違う世界 2話

 死んだと思っていたが、目を覚ますと見知らぬ場所にいた。ドラマとかで出てきそうな探偵事務所。事務机があって、応接用のソファーにローテブル。私は長いソファーに寝かされていた。

 そんな私の前に急須と湯呑みを持った男が現れた。さっきまで一緒にいた男だ。名前は確か尾形だったっけ。会社とか言っていたからここはこの男の会社ということか。この男に運ばれたと思うとゾッとする。

 尾形は私の前に熱々のお茶が入った湯呑みを置きながらこう言った。

 

「お早いお目覚めですね。もう少し横になっていてもよろしかったのですよ」

 

 あの状態から助かったとは思えないけど、尾形とかいう男が助けてくれたのだろうか。この男意外と頼りになるのか。見た目は頼りなさそうだけど。

 身体を起こしてソファーに座ると、左に某探偵事務所のように大きなガラス張りの窓があった。この土地に住んで22年。私の住んでいる地域からそう遠くない限りはわかると思うけど、この景色は今までで見たことないものだった。尾形を他所に、窓まで近づいて鼻をつけながら外を覗く。太陽も高い位置にいるというのに道は誰も通っていない。田舎の道だから人通りが少ないことは多々あるが、外から何も音が聞こえない。車の走行音や、風が吹く音。まるで世界の時計が止まっているようだ。幸いにもあたりに高い建物も少ない。平屋や2階建てが多い。この窓は2階部分だから見渡しは結構いい。右や左正面の遠くを目を凝らしながら見るが、知らない世界だ。

 ガラスから少し遠ざかると、ガラスに尾形の姿が映った。相変わらず不気味な笑みを浮かべながら私の方を見ていた。

 ここがどこなのか確かめるにはこの男に話を聞くのが1番早そうだ。

 窓ガラスから離れ、さっきまで横になっていたソファーにに腰掛け、一口だけお茶を飲んで心を落ち着かせた。

 

「ここどこですか?」

 

 唐突に聞かれたからか、尾形は「はい?」と言いながら首を傾げた。

 私をここに連れてきた当事者であるのに、しらを切るつもりか。

 私も簡単には引き下がらない。まだ看護師として日は浅いけど、実習とかでしらをきる患者との対面は経験済みだ。

 

「ですから、ここはどこですか? こんな街私知らないんですけど」

 

 尾形はニヤけながら言う。

 

「ここは死後の世界です」

 

「は?」

 

 ちょっと何言っているのかわからん。死後の世界? 三途の川を渡った後というこ? そもそもそれは宗教的な概念の話であって、現実世界で死後の世界なんてあり得ない。死は無。何もないのが当たり前。身体に血液が循環していないと人間は考える頭を持てないし、身体を動かすこともできないのだから。

 

「あの、本当のことを言ってもらえませんか? 死後の世界なんてあり得ないですよね」

 

 私の身体はまだ暖かいし、死んでいるとは思えない。

 

「いえいえ。丹羽様は本当に死んでいるのですよ。おっしゃるようにここは概念の世界。ここを思い描いているのは丹羽様あなたなのですよ」

 

 言っていることが全く理解できない。概念は概念であって、現実ではない。意識があることがおかしい。概念は空想のようなものそんなことはあり得ない。

 

「信じられませんか?」

 

 言われた言葉に頷いた。すると尾形は、新聞を私に手渡した。

 

「2枚目です」

 

 そう言うので新聞を開いてみると、太文字の大見出しに『公園で20代女性の遺体発見』と書かれていて、その隣には私の顔写真と名前が書かれていた。

 

「ど、どういうことですか……」

 

 私は本当に死んでしまったのだろうか。身体はまだ生きているのに。こんなにも温かいのに。意識だってこんなにはっきりしているのに。もうわけがわからない。死んだとか死んでないとか。

  

「混乱するのも無理はありませんが、あの状態から生きていると考えられますか? ちなみに私は助けていませんよ。私の依頼主は新田様ですから」

 

 ふざけたことを。人の命を何だと思っている。自分の都合で助ける助けないを決めるなんて愚かな人間がすることだ。綺麗事に聞こえるかもしれないけど、たとえ誰の命であっても、助けるのが病院に勤務しているものとしての務めだ。

 尾形のニヤけずらに少なからずの苛立ちも覚えながらもため息を吐いて心を落ち着かせていた。

 ただ、看護師をしている私の意見を言わせてもらうと、あの状況からなら生きている方が不思議だ。香苗が刺したのは多分毒。回りが早かったから強力なもの。有名どころで言えば、フグ毒のテトロドトキシンやトリカブト。軽度な毒によくあるような消化器症状よりも、全身の痺れからくる麻痺や呼吸困難を考えると、どちらかの可能性が高い。だったら、生きているってことはなさそうだな。

 そろそろ現実を受け止めないといけないのかもしれない。何が現実なのかまだ何もわかっていないけど、死んだってことだけは確かだと思う。

 尾形の前でもう一度ため息を吐いて、新聞に書かれている内容を詳しく読んだ。

 新聞によると私の死因は予想していた通り毒だったようで、解剖の結果、フグ毒のテトロドトキシンが検出されたそうだ。それに合わせて腰に刺された注射針が運悪く動脈に刺さって毒の回りが余計に早まったのだとか。本来なら数十分の時間を有する毒だが、致死量だったこともあって、ほぼ即死だったとか。犯人はまだ捕まっておらず、現在は捜索中。目撃証言や防犯カメラが皆無で捜査は難航を極めると関係者が語っていると。

 目撃者がいないだろうなってのはなんとなくわかっていた。それくらい人のいない田舎だから。それに私も叫んで人を集めたとか事件を認知してもらうことをしなかったから、家でゴロゴロしていた老人は普段と何も変わらない日常を過ごしていたんだろうな。

 ここは田舎で、昔ながらの廃れたシャッター街だから防犯カメラなんてものをつけている人はいないし、1番近くの防犯カメラは徒歩1分にあるコンビニだろう。私の通り道からはコンビニの背後が見えるから防犯カメラには映らない。あとは逃げ道を裏路地にすれば完全犯罪の完成だ。それに、警察も犯人探しには困難するはずだ。だって、書類上死んでいる人間が犯人なのだから。

 まあ、どっちにしても私はもう元の世界には戻れないんだ。こんなはずじゃなかったのに、一体どこで人生を間違ってしまったのだろうか。まだやりたいことたくさんあったのに。旅行だっていつかは全国回るって決めていたのに。夢は何も叶わないまま終わってしまうのか。

 死んでしまったという現実を受け入れるのはきつかった。どうしても現実を受け入れたくなくて、気がついたら目から涙を流していた。そんな私の前に尾形は1枚の紙を出した。

 

「落ち着いたら詳しいことをお話をしますが、我々は、あなたのような現世に未練を残した方を対象にサービスを展開しております。今は理解が難しいと思われるのでこちらを読んでまずは心を落ち着かせてください」

 

 A4サイズの紙には文字がびっしりと書かれており、読み手の読む意欲を削ぐスタイルになっていた。それでも私は紙を手にとって上から心の中で読み始めた。そうでもしないと心を落ち着かせることができないから。

 

 〜合同会社再生屋概要〜

 企業名 合同会社再生屋

 代表者 代表社員 上野一也

 本社所在地 登久島県

 設立 2018年4月

 資本金 500万円

 従業員数 5人

 事業内容 各種コンサルティング業務

 

 ここから先はほぼ文字だからやめよう。やっぱり文字ばかりのを見ると読む気を失うな。もう少し簡単に解説してほしい。病院の全てのマニュアルも。って、もう死んでいるから今更願ったところで私はその恩恵を享受できないからどっちでもいいけど。

 渡された紙から目を離し、視線を上げると尾形と目があってしまい、向こうも何かを察したのか口角を上げてニヤついていた。

 

「状況は理解できましたか?」

 

 まだ理解はしきれていないけど、私は頷いた。だって、考えたって何もわからないから。今は考えるだけ無駄だと思うから。

 

「では、我が社についてお話をさせていただきます。我が社では未練を持って亡くなった方に対して選択肢を与えることを仕事としています。貴方には過去に戻っていただき、前回とは違う選択を行うことで後悔をなくし、前回よりもいい未来を歩んでいただくのです。報酬はお金ではなく貴方の記憶のコピーになります。消したり改竄かいざんしたりは致しませんのでご安心ください。さて早速ですが、貴方には2つの選択肢があります。1つは過去に戻らずにこのまま死の世界に向かうこと。2つ目はさっき言いましたとおり、過去に戻ること。どちらを選ぼうとも我々は関与致しません。好きな方をお選びください」

 

 また理解の難しいことを。さては私に考えることをさせる気ないな。まあ、こんな好条件で後者を選ばない人がいるのなら、それは飛んだ変わり者だろうな。だって、過去に戻ることができるんだから。次は殺されないように生きることができるんだ。後者を選ばないなんて損だ。だけど、1つだけ懸念事項がある。それは“脳”を報酬としていること。脳の報酬なんて聞いたことがない。ホルモン系の話なら聞いたことはあるが、そうではないから。それに他人の記憶を閲覧できるなんてこと聞いたことがないぞ。ましてやコピーなんてもっとできないだろ。第一私の脳をコピーして何がしたんだ。看護師試験の筆記問題はクリアできても実技がないと看護師にはなれないのだから見たっていいものはない。この男が何をしたいのかわからないけど、それは後で考えよう。私の記憶を悪用するようなら私にだって考えはある。

 

「過去に戻りたいです」

 

 私がそう言うと、尾形はまた机の上に1枚の紙を置いた。どうやら今度は誓約書のようだ。その誓約書を読むために拾い上げようとしたが、手を伸ばした瞬間に尾形が口を開いた。

 

「一つ、我が社のことは決して口外しない。二つ、我が社のこと社員のことは一切探らない。三つ、故意、過失を問わず我が社に損害を与えた場合は全責任を負う。四つ、社員の指揮指令に従い職務に専念する。五つ、以上四つの制約を守れない場合は強制的に契約を解除していただき、行き先は代表の判断に委ねることとする」

 

 なるほど。難しい。

 

「あの質問いいですか?」

 

「はい。どうぞ」

 

「契約が解除になった場合はどうなるのですか?」

 

「人生の強制終了です」

 

「それはつまり、殺されるってことですか?」

 

「はい。そう捉えていただいて正解ですよ」

 

「なるほど。行き先というのは天国と地獄みたいなものですか?」

 

「はい。みたいなというよりは、天国と地獄そのものですよ。解約が解除になった場合は有無を問わずに地獄行きです」

 

 なるほど。まあ、この会社のことは気にせずに人生をもう1回楽しめばなんとかなるな。

 

「わかりました。サインします」

 

 普段ならカバンの中にボールペンの1本でもは言っているのだが、ここには身体1つできたようだ。

 

「すみません。描くものお借りできませんか?」

 

「はい。どうぞこちらのボールペンをお使いください」

 

 懐から出した生暖かくて小綺麗なボールペンを渡された。そのボールペンを使って、私は日付、住所、名前を書き込んだ。

 

「印鑑はどうしましょう?」

 

「指印で構いませんよ。朱肉はこちらで用意していますから」

 

 差し出された朱肉に指を押し込んで親指を真っ赤に染めた。

 指印なんて初めてだったからこんなのでいいのかわからないがとりあえず紙をぐっと押した。指を離すとただの真っ赤な楕円が出来上がっていた。

 

「あ、すみません。やり直しってできますか?」

 

「いえいえ。これで構いませんよ。これで契約は完了でございます。それではレッツスタートオーバー」

 

 尾形が言った途端に視界は渦を巻くように歪み始め、頭痛と吐き気に襲われた。次第に暗くなる視界に絶妙な懐かしさを覚えた。これは死ぬ間際と同じだと。

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