同日、9時37分

「落ち着いたー? じゃ、中入ろっか」


 固まっていた天音のことを、夏希は緊張しているからだと勘違いしたらしい。深呼吸を促すと、門の奥を指した。


「あ、あの……」


 天音は小さく手を挙げて質問する。


「門……飛び越えなきゃ、駄目なんですか……?」


 先ほどの夏希を思い出す。

 学生時代、体育でギリギリ3を取り続けていた天音には不可能な大ジャンプである。


「へ? ああ、あれ。面倒だったから飛んだだけで普通に開くよ。その前に、ほら」


 夏希はくるりと指を振り、流れるように魔導文字を書き始めた。


 古代の魔法の発音方法がわかっていない現在、魔導師は魔導文字を書くことでしか術を使うことができない。書いた文字に魔力を流すことによって術は発動する。


 何もない空間に文字を書いて発動までさせるのは、かなり高位の魔導師にしか行うことのできない技である。


「ほい」


 気の抜ける声と同時に、首に僅かな重みが乗った。

 見れば、入所許可証と書かれたネームプレートが、首元にかかっている。


「それないとさー、侵入者扱いされてアラート鳴るから、なくさないでね。一応、今月いっぱいは使うから忘れずにね」

「あ、はい」

「で、門だけどー、魔力登録した人間か、その許可証持ちの人間なら手で開けられまーす。ただし、魔力流しながらね。今日は見本って意味もあるのであたしが開けるよー」

「明日以降は自分で開けられますか?」

「んー、基本研究員はあんま外でないからなー。しばらくやらないかもよ。ってか、ウチの子たちも何人かやり方忘れてそー」


 言いながら、黒手袋をはめた手が門を押す。重そうに見えたそれは、いとも簡単に開き、天音たちを迎え入れた。


(すごい、真っ白……)


 魔力の感じ方は人それぞれ。色、音、匂い、気配―魔導師によって、確認の方法は異なる。天音は色で感じるタイプだった。


門を開ける小さな夏希の手は、眩しいほどの白い光を放っていた。


「さ、おいで新人ちゃん! 国立第5魔導研究所へようこそ!」


 太陽すらかすむような美しい笑顔で、夏希は天音の手をとる。と思った次の瞬間、強く引き寄せられ、可愛らしい容姿に似合わない低い声が耳元で囁いた。


「キミはここで何日もつかな?」

「え?」


 聞き間違いだろうか。聞き返す天音に、彼女は何も応えなかった。


(何日もつかなって言ってた……?)


 どういうことだろう。

 しかし、考える暇もなく、夏希はどんどん先に進んでしまう。


「こっちだよー」

「い、今行きます!」


 門の向こうには、洋館が一軒、建っていた。夜中に見たら泣きそうなレベルのデザインである。ホラー映画の撮影地に使われていそうだ。


「吸血鬼とか住んでそうな見た目だよねー」

「は、はあ……」

「所長の趣味! まあ、反魔導主義団体とかからの襲撃を防ぐために研究所っぽくない見た目の建物にしないといけないんだけどね。でもほぼ趣味だよこれ。中庭の薔薇とか超綺麗だから今度見てみて」


 反魔導主義団体。


 言葉どおり、現代社会に魔導技術は不要であると主張する団体だ。大小100を超える団体が存在するが、特に過激とされているのが「白の十一天」である。魔導師を表す黒の反対色、白の衣装を纏い、各地で遺跡爆破や魔導師殺害などを行っている。現代魔導における聖なる数12を否定し、11を団体名に掲げるほどの徹底ぶり。これには各研究所の魔導師たちや魔導警察も手を焼いている。


「ま、ウチは対策しっかりしてる方だから安心してね」

「は、はい……?」


 どう見てもただの洋館なのに、どうしてそんなことが言えるのだろうか。

 天音の心を読んだように、夏希はニヤリと笑った。


「今日の研修はー、施設案内とできそーだったら職員紹介ってことで。じゃあいっくよー」


 洋館の扉に手をかける。

 この先に、一体どんな設備があるのだろうか。ここで何をするのだろうか。


 この時、天音は知らない。

 第5研究所は、5つある研究所の中でも最も特殊で―


 過酷な場であることを。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る