第4話

 なんだか冷静になったら怖くなってきましたわ。

 結婚、などという人生の一大イベントをこんなにも軽々しく決めるのはまずかったような気がしますわ。いえ、でもあの時はそうするしかないと思いました。一応根拠もあります。

 この際、自分の貞操云々はおいておきましょう。貴族の娘たるもの、いつも覚悟しております。そもそも両親が顔を会わせる度にその手の話を振って来ておりましたので色々と諦めがあります。自分で決断できただけ、マシともいえましょう。


 他にも悪くないことはあります。迷わず嫁ぐ決断をしたことで、嫁入り道具の準備ができました。ローザンカ様の家が回収した実家の資産の一部を持ち込めております。


 宝石に服をいくつかと、本を数冊。その他、雑多な品々。元を考えると大した量ではありません。しかし、雑多な品々の中には王国貴族間で使う封筒があります。しかも、ローザンカ様の実家、スィリカ家の紋章入り。

 これは彼女なりの餞別です。王国内の郵便網に乗れば、確実に彼女の実家に届きます。

 ……多分、私が結婚する可能性を考えてなくて、慌てて用意した救済措置ですのね。厳しい家に産まれた割に、甘いところがあるのが彼女の魅力ですわ。

 


 さて、一応、相手のプロフィールも判明しております。

 ルオン・セイクリフト。ルフォアにおいては由緒正しい家の六男坊。職業は農家。結構大きな農場を経営しているとか。頂いた資料によると、穏やかな性格、とありますわ。……どれだけ信用できるやら。


 今はその「穏やか」というどこぞの誰かの評価を当てにするとしましょう。獣人だからといって獣のように襲いかかってくる人々ではないはずですので。


 国境を越えて五日。馬車の進む道は固い地面となり、乗り心地は最悪。周囲の景色はのどかな農村。それがひたすら続きます。この国、都市といえるのは王都のみらしいですわ。

 ヨルムンドの森の東端に接した村が、我が夫ルオンのいる場所。彼の家の領地です。ちなみに、王都からほど近い田舎で、悪くない場所の模様ですわ。


 ガタガタと揺れる馬車にようやく慣れた頃、私はついにその地に到着致しました。


「う……さすがに体がガタガタですわ……」

 

 爽やかに晴れ渡る空の下、私はよろよろと馬車を降りました。全身が悲鳴をあげていますわ。しばらく眠りたいですの。


「我が決断ながら、凄い場所に嫁ぎましたわね」


 体の痛みを我慢しながら周囲を眺めます。目の前には木造の素朴な建物。なんとか、お屋敷とわかる規模のもので、装飾も豪華さもない住居。

 そして周囲には畑。それはもう広大な。畑の中に村がある、そんな地域ですわ。少し離れた場所を流れる川から、水が引かれた耕作地は、緑豊かな作物を育んでおります。

 この辺りはルフォア国の一大食料生産地帯。もっと西にいくとヨルムンドの森があるとのこと。治安の面では安心できそうですわね。


「おお、よくぞ来てくれた我が妻……ルルシア殿!」


 広大な畑を眺めていたら、一画から土煙が上がり、男性数名が駆け寄って参りました。

 その先頭をひた走っていた男性が、目の前に立つなり、そう言い放ったのです。


「あなたが、ルオン様ですね」


 灰色の髪を目が隠れそうなくらい伸ばした、大柄な男性。物凄い筋肉質ではないけれど、日々の農作業で引き締まった体つき。見上げるような体格なので、恐怖心をまるで覚えなかったのは、優しげな声音と目元のせいでしょうか。あるいは、頭の上にぴょこんと突き出ている、可愛らしい猫のような耳のせいかもしれません。

 着ている服装は農夫そのもの。泥まみれの長靴に使い込まれた、やはり泥まみれの作業着。作業中に急いで来たということは、これが彼のいつもの姿ということでしょう。

 

 不思議と、嫌な気持ちは湧きませんですわね。

 学院で必死に着飾って女性の気を引こうとする男性よりも、好感が持てます。気を許すのは圧倒的に早いですが、いかにも害の無さそうな立ち振る舞いがそう思わせるのですわ。

 これを計算でやっているならば、相当なくせ者ですけれど。


「いかにも。ルオン・セイクリフトだ。この辺りの農地を任されている。その……なんだ……この度は大変なことに……」


 心底気の毒そうな目で私を見ていますわ。事情を知っているのは察しましたが、別に同情されるようなことはありません。


「気になさらないでくださいまし。あれは両親の自業自得ですわ。むしろ、私のような者を拾ってくださったことに感謝しなくては」

「感謝なんてとんでもない! むしろ、僕の方こそ……いや、そんなことよりうちを案内しよう。長旅で疲れているだろうし。立ち話はやめよう」


 それは非常に有り難い申し出でした。たしかに、体は長旅でガタガタですので。


「では、宜しくお願い致します。できれば、末永く。ルオン様」

「……っ。もちろんだ、妻殿」


 こうして、私達は初対面の挨拶を交わし、共に暮らす生活に入ったのでした。

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