95. 覚えられていました

 王都の私室に初めて入ってから少しして、いつもの時間に夕食に向かおうとした時だった。


「レイラ、戻っていたのか。

 おかえり」

「グレン様もお帰りなさい」


 隣の部屋からタイミングよく出てきたグレン様と目が合った。

 考えていることは同じだったみたい。


「レイラの方は何かあったか?」

「倒れそうになっていたアリオト侯爵様に治癒魔法をかけたら、毛根が復活しましたの。

 治癒魔法にこんな効果があるとは思わなかったので、驚きましたわ」

「そうか……レイラの治癒魔法ならハゲも治るのか。

 将来、頼りにしている」


 グレン様の頭を見ていても禿げそうな気配はしないのだけど、本人は心配している様子。

 だから、私は頷いてから食堂の方に足を向けようとした。


「そういえば、食堂はどこにあるのでしょう……?」

「ああ、まだ教えていなかったな。こっちだ」


 自然な所作で手を取られたと思ったら、彼は私が歩きやすい速さで足を踏み出していた。

 断罪の後、私にお飾りを迫ったグレン様とは思えない所作は慣れていたはずなのに、場所が変わるだけで新鮮な感じになるなんて思わなかったわ。


 でも、引っ張られているだけなのは嫌だから、グレン様の隣に並ぶ私。


「レイラ、行きすぎだ。こっちが正解だ」

「ありがとうございます」


 それからは少し雑談を挟みながら歩いて、目的の扉をくぐった。




 ゆっくりと開けられる扉の先に見えたのは、領地のお屋敷に慣れているはずの私の目でも、すごく煌びやかに見えるものだった。


 バランスよく配置された高級そうな調度品に、煌めく六つのシャンデリア。

 天井が高く取られていて、まるでここがパーティー会場のような雰囲気になっている。


「あの、パーティー会場と間違えていませんか?」

「ここが食堂で合っている。パーティー用の部屋もあるから、後で案内しよう」

「そ、そうでしたのね……」


 天井も壁も柱も、どれも芸術的な作りになっているから、万が一があって汚してしまわないか心配になってしまう。

 床のカーペットだって、一目見ただけで分かる高級品。

 アルタイス家にいる頃の私なら「土足で踏むなんてもったいない!」と思っていたに違いない。


 今でももったいないと思っているけれど、靴を脱ぐのは寝る時くらいなものだから、間違って口にした日には頭に治癒魔法をかけられると思う。


 だから、これ以上は気にしないようにした。




 いつもと変わらない雰囲気の夕食を終えた私は、手短に湯浴みを済ませてから書庫に入ることにした。


「奥様は本当に魔法がお好きなのですね」

「ええ。ちょっとしたことでも人を幸せに出来るのだから、楽しくて仕方ないわ」


 カチーナとそんな言葉を交わしたり、他の侍女達から埃の心配をされたり、色々あったけれど……。

 流石は公爵家の書庫。まだ知らなかった念話の魔導具の作り方を見つける事が出来た。


 これがあれば……対になる通信の魔道具を持ち歩かずに済むわ。

 まだ夜も遅くないから、三つ作ってみる事に決めた。




   ◇




 あの後、いつも通りに眠った私は無事に朝を迎えた。

 今日は朝からお水を配ることになっていて、私にも持ち場が割り当てられている。


「グレン様、またお昼に」

「ああ。気をつけて」


 ラインハルト陛下の政治の手助けに呼ばれているグレン様は、私が夜のうちに完成させた念話の魔導具を首からかけて馬に跨った。


 昨日の夜に作った念話の魔導具は、話したい相手のことを念じながら魔力を通すと会話ができるというもの。

 そうすると相手の魔導具が震えることで知らせてくれるから、相手も魔力を通してくれたら無事に話せるようになるという仕組みだ。


「これがあれば、困っていても気軽に相談出来ますね!」

「ええ、そうね。他の使用人さん達の分も作らなくちゃ」

「ありがとうございます。でも、無理はしないでください」


 そんな言葉を交わしながら昨日のうちに言われていた広場に入る私。

 まだ人はそれほど集まっていないけれど、それでも五人ほど桶を抱えて待っている姿が見えた。


「これから水をお配りしますので、こちらに並んでください!」


 拡声の魔法でそう伝えると、一気に人が集まり始めた。

 誰かが近くに住んでいる人達に私が来たことを伝えているみたい。


 水を作るだけなら負担にならないから、差し出された桶に手早く注いで、列にはならないようにしていたのだけど……。


『レイラ様、あれはどうしますか?』

『まだ王都に居たのね……。他の人達と同じだけ渡すわ』


 馬車にたくさんの桶を載せたパメラ様が近付いてくる様子が見えて、護衛の人達が明らかに嫌そうな顔をした。

 私は表情に出さないけれど、冤罪を着せてきたパメラ様を見て良い気分になるわけが無い。


 流石にパメラ様も私のことを覚えているようで、目が合うとこんなことを言ってきた。

 忘れてくれていたら、どれだけ良かったかしら……。


「あら、まだ生きていましたのね。残念ですわ」


 悪びれる様子なんて欠片も見せずに、ただ私を睨みながら淡々と放たれる言葉に、おぞましさを感じてしまった。

 もしも戦うことになっても今の私なら容易に身を守れると思うけれど、聖女の身分を失っても今みたいな態度を取れることに驚いた。


 公爵夫人と公爵令嬢なら、前者の方が立場が高いことくらい、貴族の中で知らない人はいない。

 それなのに、私に嘲笑を向ける胆力には呆れを通り越して感心してしまう。


「思い通りにならなくて残念でしたわね? 聖女様」


 もう聖女ではないパメラ様に嫌味のつもりで言ったのだけど、彼女は嬉しそうに頬を緩ませ、次の瞬間にはこんな声が聞こえてきた。

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