4月17日、飛行訓練

 訓練開始から30分。1メートルすら上がらない天音を見て、夏希は気まずそうに言った。


「なんというか……あれか? 高所恐怖症か?」

「いえ……」


 気を遣ってもらったが別にそういう訳ではないので首を振る。高いところが苦手だったとしても、30センチ浮くのが怖いということはないだろう。床にはマットが敷かれているし、いざとなったら夏希が助けてくれるのだ。特に怖いことはない。


 だが、天音の気持ちとは裏腹に、その体はさほど浮かなかった。飛行ですらない。最早浮遊である。


「私、才能ないですね……」

「諦めんのは早すぎんだろ」


 夏希は天井につくほど高く飛んでいたが、天音のもとに下りてきた。趣味が空を飛びながらの散歩というだけあって、非常に安定した飛び方をしている。


「ま、そう言うと思って今回は助っ人を呼んだ」

「助っ人ですか?」

「そろそろ来るはずだ」


 ややして、トレーニングルームの扉が勢いよく開かれた。扉が壊れないか心配になる。

 現れたのは葵だった。扉の開け方でなんとなくわかってはいた。


「お待たせしましたー! いやー、なんとか間に合ったッスね!」

「はいこちら、魔導航空免許試験に3回落ちた魔導解読師、北山葵さんだ」

「ご紹介に預かりました、試験に落ちすぎて夏希に泣かれかけた北山葵ことワサビッス!」


 そんなに元気に言うことじゃない。天音は心の中でひっそりと呟いた。昨日の恭平の話は本当だったのか。


「あ、あまねん昇級おめでとッス」

「あ、ああ、ありがとうございます……」

「ってなワケで。これは自分たちからの昇級祝いッス」


 葵は何やら細長い包みを手にしていた。プレゼントのように綺麗な紙に包まれていて、天音の魔力の色とよく似た青紫のリボンがかけられている。


「発案は夏希、デザインは透、他の皆も色んな本とか映画とかアニメとか見て考えてくれたッスよ。あと、零は壊れにくくなるように、強化の術かけてくれたッス」

「ま、開けてみろよ。葵作成、お前専用魔導補助具だ」

「どーぞどーぞ!」


 そっとリボンを解く。初めてプレゼントを貰った子どものように、天音の心はワクワクしていた。何が入っているのだろう。破かないように丁寧に包装紙を剝がしていく。


「キレイに開けるッスねー。自分破いちゃうタイプッス」

「あたしは丁寧に開けたいけど失敗してその後どうでもよくなるタイプだな」

「大事なのは中身ッスよ、気にしない気にしない」


 天音の様子を見ながら、2人はプレゼントの開け方について話していた。なんとなく、葵が包装紙を破いてしまうのは想像できる。


 天音はと言うと、最後まで破くことなく綺麗に開けることに成功した。中から現れたものを見て、目を見開く。


「箒……?」


 掃除用具の一種。または―魔女が空を飛ぶときに使う道具。


「魔導航空免許の試験では、魔導補助具の使用が認められてるッス。大抵は靴とかにバランスが取れるような術をかけておくんスけど、それじゃつまんないって夏希が言い出しまして。初めて作ったんで、直してほしいトコとかあったら言って欲しいッス」

「ま、補助具アリって免許には書かれるけどな」

「運転免許だってメガネかけてたら書かれるッスよ」

「へえ。持ってねぇから知らね」


 天音は箒を握りしめていた。

 幼いころ憧れたものが、今手元にあるのだ。


「あ、ありがとう、ございます……」

「うええぇっ!? な、泣くほどッスか!? あ、もしかして気に入らなかった!?」

「違うだろ、喜んでんだよ……お前、意外と涙もろいのな」


 ハンカチが差し出された。夏希のものだ。綺麗にアイロンがかかっている。恐らくかけたのは零だろう。真っ白なそれを汚すことは気が引けたが、受け取らないのも失礼な気がして借りた。


「洗ってお返しします……」

「いやもういいよ、やるよ」


 瞬く間に濡れていったハンカチを見て、少し引いたように夏希が言う。自分でもこんなに泣くとは思っていなかった。


「憧れ、形にするんだろ?」

「じゃ、飛ばなきゃッスね!」


 天音が落ち着くのを待っていた夏希が、ニヤリと笑った。煽るように葵が手を振って、飛ぶように促してくる。


「まずは1メートル以上浮けるようになろうな」

「はい!」


 箒には、目立たないように飛行の魔導文字が彫られていた。よく見なければ、ただの模様だと思ってしまうほど自然なデザインだ。


 ゆっくりと魔力を流していく。すると、箒は天音の魔力の色に光り、ふわふわと浮かび出した。スピードこそ遅いものの、先ほどより確実に高くまで上がっている。


 夏希が地を蹴って、天音のもとへ飛んできた。水泳のターンのように、空中で一回転してみせる。


「気分はどうだ?」


 気持ちよさそうに飛ぶ夏希に、天音は笑って答えた。


「さいっこうです!」


 既に天井まで辿り着いた天音は、ゆっくりと室内を一周してマットの敷かれた床まで下りた。飛ばずに残っていた葵が拍手している。


「もう自分より上手いッスね」

「いえ、そんなことは……」

「いや、確かにそうだな」


 ソイツ、ほぼお情けで受かってるから。夏希は当時を思い出したのか、疲れ切った顔をしている。


「魔導航空免許は研究所の担当者が試験官なんスよ。で、真子が泣きながら、『合格にするけど! もう飛ばないでおくれ! 頼むから!』って」

「合格基準は満たしてるけどあれは飛べてるって言わねぇ。なんかの呪いで吊り下げられてるって言うのが正しい」

「どういう飛び方ですかそれ!?」

「見せてあげるッスよ! よっと」

「させるか! もうあんなモン見たくねぇ!」


 魔導文字を書き始めた葵のペンを、夏希が風の術で吹き飛ばした。とてつもなく気になるが、真子すら泣くようなものを見て平常心を保てる自信がないのでやめておこう。


「ま、今日はここまでにするか。明日またやるぞ」

「はい!」


 もう、憧れを形にすることは怖くない。むしろ、ワクワクする。

 箒を握りながら、天音は元気よく返事をした。

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