1 - 3 SNS ②
昨日よりは早めに居酒屋を出て、終電よりは早めに電車に乗って、終バスにも間に合ったので快適に帰宅することができた。鹿野は、泉堂ビルからは少し離れた場所で暮らしている。電車とバスの乗り継ぎがうまくいけば自宅から30分で到着することができるが、帰りは大抵乗り継ぎに失敗する。1時間以上かかることもしばしばだ。それでも引っ越しを考えないのは、自分がいつまでも不田房と一緒に、同じ仕事を続けているというと断言できないから、という面が大きい。
演出助手を辞める日。
そんな日が来るのだろうか。
来ないとは限らない。
玄関で靴を脱ぎ、洗面所で手を洗いうがいをし、それからリビングへ。なんとなく音がほしい気がしてテレビを点けて、丸テーブルを挟んでふたつある椅子のうちの片方にショルダーバッグを置き、もう片方に腰を下ろす。
SNSのIDが書かれた手紙も、宍戸に預けてしまった。宍戸は不田房にアカウントの管理を強化するよう厳しい口調で言い含めていたが、あの感じでは不田房は何の対応もしないだろう。明日。明日会ったら、稽古の前でも後でもいい、パスワードを変更させなくては。無糖の炭酸飲料を冷蔵庫から出して、立ったまま飲みながら、鹿野はそんな風に考える。
不田房のことばかり考えている。
と表現するとまるで自分が不田房に恋をしているのかのようだ、と思えておかしくなる。不田房に、恋? そんな感情、一度も、一秒たりとも抱いたことはない。不田房は不田房だ。学生時代に知り合ってから今までずっと、彼は『不田房栄治』という得体の知れない生き物で、それ以外の何かだったことは一度もない。異性、男性、恋愛対象だったことなんて、一瞬も。仮に不田房が女性だったとしても、やはり鹿野は不田房に恋をしなかっただろう。魅力的な人間ではある、確かに。だが、それとこれとは別問題だ。
自分で点けたテレビがうるさいような気がして、視線を向ける。芸人が何人も集まって、最近流行りのコミックについて「どれだけ作品を愛しているか」を競う番組を放送している──
「あ」
思わず声が出ていた。キャラクターのコスプレをしてわいわい騒ぐ芸人たち(全員男性だ)の中に知っている顔がいたのだ。
「
大学時代の同期の名前だ。今は、劇団を主催している。
「はー……テレビとか出るんだ……」
狭いリビングに無理やり置いたテーブルと椅子、それにひとり掛けのソファとテレビ台。鹿野の自宅を訪れる他人はほとんどいない。交際相手とも半年前に別れた。鹿野の恋愛は長続きしない。不田房はすぐに「今度こそ結婚式のスピーチさせてよ」と言ってくるが、結婚を考えて恋愛したことなんて一度もない。だからソファはひとり掛けで充分だし、丸テーブルを挟む二脚の椅子のうちの片方は常に物置だ。稀に不田房が座る。
炭酸飲料を手にしたままでソファに座り、じっとテレビに視線を向ける。真小田崇はそれほどまでにこの──テーマとなるコミックが好きなのか。良く知らない。そんな話をしたことはない。真小田は背が低く、痩せぎすで、レンズの分厚い眼鏡をかけていて、前髪が長くて、それで──当時はなんだか良く分からないけど雑に『オタク』に分類されていた気がする。そんな彼を見る目が変わった日の出来事を、鹿野は良く覚えている。記憶力だけは良い方だ。真小田がコントの台本を書いてきたのだ。
不田房のSNSの鍵アカに「テレビに真小田くん出てますよ」と書き込む。メッセージアプリで連絡をすると、大抵通話で返事が来てうるさいからだ。
『えっまじ』
「地上波」
『みるわ』
「なんかマンガの話してます」
と打ち終えるより先に、
『なんかはでになてるね!』
と重ねてリプライが来た。なんか派手に。確かにそうかも、と思いながら鹿野はリモコンを掴んで、液晶画面を暗転させる。
「バーン」
それから親指と人差し指で拳銃の形を作り、もうそこにはいない真小田崇に向けて発砲する。バーン。何発でも撃ってやるぜ、おまえのこと。おまえらのこと。
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