73. 赤点のようです

「違います。レイラが自分から所作を身に着けたいと」

「本当かしら? 念のため、本人に聞いてからにするわ」


 言い争いが始まりそうな声が聞こえてきたから、扉をノックして許可を得てから中に入る。


「お義母様。今後のことを考えて、公爵夫人として相応しい所作を身に着けようと考えていますの。

 協力して頂けないでしょうか?」

「ええ、もちろん良いわよ。可愛い娘のお願いだもの」


 すぐに私の口からもお願いすると、お義母様は笑顔で快諾してくれた。

 グレン様よりも私の方が信頼されているのかしら?


 一応、グレン様はお義母様にとって血の繋がった息子なのよね……?


「ありがとうございます」

「でも、それなら……。グレンが今のままだと見劣りするから、グレンも一緒に練習した方が良いわ。

 やるわよね?」

「え? 俺ですか?」

「やらないの?」

「……やります」


 ええ、間違いなく血の繋がった親子ね。

 母は強い。間違いないわ。






 翌朝。

 私はドレッサーの前で声にならない悲鳴を上げることになった。


「こんなに絞めたら窒息死してしまうわ……!」


 今はカチーナにコルセットをぎゅーっと締められている最中なのだけど、普段からコルセットを身に着けない私の身体は悲鳴を上げていた。

 胸は締まっていないけれど、息がしにくいのよね……。


「慣れでございますよ、奥様」

「慣れるものかしら!?」


 笑顔を向けられているけれど、手の力が緩まないのはどうしてかしら?


 けれど、カチーナが言っていた通り、最初よりは楽になった気がする。

 そもそもお屋敷の中でコルセットを着ける必要は無いと思うのだけど……。


「身体を美しく見せるのも所作の内ですから、我慢してくださいね」

「分かっているわ……」


 自分で言い出したことだから、今は頑張るのよ私……!


「本当に苦しかったら言ってくださいね?」

「それは大丈夫よ」

「では、もう少し締めますね」

「ぐえっ……」


 笑顔でグッと締め付けられて、出てはいけない声が出てしまった。

 でも、そのまま放置されていたら苦しさも和らいでいく。


「少し緩めますね」

「え? いいの?」

「ええ。ここまで締める必要はありませんから。

 一度きつく締めておけば、後が楽になるんです」

「そうなのね。確かに、あまり締め付けを感じないわ」


 コルセットはこれで終わりみたいだから、今度はドレスを着ていく。

 ええ、ええ。ドレスですよ。


 普段は使用人さんの服を着ているから、違和感が凄い。

 素足を見せることははしたないという常識があるから、丈は床につくくらいなのだけど、うっかり踏まれてしまわないか今更ながら心配になってしまう。


 伯爵令嬢だった頃もドレスを着るのはパーティーなどに出る時だけだったから、あまり慣れていないのよね……。


 足音を立てないように、スカートを派手に揺らさないように気を配りながら少し歩いてみる。

 普段の歩き方をしていたら公爵夫人らしくないから歩幅も小さくする。


「サイズは大丈夫そうですね」

「ええ、丁度良いわ」


 それから髪を整えてもらって、軽くメイクをしてから朝食に向かう。

 いつもよりも早く起きたから、時間はいつも通りだ。


「レイラ、おはよう。すごく綺麗だ」

「おはようございます、グレン様。褒めて頂きありがとうございます」


 部屋の前で待っていたグレン様に挨拶を返して、並んで食堂に足を向ける。

 このお屋敷は廊下も広いから、五人くらいなら横に並んでいても肩をぶつけずに歩けるのよね。


 襲撃に備えて狭くなっている場所もあるけれど。



 ちなみに、所作の練習はもう始まっているのよね。

 練習期間はとりあえず一週間。魔物の襲撃なんかがあった時は中断することになっているけれど、今は何も起きていないから……少しでも油断すると後ろから声が飛んでくる。


「奥様、視線が下がってます。足元ではなく、前を見てください!」

「でも、裾を踏んでしまいそうで……」

「踏んでも構いません。練習ですから!」


 いつもは優しいカチーナがちょっとだけ怖い。

 でも、これも私のためだから、受け入れて視線を上げる。


 足元が覚束ないけれど、転んでも良いのよね……。


「旦那様、歩くのが早すぎます! 奥様に合わせて下さい。

 あと背筋! 奥様は真っすぐなのに、旦那様が曲がっていては示しがつきませんよ!」

「あ、ああ」


 アンナに指摘されて、歩調を緩めるグレン様。

 昨日、お義母様に所作を身に着けたいとお願いしたら、グレン様も一緒に練習することになったのよね。


 グレン様は公爵令息としては完璧だったけれど、公爵様としてはまだまだというのがお義母様の評価だ。

 私も伯爵令嬢としては完璧だったそうだけど、公爵夫人としては赤点らしい。


 ちなみに赤点というのは、学院の成績で落第の基準になる点よりも低い点数を指している。

 つまり今の私は奥様失格というわけ。


「レイラ、辛くはないか?」

「大丈夫ですわ。早くグレン様の隣に立てるようになりたいので」

「そうか。なら俺も頑張らないとな」


 王都の社交界に出るつもりは無いけれど、私達の味方をしてくれる家の方々とは親交を深めたいのよね。

 それに今の国王陛下が失脚すれば、私の立場も良くなるはずだから、社交界に出る機会も増えるはずだわ。


 王妃派が新国王になれば身を狙われることも無くなるみたいだから、きっと逃げられない。

 それに今は友人とも会えていないから、そろそろ会いたいのよね……。


「グレン、レイラちゃん。おはよう」

「お義母様、お義父様。おはようございます」

「おはようございます、父上、母上」


 食堂に入ると、先に来ていた義両親から声をかけられたから、挨拶を返す私。

 昨日までは別棟で暮らしていたのだけど、私達の練習中は本棟にいらっしゃるらしい。


 だから食事もしばらくの間は使用人さん達とは別々になる。

 寂しいけれど、今は我慢ね。

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