第3話 戦国デビュー
あれから数か月、ノブは剣術と馬術、そして当主としての教育を受ける日々が続いていた。時折、信長が姿を見せると戦略や政治について学んでいた。ヤシュケスは、名前が発音しにくいということで、皆から『
──平手政秀の屋敷。
「爺さん、いきなり呼び出して何なんだよ!」
ノブは不機嫌そうに政秀の前に座った。
「今朝、ケガをしていた者が、やっと目を覚ましたそうだ」
「おっ、そうか! 早速、会いに行こうぜ、オレ達が何でここにいるかがわかるかもしれねえ」
ヤシュケスに声を掛け、3人は奥の寝室へと向かった。
──ノブは寝顔を覗き込んでいた。よく見ると、色白で髪は短く、童顔でアイドルのような美少年の顔立ちをしている。しばらくして、目が合った。
「やっと目が覚めたな、オレは『アキバ・ノブ』。こっちの大男は『ヤシュケス』。それと白髪なのは『平手の爺さん』。で、ネエチャンは誰だ?」
ノブは早口で一気に言った。
「えっ……、ネエチャン……! なんで、わたしが女だってわかるのぉぉぉーっ!」
ネエチャンという言葉に反応した彼女は驚きの声を上げた。
「え、だってオレが抱きかかえて助けたときに……、何となく……」
ノブが照れくさそうに言うと彼女は布団から飛び出して、その場に正座した。
「取り乱してすみませんでした。わたしは『コバヤシ・ラン』といいます」
そう名乗って、助けてもらった礼を込めて深々と頭を下げた。
その後、ノブ達は事情を話し、ランも『頭の整理をつけてから説明したい』と申し出たので、その場は解散することになった。
別れ際、家督を継ぐことに反対する者も多く、まして妻のいないノブの周りに女がいれば不穏な噂が立つと考えた政秀は、童顔なことからランを『蘭丸(らんまる)』と名付け、男として振る舞ってもらう条件で、ノブの側に小姓として置くことにした。
──翌日、屋敷の大広間。
ランは自分が時間軸の研究をしていること、そしてあの日はタイムマシン試作機の最終テスト中だったことを説明した。
落雷によって試作機が誤作動し、時空の歪みが発生した結果、ノブ達もそれに巻き込まれ、過去の時代にタイムスリップしてしまったらしい。
そして、あの場にいて歪みに取り込まれた周囲の人や物は、どこか別の過去の時代に飛ばされた可能性が高いということだった。
3人は真剣に聞いていたが、ランが話し終わるとノブが口を開いた。
「事情は大体わかった。じゃあオレ達は、もとの時代に戻れないのか?」
「現時点では戻れません」
「戻る方法は?」
「今は、わかりません」
「……」
ノブは天を仰ぎ、ランはうつむいた。ヤシュケスと政秀は、ずっと目を閉じて黙っている。
「よし! こうなったら、オレはこの時代で天下を目指す! 面白くなってきたぞ」
ノブは突然、立ち上がり拳を突き上げて叫んだ。
この楽観的な天下取り宣言にヤシュケスは唖然とし、政秀は喜び、ランはうつむいたまま困惑していたのだった。
──年が明け、天文20年(1551年)那古野城。
この頃からノブ達は信長の居る那古野城で暮らしていた。
ノブは、この時代で生きる覚悟を決め信長の教えを熱心に受けていた。ヤシュケスは得意の体術を家臣達に指導する立場となり、ランは城の自室に閉じこもって、もとの時代へ戻る方法がないか書物に目を通している。
一方、平手政秀は病床の織田信秀へ現状報告と指示を仰ぐため末森城を行き来し、忙しい中でもノブ達と会うと近況を嬉しそうに聞いていった。
ある日、ランは気晴らしに城の外へ出た。すると前方からノブと信長が仲良く手を上げて近づいてきた。
「よう、戻る方法は見つかったか?」
「いいえ、まったく見当がつきません、しかも読めない字が多く苦戦しています」
ランは肩を落としたが、2人も残念そうな表情をしていたので咄嗟に話題を変えることにした。
「ところでノブさんは、もとの時代ではどんな仕事をしていたのですか?」
突然、ランから話を振られたノブは慌てた。
「オレはレジスタ……じゃなくて、店でレジスタッフのリーダーだったんだ」
「ああ、だからヤシュケスさんが『リーダー』って呼ぶんですね。でも、なんであの日、研究所にいたんですか?」
「え、それは……たまたま産業道路をバイクで走っていて……」
「ああ、ドライブしていたのですね」
「そうそう……」
(ふう、あぶねえ)
「事故に巻き込んだこと、本当にすみませんでした……。それから、今はまだ詳しく言えないんですが、私たちの行動が未来に影響を与えるかもしれないので、注意してください」
「……?」
そんな会話をしていると、事情を知っている信長が笑顔で話しかけてきた。
「ランさん、着物がとてもお似合いですよ」
よく見るとランは花柄の真っ赤な小袖を着ていた。
「この前、政秀様が来て『せめて着るものだけは女らしく』と言って持ってきてくれました」
「へえぇ、あの爺さんがねえ。でも派手じゃないか?」
ノブは、まじまじとランを眺めた。
「それより、お体の具合はいかがですか?」
ランは無視して、心配そうに信長の方を見た。
「わたしも、たまには外に出ないと滅入ってしまいます。それに歳が近い皆さんといると元気がでます」
「ワハハハ」
ノブは愉快に笑った。ランも自然と微笑んで、穏やかな時間が流れていった──。
◆◇◆◇◆
天文20年(1551年)3月、織田信秀病没。
葬儀は那古野城の南側に建立された萬松寺。開山には信秀の叔父にあたる大雲永瑞和尚が迎えられ、300人余りの僧侶を参集させた。
──ついに、ノブが当主として織田家一同の前にデビューする時が来た。しかし、平手政秀は信秀病死の知らせを聞いたときから不安を抱えていた。
生前、信秀がノブに家督を譲る旨の御触れを出したが、それ以来家中が2つに割れて争っているからだ。
特に、信長の弟・信勝を擁立しようとする柴田勝家や、実子の信勝を当主にと裏で画策しているという土田御前の不穏な動きが気になっていた。
さらに政秀を悩ませたのがノブ本人のことだった。長い黒髪を後ろで束ね、耳にはピアスを複数つけている彼の容姿が、一族の者たちに奇異な目で見られ疑念を抱かせないか心配でならなかった……。
──葬儀当日、いちばん上座にいるべきノブだけが、まだこの場に姿を見せていない。
「平手殿、若殿はまだお見えにならんのか? そろそろ読経も終わりますぞ」
家老の林秀貞は葬儀委員長格の平手政秀に舌打ちしながら尋ねた。
「今しばらくお待ちくだされ」
「信勝様から焼香をはじめていただきましょう。大殿の葬儀に遅れるとは国中から笑いものにされますぞ!」
柴田勝家が割って入り、口を出してきた。そして政秀は一同に頭を下げ続けていると、ついに読経が止んだ。
「焼香を」
僧侶のひとりがうながしたとき、場内に驚きのざわめきが起こった。ノブが澄ました顔で入ってきたからだ。彼はいつもと同じ容姿と服装をして、鋭い眼でまわりを見回しながら仏前に進んでいった。
「初めて見るが、あれが若殿なのか?」
「前に見たときは、もっと聡明なお姿だったのに」
「なんじゃ、あの出で立ちは? まことに若殿か」
そんな声が聞こえてきたが、ノブは無視し香箱の香をつかんだ。
そのとき突然、
「若殿、ご乱心!」
家臣のひとりが叫んだ。それを合図に、数人がノブに切りかかろうと身構えた。
「無礼者っ! オレが『ノブナガ』だーっ!」
ノブは大きく手を振り上げ、香を家臣達めがけ投げつけた。すると場内が再びざわめき始めたが、
「皆、静まれっ!」
その声に周囲が振り返ると、そこには青白い顔でランに肩を借りて信長が立っていた。
厳しい目でまわりを睨み、今こそ織田家が団結し乱世を生き抜かなければならないことを告げて、その場を去っていった。
その後、葬儀は何事もなかったかのように終わった。
しかし、葬儀でのノブの容姿と行動は、何者かの手で『信秀の位牌に向かって香を叩きつけた、大うつけ者』という話にすり替えられ、その噂は瞬く間に尾張国中だけでなく、全国に広がっていった。
それと同じく『ノブナガ』の名も知れ渡ったのである──。
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