合同会社再生屋

倉木元貴

道は同じ 1

 2026年3月16日 月曜日 午後11時34分。

 僕は死んだ。

 付き合っていた彼女と居酒屋で呑み交わした後、2人でラブホテルに入って、僕がシャワーを浴びている時に。


「一緒に入ろう!」


 そんな甘い誘惑に乗せられて、無防備にも背中を向けてしまった。

 その直後だ。背中に今までで感じたことのない強烈な電気が走ったような痛み。

 何が起きたのか、振り返ると、血の付いた包丁を彼女が持っていた。その時に、ああ、僕は死ぬんだ。そんな気持ちに苛まれて、もう防御体制をとる気にもなれなかった。実際に何回くらい刺されたのかは分からないけれど、死ぬまでの記憶上では、5回程刺された。最後の方なんて、痛みなんてものはなく、僕の人生ここで終わりか。と悲しみと絶望感しか感じなかった。


 今回ばかりは僕が甘かった。普通に考えて、さっきの居酒屋で別れ話を切り出したのに、ラブホテルに行くなんて貪欲過ぎるな僕は。

 それとも、彼女の「別れたくない」って言葉を信じ過ぎたのか?

 だって、別れ話を切り出すきっかけは、彼女の浮気なんだから。



「おはようございます。井上颯太さん。貴方は本日、午後11時34分45秒に死亡いたしました。享年は23歳です」


 刺されて意識を失って、ずっと真っ暗な空間が続いているが、突然人の話し声と足音がが聞こえていた。

 声を聞く限りは男性。年齢は詳しくは分からないけど、声の感じからして30代くらいだと思う。

 それよりも何故僕は今、誰かの声を聞けている。それに、声の主は僕のことを「死亡しました」と言った。つまりは、僕は死んでいる。あのまま存命できたとは僕も思わない。それなのに何故僕は人の話を聞けている。

 そんな不気味な感覚が僕の中から拭えなかった。逃げ出したい気持ちでいっぱいだったが、何故か身体が痺れて動かなかった。声も出し方が分からず、ただ言葉を聞くことしか僕にはできなかった。


「お短い人生の終焉にお悔やみの言葉もございません。それよりも、私のお話をお聞きになりませんか?」


 スマホのライトのような光が、真っ暗な空間にぽつんと現れて、薄らと声の主を照らしていた。

 声の主は予想通り男性。背格好には似合わない整えられたスーツを着ていて、目には眼鏡を掛けていて、目は瞑っているのか細いだけなのか、線を書いただけのような細さ。左口角だけ1センチくらい上げて、薄らと笑っている様子が、不気味悪さをより一層引き立てていた。

 その男が僕の方へ近づいて来ると、次第に僕の身体も動くようになっていた。

 

「貴方は閻魔様か何かで、ここは地獄への入り口と言うことですか? よく言われている姿形とは似ても似つかないものですね」


 スーツを着たこの男は、座り込んでいた僕に笑みを向けた。


「とんでもありません。私はかの閻魔大王様のように高貴な者ではございません。失礼致しました。まだ名前を名乗っていませんでしたね。私、合同会社再生屋の社員の、尾形祐太郎と申します。貴方のような方々に選択肢を与えるのが私共の仕事になります」


 尾形祐太郎と名乗る男はそう言いながら、スーツの内ポケットから名刺を1枚取り出した。


「合同会社再生屋? 何ですかそれは?」


 この台詞は間違いだった。

 僕がそう言った途端に、尾形祐太郎はテンションを上げた。


「よくぞ聞いてくださいました。人生に後悔を残したまま死ぬのは誰だって嫌だと思います。そんな貴方に過去に戻っていただき、前回とは違う選択をし、違う未来へと案内し、後悔をなくしていただくのが我々の役目です。先程選択肢と言ったように、貴方はこのまま死んでしまうのも選択の1つですよ。勿論、私のオススメは人生をやり直すことですが、何方に致しますか?」


 よく理解はできないけれど、用はこのまま死ぬか過去に戻るか、何方かを選べってことだな。

 そんなの後者に決まっている。もう1度、人生をやり直せるのだったら、そっちの方がいいに決まっている。


「人生をやり直すのもいいですね。それに、殺されて死ぬのは癪ですしね。あんたは怪しいけど、まだやり残したことがあるから、人生をやり直したい」


 そんな僕の言葉を聞いてから、尾形祐太郎と名乗る男は気持ち悪いくらいに不気味な笑みを浮かべた。


「はい、承りました。手始めにこれは誓約書です。こちらにサインをお願いします」


 誓約書ね。今まで碌に見てこなかったから、この文字だらけの紙は嫌になるな。

 何々、まず一つ。


「一つ、我が社のことは決して口外しない」


「どうしてですか?」

 

「我々も人を選びたいので、我が社のことは広まってほしくないのです」

 

「なるほど……」

 

 なるほどと言ってはみたものの、意味は分からなかった。


「二つ、我が社のことや私のことは一切探らない」

 

「どんな会社か探ることはできないと言うことですか?」

 

「ええそうです。探られては困りますので、探らないようにお願いします」

 

「なるほど……」


 普通の誓約書でもこんなことは書かれているのだろうか。でも、会社を探るなって何かない会社じゃないとそんなこと言わないよな。

 

「三つ、故意過失問わず我が社に損害が出た場合はその全責任を負う」

 

「つまり、何かあった時は全て僕の責任ってことですか?」

 

「ええ。つまりそう言うことです」

 

「そんなのおかしいじゃないですか! わざとじゃなくても全責任って!」

 

「ですから。私どもに不利益さえなければそれでいいのですよ」

 

 納得はいってないが、この誓約書のことが約束できないのなら、人生をやり直すことはできないと考えると勝手に口は止まった。

 

「四つ、以上三つの契約条件を破るようなことがございましたら問答無用で契約終了といたしまして、貴方はもれなく地獄行きです。了承頂けましたらサインの方をよろしくお願いします」


 条件が厳しすぎる契約、それともこのまま死ぬか。どちらも地獄のようなもの。それなら少しでもマシな方。賭けにはなるが、契約する方がマシだ。

 要は、合同会社再生屋のことを誰にも言わずに、会社や個人のことは探らずに、会社の不利益になることをしなければ晴れて生き返ることができると言うことか。

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