主代理就任を許可頂き有りがたく存じます。父である当主サミュエル・ガーランドは陛下からのご信任を受けながら病に倒れ、無念にも陛下のご信頼にお応え出来ぬようになってしまいましたが、私、エクバール・ガーランドが必ずや父に代わり陛下をお支えし、帝国を繁栄させるために務めると誓います」
エクバール様はそう宣言すると、優雅に跪拝いたします。その典雅な所作に思わず周囲のご婦人方から溜息が漏れました。
エクバール様の態度に、皇帝陛下は明らかに安堵の表情をしました。何しろ、エクバール様は現在、事実上帝都を占拠しているのです。いざとなれば帝都を火の海にして皇帝陛下を討ち、帝位を簒奪することも出来る状況にあるのです。しかもあの傲岸不遜、何をしでかすか分からない女(私です)も付いております。一体何を要求されるかと戦々恐々としていたのでしょう。
それなのに、エクバール様が発したのは皇帝陛下への恭順の意でした。サミュエル様に代わって皇帝陛下をお支えするという決意表明です。安堵というより拍子抜けしたのではないでしょうか。
しかしながら、エクバール様が無茶苦茶を言わないのであればそれに越したことは無いのでしょう。皇帝陛下は頷き、エクバール様にお言葉を掛けました。
「うむ。サミュエルは私も頼りにしていたので残念だが、サミュエルが自慢するほど優秀な其方が代わって尽くしてくれるのなら心強い。私を支えて欲しい」
「はい。このエクバール。必ずや一命を賭して皇帝陛下とこの帝国を護る事を大女神様にお誓いいたします」
エクバール様の言葉に、出席者から自然と拍手が沸きました。若き貴公子の初々しい忠誠と誓いの言葉です。自然と笑みが零れるほど美しい光景でした。
しかしそこで無粋な声が掛かります。
「お待ちください!」
進み出て来たのはエーベルト侯爵とザカラン侯爵でした。反サミュエル様、反ガーランド侯爵家勢力の筆頭の二人です。後ろにはビルベール伯爵が続いています。彼らは決然とした面持ちで皇帝陛下に異を唱えました。
「陛下! お待ちください! この者は現在、帝都に勝手に軍を入れて皇帝陛下の御心を騒がしている張本人ではありませぬか!」
「そうですとも! 帝都城門を占拠し、貴族の出入りを一方的に禁じています! 我々は領地と連絡も取れない状態です!」
「まして近衛の兵を追い、帝宮に自分の手勢を入れるなど、陛下への反逆に等しい所業! 断じて許されません!」
「陛下! このような反逆者を許してはなりませぬぞ!」
口々にエクバール様を責め立ててきます。その大きな声で言い立てる主張に、謁見室内は僅かにざわめきました。
うんうん。そうですね。確かに、帝都城門を占拠して帝宮を軍事的に制圧するなんて反逆一歩手前の所業ですよ。許されません。本来は。皇帝陛下の家臣としてはあるまじきやり方です。
しかし、許されるか許されないかなど関係無いのです。この世は常に弱肉強食。そして、喰われそうになったら子鹿でさえ狼に噛み付くのです。ましてガーランド侯爵家は大獅子であり、仕留めるなら一撃で仕留めなければ強烈な反撃を喰うに決まっているではありませんか。
結局、貴方達が甘いのですよ。私は、ゆっくりと立ち上がりました。黄色いドレスの裾が翻り、宝飾品が光を浴びてギラッと輝きます。
そして私は、エーベルト侯爵とザカラン侯爵を睨み付けました。遠慮無く。傲然と。二人は目に見えて狼狽しましたが、踏みとどまりました。キッと私を睨み返します。私は口元にだけ笑みを浮かべながら言いました。
「我がガーランド侯爵軍が帝都を占拠し、この帝宮をも制圧しているのは事実でございますわ」
周囲がざわっとします。これはガーランド侯爵軍が反乱を起こしているということを認めたようなものだからです。エーベルト侯爵がしめたとばかりに口元を歪めます。
「認めおったな! この悪女め! それははんら……」
「しかし! これは反乱ではございません!」
私はエーベルト侯爵が叫ぼうとするのに被せて言い放ちました。
「ガーランド侯爵軍は、反乱の予兆を察知し、反乱を未然に防ぐために帝都に入り、帝都を護っているのです!」
私の堂々とした大嘘に、エクバール様さえ目を丸くします。ましてエーベルト侯爵は驚き呆れたという顔になってしまっています。
「反乱だと? どこにそんな兆候があったというのか!」
「それは無論、エクバール様の当主代行就任を妨害した貴方たちが犯人です! エーベルト侯爵!」
私の宣告にエーベルト侯爵が驚きました。
「な、なんだと?」
「陛下のご信頼を一身に集めていたサミュエル様を妬み、その不幸に乗じて貴方たちは反乱を企んだのです! 皇帝陛下をそそのかし、軍を起こしてガーランド侯爵家を滅ぼさんと企んだ! これは反乱です! 断じて許すわけには参りません!」
大嘘です。しかしながら、全くのでたらめではありません。エーベルト侯爵の一派が、サミュエル様が倒れた状況を利用してガーランド侯爵家を政権から排除しようとしたのは事実でしたし、その後に徐々にガーランド侯爵家を排斥して勢力を弱め、最終的には軍事侵攻までして家門の断絶まで狙っていたのも間違い無いでしょう。
ただ、現状で軍を動かす事までは考えていなかっただけです。甘いですね。大事な事は一息に徹底的に終わらせなければなりません。相手が強大なのであれば尚更です。そして私はそんな過ちはしませんよ。
「貴方方の反乱を察知したエクバール様はやむを得ず、軍を動かしたのです! 言わば帝国を護るための正当な行為です! 帝国の敵は貴方方のほうです!」
「な、何を言うかこの痴れ者が! どこに我々が軍を動かした証拠がある? 陛下! このような無茶苦茶な女の言うことを信用なさいますまいな?」
「貴方ごときが畏れ多くも皇帝陛下に指図しようというのですか? 恐ろしいこと」
「貴様の方が恐ろしいわ! 我々に堂々と濡れ衣を着せおって!」
エーベルト侯爵たちと私は醜く罵り合いましたよ。私は相手に難癖付けている自覚がありますし、あちらはあちらで自分たちが正しいと確信しているのですから議論になりません。精々相手に悪口をぶつけるくらいしかやりようがないのです。高貴なる大貴族とは思えない醜さでした。
しばらく悪口合戦を繰り広げた後、頃合いを見て、私は皇帝陛下に言いました。
「さて、このように意見が対立してしまいました。素直に罪を認めぬ方々には困ったものですが、このような場合は双方の意見を聞いた上位の方が裁きを行うべきではございませんか?」
皇帝陛下がこの上なく不安そうなお顔をなさいました。嫌な予感を感じたのでしょう。
「そ、それは一体どういう意味か?」
私はにたーっと笑って言いました。
「私と、エーベルト侯爵たちの双方の意見はお伺いになったと思います。どちらの意見が正しいのか? 陛下の裁定をお願い致します。エーベルト侯爵もそれでよろしゅうございますわよね?」
は? と私の提案を聞いたエーベルト侯爵はあっけに取られたという顔をしましたね。そして私の提案を理解すると、顔面を紅潮させました。自信ありげな表情になります。
侯爵にしてみれば、自分たちが反乱を起こそうとした、などという私の意見は事実無根であるし、サミュエル様が倒れてから皇帝陛下のお側に付いていた自分たちの無実は当然、陛下もご存じである。なので、陛下に判断を委ねれば、陛下は必ずや自分たちを無実と裁定して下さるだろう。と考えたのでしょうね。
ですから、彼らは特に反対意見も出さずに頷きました。
「そ、そうですな。ここは皇帝陛下に裁定を下して頂こうでは無いか」
「そうだ。それが良い」
エーベルト侯爵たちはむしろ喜んで皇帝陛下に裁定を委ねました。むしろこの裁定で皇帝陛下が、私やガーランド侯爵家を断罪してくれるのでは無いか? とまで思ったのではないでしょうか。
大甘ですね。
私はエーベルト侯爵一派が全員同意したことを見届けると、皇帝陛下に向けてドレスを翻して、ふわりと跪きました。
「それでは陛下。御聖断を」
そして皇帝陛下をジロッと睨み、微笑みました。その瞬間皇帝陛下はビクッと震えました。私の言いたいことは伝わったのだと思います。
そうです。この状況は私が誘導したのです。ですから、当然私には絶対の勝算があるのでした。すなわち、皇帝陛下がエーベルト侯爵一派を断罪して下さるだろうと確信していたのです。
だって考えてみれば分かりそうなものではありませんか。
私は今現在、皇帝陛下のお命の行方を握っているようなものなのですよ?
帝都も帝宮も、ガーランド侯爵家の管理下にあるのです。近衛兵すら半分以上ガーランド侯爵家に忠誠を誓っている有様です。帝都の城壁、そこを護る兵士も掌握しています。
更に言えばここに居る貴族のほとんどはガーランド侯爵家に忠誠を誓うか、恭順を誓約しています。先ほどから私とエーベルト侯爵一派が罵り合っていても、エーベルト侯爵たちに味方をする者は一切増えません。じっと皆様沈黙を守って下さっています。それを見れば、ガーランド侯爵家に反発する者が、既にエーベルト侯爵家を始めとする十家ほどしか居なくなっている事が皇帝陛下にも分かった筈です。
サミュエル様がお倒れになり、エーベルト侯爵が皇帝陛下にガーランド侯爵家排除を吹き込んだ時には、もっと多くの反ガーランド侯爵派が居たはずです。私はこれを大幅に切り崩したのでした。その事も皇帝陛下には見て取れた筈です。
さて、この状況を知った上で、皇帝陛下が私の意向に逆らう裁定を下せるでしょうか?
出来る筈がありませんね。怒ったあの頭のおかしい女(私です)が何をしでかすか分かりません。怒り狂った私が兵をこの場に呼び込み、エーベルト侯爵一派を惨殺し、意に沿わない裁定を下した皇帝陛下をも弑する気になってしまうかも知れません。やろうと思えば出来るのですから。
たとえ正義がエーベルト侯爵側にあろうとも、この危うい状況を無視して正義に則った裁定を下すなんて、出来ませんよ。気の弱い皇帝陛下には。
そしてこうまでガーランド侯爵家の勢力が強くなり、相対的にエーベルト侯爵一派の勢力が弱まった今、帝国貴族界の平穏を保つためにはガーランド侯爵家に政界運営を任せた方が、今後の政権運営をスムーズに運ぶ意味で良いだろうと陛下は考えるはずです。
そうであればガーランド侯爵家に対する抵抗勢力であるエーベルト侯爵一派が排除される事は容認せざるを得ません。その方が皇帝陛下の政権運営が順調に進み安定する事は明らかだからです。
そしてその状況下で、エーベルト侯爵たちは自分たちの運命を皇帝陛下の裁定に委ねました。委ねてしまったのですから皇帝陛下がどんな裁定を下しても、彼らには従う義務があるでしょう。
飛んで火に入る夏の虫、とはこの事でしょうね。
皇帝陛下はうむむ、っと唸り、瞑目しました。そしてお顔に汗を浮かべたまましばし悩んでおられましたが、やがて、決心したように目を開くと、重々しく仰いました。
「ガーランド侯爵夫人の言葉を、私は信じよう」
エーベルト侯爵たちが愕然とします。
「へ、陛下! 何を!」
逆に私は得意満面の笑みで立ち上がると、悠然と皇帝陛下に一礼致します。
「私を信じて頂き、ありがとうございます」
そして、さっと手を振ると私は警備の兵に命じました。
「御聖断は下された! 反逆者を捕らえなさい!」
私の声に応えて、近衛兵達が一斉に動き出します。元々この予定でしたから、通常の警備よりも多い兵を会場に入れておいたのです。兵士は抜剣してエーベルト侯爵一派を囲みます。夫人たちが悲鳴を上げました。
「陛下! 無実です!」「このような事が許されても良いのですか!」「お助け下さい!」
私への悪罵も凄かったですね。
「この悪女め!」「女神様の罰が当たれば良い!」「地獄に落ちろ!」
私はそれを冷然と聞き流すと、兵士に素っ気なく命じます。
「とりあえず捕らえて帝宮内部の部屋に軟禁しなさい。逆らう者は縛っても構いません」
流石に上位貴族を地下牢に叩き込む訳には行きません。ですから、事前に捕らえるためのお部屋を帝宮内部に用意して、兵士には方々を丁重に扱いあまり礼を逸しないよう扱うように事前に申し渡しております。
そもそも、反乱自体がほとんど濡れ衣です。これで怪我をしたり死なれでもしたら流石の私でも寝覚めが悪いですし、ガーランド侯爵家への反感も強まってしまうでしょう。そもそも、私の目的は彼らの失脚であって命ではありませんしね。
皇帝陛下が「反乱を企んでいた」と認定した以上、彼らが政権中枢から追われるのは確実ですし、身分に応じた罰が下されるでしょう。最悪、爵位の抹消と領地の取り上げまで考えられるでしょうね。特に私は反抗勢力の代表である、エーベルト侯爵家、ザカラン侯爵家、ビルベール伯爵家は取り潰すつもりでいましたよ。徹底的に潰しておかないと、私がやったように反撃されかねませんからね。
大騒ぎしながらエーベルト侯爵一派が謁見室から連れ出され、ようやく広間に静けさが戻りました。何もかも予定通り。エクバール様は何も手を汚さず、責任は皇帝陛下に押し付けた上で全ての目的が達せられたのです。私は満足しつつ、皇帝陛下にスカートを広げて一礼します。
「御心を騒がせましたこと、お詫び申し上げますわ。陛下」
皇帝陛下は何故か口元を引き攣らせていらっしゃいましたね。
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