うっかり婚姻しちゃった吸血鬼は、何があろうと物語を求める
黒本聖南
序章
あなたはだあれ?
「お兄様と兄さんと私がいて、そしてスピカがいたの」
突然招かれたお茶会、スピカさんが入れてくださった紅茶を一口飲んでから、彼女は語り始める。
「スピカはずっと囚われて、涙を流すことを強要されてきた。それがスピカにとって幸せなことで、時には酷いことをしてでも泣かせないといけないのだと教えられてきた」
ちらりとスピカさんに目を向ければ、身動ぎ一つすることなく、無表情で彼女の横に控えている。
私が聞いていて、いや、スピカさんに聞かせていて問題ないのかと思うけれど、ただの招待客に話を遮る権利はない。
視線を彼女に向ければ、にっこりと可愛らしい笑みを浮かべ、続きを口にした。
「彼女は大切な『シェフィールド』。囲われることを良しとし、自分からそうされることを私達魔法使いに望んだ──『バッキンガムの子供達』で最弱の吸血鬼」
シェフィールド、バッキンガム。
それらの言葉を耳にしてすぐ肩が跳ね上がり、カップを持つ手が音を立てて震えたことに、品がないながらも舌打ちをしたくなった。
些細なことで反応しない。それが私の生に求められることなのに。
彼女が私の反応について何か言ってくることはない。思い出話を語るのに集中してくれているから。
「それでもね、そういうの、良くないんじゃないかって思ったの。おじ様達に隠れてこっそりお喋りする時、スピカはきちんと自分の意思を持ってお返事してくれたもの。私の友達は弱くなんかない、とっても強い吸血鬼なの。だからある時、私は訊いたの。あなたはずっとここにいたいのかって」
「……その答えは」
「ノーだった。だからスピカはここにいるの。私も自由にお出掛けしたかったからね」
──それが一年前だったかしら。
茶会の場所はとある国の、とある安宿の一室。
彼女とスピカさんが泊まるこの場所に、流れで私は招かれた。……匿ってもらったが、正しいかもしれない。
つい先刻、路地裏で捕まりそうになった所を助けてもらった流れで、だったから。
原因は私の髪。
腰まであるこの長い銀髪は、見ようによっては白髪にも見える。夜道だったから余計にそうだったはず。
スピカさんと──バッキンガムの子供達の一種、シェフィールドの吸血鬼たるスピカさんとよく似た髪色をしているせいで、その種類と間違えられた。
よくあることだ。いつもなら抵抗するものの、長い旅路を終えたばかりで疲労が溜まっており、とてもそんな余力はなく、たまには捕まるのもいいかとされるがままになっていたら、「その子は私のシェフィールドよ」と彼女が声を掛けてくれて……。
可憐な見た目の小柄なお嬢さん。
身に纏う黒い衣服は動きやすそうでありながら少し傷んで色褪せてもいるけれど、一つに束ねた肩までの灰色の髪はよく手入れしているのか艶がある。顔立ちに幼さはあれど、時折見せる冷たさに、同性ながら心臓が小さく跳ねてしまう。
そんな彼女が、私を助けてくれた。
その細い腕で、くるんくるんと、私を捕まえようとしてきた大男達を転がしていき、彼らが起き上がるその前に、この宿まで逃げてきたと。
見掛けによらず武術の心得がある、というわけではないのは、彼女の丸くて大きな目を見れば分かる。
大男達を転がしていた時、彼女の双眸は淡い赤色に染まっていた。その直前まで綺麗な青色をしていたのに。
──彼女は魔法使い。自分でもそう語っていた。
特別な吸血鬼たるバッキンガムの子供達の有力な後援者にして、警戒すべき捕食者の一人。
助けてもらったにも関わらず、緊張が解けない原因でもあった。
「スピカが私のものになると言ってくれたから、私の好きにしていいと思って、一緒に世界へ飛び出したのだけど……最近、思うのよね」
「何を、ですか」
「そもそもスピカはおじ様のもので、誰にも告げずに連れてきたから、お家は大変なことになっていたのではって」
私が聞いていて本当に大丈夫なのかと、そんな思いが強くなる。
「スピカがいなくなって家が廃れたという話は聞いたことがないから大丈夫だと思うけれど、やっぱり気になるのよね。お兄様と兄さんはご無事に過ごしていらっしゃるのか、とか」
「……」
魔法使いの家から吸血鬼がいなくなる。
それがとんでもないことだというのは、私にも分かること。
自力では魔力を生成できない魔法使いが魔法を使う為には──吸血鬼の涙が不可欠なのだから。
「追っ手など来なかったのですか?」
「来たけれど蹴散らしたわ」
それが何か? と優雅に紅茶を飲む彼女。
「……お強いのですね」
それで一年も変わらぬ生活を送っているのだ、魔法の扱いにかなり長けている。
ここでもしも彼女の機嫌を損ねてしまえば、どんな目に遭わされるか分からない。
魔法の感知なんて才能は持ち合わせていないから、逃げられないよう既に何かされている可能性もある。
「強いわよ、その自信はある。でもね、同時に臆病な小娘でもあるの」
「自分で言うの、アシュリー」
「言うわよスピカ」
そこで初めて、彼女の名前を知った。
嬉しそうにスピカさんと見つめ合って、すぐに視線を私に戻す。
いかにも自信に満ちた笑顔だ。
「あのね、シェフィールドのお嬢さん」
私の目をしっかりと見て、そう語り掛けてくる。
そういえば名乗るタイミングがなかった、お互いに。あっても困るけれど。
「助けてあげたお礼として、お兄様と兄さんが元気にしているか、見に行ってほしいの」
「……見に行くだけ、ですか?」
「代わりの吸血鬼がいなければ、そのまま後釜に座るのもいいんじゃない?」
「……」
今後しばらく誰かに捕まらない為には、誰かに囲われたらいい。そして嫌になれば逃げたらいい。休めばそれができるだけの体力も戻るだろうし。
その方がきっと、楽ではあるけれど……。
──面白い物語を探しなさい。飽きる暇もないほど日々、面白いものは作られていくのだから。
そう、約束したから。
安易にそれは選べない。
「ど、どうか見に行くだけで、お許しください」
「あら、貴女も珍しいシェフィールドなのね。まぁ、お兄様と兄さんはさっきの輩みたいな人達ではないから、そこは安心してほしいけれど……それ以外の魔法使いや、他にも狙っている者達には気を付けてちょうだい」
「……は、い」
生きるということは面倒ばかり。
私の場合は、更に気を付けないといけない。
早急に済ませて、また旅を続けないと。
──ふいに、小さな掌が私の前に差し出された。
「交渉成立ね。私はアシュリー。アシュリー・シラー。貴女は?」
「ブランカ・ホバート……あぁ!」
フルネームで名乗るつもりはなかったのに、澱みなくそう口にしていた。
それだけはしてはいけないと、生き方を教えてくれた人から何度も言われていたのに。
「……ホバート? 貴女シェフィールドじゃないの? スピカと変わらず髪が白くて──血みたいに赤い目をしているのに」
「いやアシュリー、あの髪色は銀では?」
「バッキンガムの子供達に銀髪の吸血鬼なんていたかしら?」
「そもそも、ホバートなんていない」
アシュリーさんは私を訝しげに見つめた後で、横にいるスピカさんへと視線を向ける。
「なら、そもそも彼女は吸血鬼ではない?」
「匂いは同胞のもの、吸血鬼で間違いない」
「……」
ゆっくりと、視線が私に戻る。
気付けば彼女は、椅子から腰を上げていた。
もうその顔に、笑みはない。
「ミス・ホバート、貴女いったい何者なの?」
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