捨陸 別れの時
光汰として、現代日本で三十年生きた記憶があるとはいえ、コーネリアスは九歳。
過酷な生を強いられてきたバドもまだ十歳である。
だが、秘密の共有が互いを意識するのをさらに加速させたと言っても過言ではない。
コーネリアスは普段、隠し通しているバドの優しさを知り、さらに惹かれていく。
いつか歩む道を共に歩んでいけたらと密かに望んだ。
バドもコーネリアスの真っ直ぐで飾らない人柄と真面目過ぎて、時に損をする性分に惹かれた。
この不器用な人を支えられるのは自分しかいないのではないかと考えた。
出会うべくして、出会った二人は奇妙な邂逅が嘘のようにその仲を深めていった。
シニストラとバドは一時的にストンパディ村に逗留していたに過ぎない。
そして、別れの日は訪れる。
シニストラの傷は既に癒えている。
懸念されていたジャクソンとの棒術の操練もひと段落が付いた。
物事に一心に打ち込む度を超えた真面目過ぎる性格は、ストンパディ家に生まれた者の宿命と言ってもいいものだ。
ジャクソンだけではなく、彼の弟や妹にもその傾向が表れていた。
飲み込みの早さも思った以上だった。
二人が村に逗留してから、既に一月が経過した。
まだ一ヶ月されど一ヶ月である。
長い付き合いではないと言え、ストンパディ一家だけではなく、村人が信用するに足る人間であると見抜けないシニストラではない。
彼は「流浪の騎士に過ぎない」と言葉少なに己を紹介するに留めた。
その紹介は嘘を言っている訳ではなかったが、シニストラの全てを言い表すにはいささか言葉が足りない。
確かに流浪していることも事実で騎士であることも事実だ。
だが決して、口に出せない事情を胸に秘めていた。
トマスはそう出来ない事情があるのだろうと察し、妻ゾーイにも言い含めてあった。
シニストラはトマスの心遣いに少なからぬ感謝の気持ちを表そうとジャクソンの稽古に付き合っていたのである。
ほうほうと夜にしか、鳴かない鳥の声が辺りに響く。
まだ、日が昇るには少々の時を必要とする頃合いである。
灯りが無ければ、外歩きも容易ではない中、大きな影と小さな影がストンパディの村から、静かに立ち去ろうとしていた。
シニストラは誰も気が付かない時間帯にひっそりと旅立った方が皆の迷惑になるまいと考えた。
彼らは何ら、法に触れる行為はしていないものの追われる身の上だった。
これ以上、長居をすることで親切な村人に禍が及ばないようにとの考えだった。
既にトマスにはその旨を伝えてあり、了承も得ていた。
「本当にいいのか?」
「……うん。大丈夫。約束したから」
「そうか」
バドの声にいつもの元気で快活な一面は見えなかったが、思ったよりもしっかりとした受け答えにシニストラは内心、胸をなでおろした。
こう見えてシニストラにも妻子がいる。
コーネリアスやバドと同じくらいの年齢の息子がいるだけに彼らと息子の姿を重ね合わせて、見ていたのだ。
まだ、子供である。
友との別れがどれほど辛いことかと同情の気持ちが強かった。
だが、バドは涙を見せることもなく、気丈だった。
これならば、不要に心配することもあるまいとシニストラは安心した。
バドがなぜ、それほどに己を保っていられたのか。
彼女は昨晩、コーネリアスと密かに別れの挨拶を済ませていた。
「明日、出るんだって」と言葉少なに打ち明けたバドに対し、コーネリアスも「そっか」と素っ気なく応じる。
暫し無言が続き、沈黙が二人の間を支配する。
「あたしのこと忘れないでね」
「忘れるものか」
「忘れたら、許さないから。約束だよ」とバドが体を寄せ、二人の唇が触れ合う程度に軽く、接した。
「絶対に忘れない」とコーネリアスは視線を逸らさずにそう宣言すると固く、心に誓った。
この先、何年生きるのか分からなくてもこの思いは胸に秘めておこうと……。
バドもまた、その思いを胸に秘め、二人は静かな別れを済ませたのだ。
二人の旅人が村を離れ、暫くしてからのことだった。
小さな子供を連れた騎士を名乗る大柄な男が来なかったかと尋ねまわる怪しげな男達が現れたが、ストンパディ村の者は誰一人、シニストラとバドのことを口外しなかった。
コーネリアスが初恋を迎えたこの年。
彼の運命の歯車を大きく動かしかねない重要な人物が誕生している。
エンディアのノエル王の妹イザベルとネーエブフトのナタン王の間に生まれた一人目の娘である。
その名はツェツィーリア。
三姉妹の長女として、歴史に大きく名を残すことになる……。
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