3-3
「さて、今日は閉めるか」
室谷が体を伸ばしながら気だるそうに言った。
その声に反応して、結茉が椅子を引いて立ち上がる。
「じゃあ、私は上がっちゃうね」
結茉はエプロンを外しながら、軽い調子で片手を振る。
その明るい声が店内の静けさを少しだけ和らげた。
「おつかれ」
聡太が短く返事をすると、結茉は「店長の相手よろしくね」と笑いながら控室に向かった。いつも通りの足取りだが、その背中にはどこか疲れが滲んでいるようにも見えた。
結茉が去り、店内が再び静寂を取り戻す。彼女が扉を開ける背中を見届けたあと、聡太は短く息を吐いた。
「室谷さん」
聡太が口を開くと、室谷はコップを口に持っていく手を止め、振り返った。
「どうした?」
その声はいつもと変わらない調子だが、聡太は少しだけ間を取ってから先ほどから気になっていたことを問いかけた。
「結茉のことなんですけど……さっき、友達役に選ばなかった理由。本当にあれだけなんですか?」
室谷は一瞬だけ目を細めた。
軽い驚きの表情を見せたが、それ以上の感情は表に出さない。
「やっぱりお前は鋭いな……」
そう言うと、室谷はカウンターの椅子に深く腰を下ろした。静かに息を吐き、真剣な表情で口を開いた。
室谷は手を組み、視線を紫乃が座っていたソファの方へ向ける。
「今回の件、友達役になった方には最終日に薬を渡してもらう予定だったんだ」
その言葉に、聡太は眉をひそめた。
「薬を?」
「そうだ。今回の紫乃さんのように、特定の役割を持つ相手を希望するケースでは、渡すタイミングを依頼人の希望に合わせることが多い。最終日に渡すことで、最後の1週間を完全に楽しんでもらえるんだ」
室谷の声には、いつもの軽い調子はなく、慎重な響きが混じっていた。
「それは分かりましたけど……。それと結茉を選ばないことに何の関係が?」
「結茉は……あいつは、死に対して普通の人間とは違う感覚がある。恐怖心がほとんどない。むしろ、憧れに近いものを持ってるんだ」
その言葉に、聡太は目を見開いた。
「……憧れ、ですか?」
「あぁ。あいつは死というものに強く惹かれてる。だから、毒薬を渡す役を任せるのは避けたかった。万が一のことを考えると、どうしてもな」
万が一、というのはきっと結茉が使ってしまうかのうせいがあるということだろう。
室谷の声には、結茉への信頼とそれ以上に強い葛藤が滲んでいる。
「結茉に……何かあったんですか?」
恐る恐る尋ねると、室谷は短く息を吸った後、視線をカウンターに落とした。
氷の入ったグラスを回し、カラカラと音を立てる。
「それは教えられない」
短い言葉だったが、その中には明確な拒絶が含まれていた。
「でも、これだけは分かってほしい。俺は結茉を信頼してるし、悪い奴じゃない。ただ、あいつは自分自身を完全にコントロールしきれていない部分がある。それだけだ」
室谷はそう言いながら、目を閉じるように軽く頭を下げた。その言葉には迷いがなく、結茉への信頼と配慮が感じられた。
聡太は目を伏せ、室谷の言葉を頭の中で反芻した。
結茉の普段の振る舞いを思い返してみても、彼女の中にどこか影があることは感じていた。
きっとその違和と、室谷が言っている『死に対する憧れ』は同じ理由なのだろう。
「分かりました」
短く答えたが、自分でも分かるほどその声には覇気がなかった。
それは明日からの1週間が億劫だから、という訳ではなく、結茉という存在が自分の中でますます気になるものになって意識がそちらに持っていかれたからだ。
「きっと結茉のことは、いつか知ることになる日が来る。でも今はまだその時じゃない」
「大丈夫です。室谷さんが言う『その時』が来たら必ず教えてくださいね」
「あぁ、約束するよ。……明日は、慣れない仕事になるだろうけど、紫乃さんのこと頼んだぞ」
室谷はそう締めくくった。その声には、聡太への信頼と、彼を選ばざるを得ないという苦渋の思いが込められていた。
「……はい。できるだけのことはやります」
聡太は深く息を吐き、短く頷く。
「ありがとな」
室谷の静かな声が店内に響いた。
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