馬瓶(うまがめ)の嫁はん

野栗

馬瓶の嫁はん

 あんな、ホンマあほらしいて、話すほどの話でもないんでよ。

 ほなけんど、なにさまあんたも徳島離れて長うなっとるしな。今日はもう格別用事もないんやろ? ほならあんた、せっかく三野町までおいでたんやし、こんな話でも聞いていくか。


 徳島県立太刀野山農林高校いうたら、教師も生徒も主事さんも部活指導員も、みーんな狸、狸、狸の学校なんやけど、あの学校の狸生徒どもの仕出かす化かしやイタズラいうたら、ほんまにしょうもないもんばかりじゃ。


 そや、三野町の里の方に嫁いで来た新嫁はんはみな、一度はこんな目に遭うのやけどね。


 月に一度の婦人会の集まりから新嫁はんが帰宅する頃合いを見計らって、狐ならぬ狸の嫁入りよろしく、しぽしぽ雨を降らせるところから狸公どものイタズラが始まる。


 ああ、雨降ってきよった、と傘を差し、新嫁はんは婦人会の集まりでもらった握り飯の包みを小脇に抱えて帰り道をたどりはじめる。

 空は暮れなずみ始め、ふと行く手に目をやると、少し前の方にかいらしい傘を差した高校生位の娘があらわれた。なにとはなしにその後をついて歩みを進めると、――あれ、こんなとこに学校なんかあったかいな?


 コンクリの三階建の校舎の手前にだだっ広いグラウンド。小止みなく降る雨の中を野球部が練習に励んでいる。


 あれまあ、と傘を傾げてよくよく見ると、坊主頭もユニも雨でびしょ濡れなのに、部員たちは晴れのときと変わらぬ涼しい顔で走り回っている。

 グラウンドはあちこち水溜まりが出来ていて、足を滑らせはせんかと嫁はんが気を揉むが何のことはない、見事な足さばきで右へ左へボールを追い、軽々とキャッチするなり送球。雨で手元が狂う様子すら全くない。ランナーは守備をかいくぐって頭から滑り込む。思い切り泥水を浴びるが、蛙ならずの狸の面に水よろしく、ケロリとしている。


 ここでおかしい! と気づいてさっさと引き返せばええんやけど、まあそういうわけにはいかんわな。


 部員たちはてんでに威勢よく声出ししているが、何と言っているのかさっぱりわからない。行こうぜ行こうぜ! バッチ来い! ぐらいのことは言うてるのかいな――と思っているうちに、向こうの方から数人の部員がバケツを手に、水しぶきを上げて駆けて来る。


 部員たちは練習の手を止め、わらわら集まり車座になると、我先にバケツに手を突っ込む。次から次へと手を伸ばし、中のものを掴み出しては口に運んでむしゃむしゃ食い始める。


 いつしか雨は止み、月が煌々とあたりを照らす。

 目だけをらんらんと光らせた泥だらけの部員たちの口がくわえているのは……カエルにネズミ、蛇にヤモリにミミズに得体の知れぬ虫。

 喉が乾いた……狸公は人の姿に化けたまま、水溜まりに顔を突っ込んでペチャペチャ泥水をすする。

 餓鬼草紙を彷彿とさせるその光景に、嫁はん、ひいい! と傘を放り出して腰を抜かす。握り飯の包みは行方不明(いつの間にか狸の腹の中)、というところまでが定番だ。


 ちなみにこれ、野球部の他にサッカー部やラグビー部、じっとり濡れた髪が顔の回りに貼りつく鬼気迫るオマケつきの女子運動部もようやるイタズラだ。雨で盛大にびしょ濡れになっても、そこは野生動物。いい頃合いで狸に戻って身体をひとふるいさせ、毛についた雨水をぶるぶるっと飛ばしてしまば、何の問題もないというわけだ。


 たちの悪い狸どもに当たると、気がついたら狸の糞溜まりにべちゃっと尻餅ついていた、というオチになることもあるんでよ。


    ***


 この秋、里に太刀野山の馬瓶(うまがめ)というところから若い娘が嫁いできた。馬瓶の嫁はん、小さい頃からずっと太刀野山――ヤマの狸の悪さぶりはよおく知っている。


 婦人会の集まりが近づくと、馬瓶の嫁はんは里の女たちに、イタズラの意趣返しを持ちかけた。この間ずっと狸に一杯食わされてきた女たちは、もうみんなノリノリだ。大阪から来た嫁はんなどは、早速友達に電話しまくっている。


 婦人会の日がやって来た。


 馬瓶の嫁はんは、狸どもが雨を降らせ始めるのを見計らうと真っ赤な傘を差し、握り飯の包みを小脇に抱えて道を歩き始めた。かいらしい傘差してお約束通り姿を現した女子高生についていく。その後を、黒いレインコートの女たちがそーっと忍び足で続く。


 折から十月下旬の冷たい秋雨にも関わらず、野球部の化狸どもは元気一杯グラウンドを駆け回っている。練習が一段落して、奴らが車座になるのを今か今かと待つ女たち。


 近所の田畑を踏み荒らすだけ踏み荒らして、バケツをカエルやらトカゲやらで一杯にした仲間が現れるや、化狸どもが我も我もと集まる集まる。


 いただきまーす! とカエルを口に入れようとするタイミングで、馬瓶の嫁はんが、ばっ! と傘を放り上げた。それを合図に、女たちがいっせいに飛び出した。


「トリック・オア・トリート!」


 女たちは口々に叫び、レインコートを脱ぎ捨てる。

 食紅で口の周りをこってり染めた大阪の嫁はんのバンパイヤを先頭に、ジャックオーランタン、ミイラ男、魔女に死神に骸骨……

 月明かりに照らし出されたコスプレを目にした狸どもは、びっくり仰天。

 カエルもトカゲも放り出し、元の四つ足の姿に戻ると、女たちの笑い声をBGMに、キャンキャン悲鳴を上げてほうほうの体で山に逃げ込んだとさ。

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